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ヨハンはアルベルトの部屋に用意された食事を一心不乱にむさぼっていた。三杯目の大盛りのシチューを食べ終わり、ようやくヨハンが落ち着いたところでアルベルトは声をかけた。「きみの名前と年を教えてくれるかな。それから、出身は?」
「ヨハンだよ。13歳。出身は北のアイスベルン村」
やっぱりそうか。アルベルトははやる気持ちを抑えて質問した。
「剣と魔術の師匠はどなたかな?」
ヨハンはしばし考え込んだ。「師匠なんていないよ」
「では、あの剣術や魔術はどうやって身に着けたんだい?」
「それは……、たまにじいちゃんが稽古してくれるけど。でもじいちゃんは領主様の相手で忙しいから。普段は母ちゃんが仕事の合間に遊んでくれたり」ヨハンは言いづらそうに付け加えた。「妹とちゃんばらごっこしたり……。あ、妹の名前はフローラ。双子の妹で生意気なやつさ」
遊んでいるだけであれほどの技術が身につくものだろうか。ヨハンの話は要領を得ないが、やはりこの子の母親は……。はやる気持ちをおさえつつ、質問を続ける。「妹さんがいるんだね。その子もきみみたいに強いのかな?」
「全然強くないよ。10回勝負して……6回はおれの勝ちさ」
言いよどんだところをみると、おそらく勝負は互角なのだろう。そんな女の子が、正騎士にも劣らぬ腕前を持つこの少年と互角とは、にわかには信じがたい話だ。だが彼女の娘なら……。アルベルトは核心に踏み込んだ。「お母さんが遊んでくれると言っていたけど、お母さんは剣士か魔術師なのかな?」
「剣士か魔術師だって?」ヨハンは笑いながら言った。「母ちゃんは村で食堂をやってるよ」
「そうなんだね」アルベルトは少し考えて言った。「お母さんの名前を教えてくれるかな?」
「ヘレナだよ」
そうか。いよいよそのときが来たのだ。アルベルトは静かにうなずいた。
そこでヨハンは思い出したようにかばんから手紙を取り出した。
「母さんが、アルベルトって人に渡してくれって。おじさんのことだよね? 母さんの知り合いなの?」
「わたしもアイスベルンの出身なんだ。ヘレナとは同い年で、村の学校で一緒に学んだんだよ」
ヨハンはぽかんとしてアルベルトを見つめた。
「驚いたかい?」
「うん。おじさん母さんと歳が一緒ってことは31歳? てっきり60歳くらいかと思ってた」
アルベルトは巧みにショックを隠し、ヘレナの手紙を読んだ。
そこには短く『こっちは大丈夫。ヨハンをよろしく』とだけ書かれていた。まったく彼女らしい。
アルベルトは目頭を押さえ、にじんだ涙をそっとぬぐった。ヨハンが不思議そうにこちらを見つめている。アルベルトはせきばらいをして、次の質問をすることにした。この質問の答えもわかっていたのだが。「お父さんも食堂で働いているのかい?」
ヨハンの表情が少しだけ固くなった。「父ちゃんは俺が小さい頃に死んだってさ」
「そうか。悪いことを聞いたね」
「別にいいよ。よくあることだし。今は『残酷な時代』なんだから。」
『残酷な時代』か。こんな年端もいかぬ少年からその言葉を聞くとは。しばしためらったのちアルベルトはふたたび質問した。「お父さんは例の病気で?」
「そう『パンドラ』だっけ?」
一般的にはそのように呼ばれているが、正確にはそれは病気の名前ではない。そもそもあれを病気といってよいものか……。『残酷な時代』も『パンドラ』もある男が口にした言葉にすぎない。
あの男は何気なく言ったのだろうが、当時まわりにいた者たちは、あまりにも衝撃的な事態のさなかに発せられた言葉に、それが術か病気の名前だと思い込んだ。そして、『パンドラ』などという、それまでこの世界でだれも耳にしたことのない言葉が広まることになった。
あの男を思い出すだけで、いまでもアルベルトの胸の内に怒り、後悔、そして悲しみが入りまじった、なんとも表現しがたい感情がこみ上げてくる。
それにしても、パンドラとは。たしか、最後に希望が残るとかいう話のはずだが、この世界のパンドラには希望のかけらもない。しかしそんなことを知っているのは、この世界ではあいつとわたしの二人だけだ。いや、あいつがいない今となっては、それを知るのは私だけになってしまった。




