婚約破棄されて暖炉に突き飛ばされた悪役令嬢、地獄の底からざまぁします
婚約者の家であるダルヴァンス子爵家を訪れていた私は、いつもは通されない貴賓室に呼び出されていた。
部屋の細部に金と黒の装飾が施されている。全く、こんなことにばかり財を使っているからいつまで経っても金欠なのだ。しかしそんなきらびやかな装飾とは裏腹に、この部屋からは何処か雰囲気の暗い感じだ。不気味と表現しても良いかもしれない。
本来は昼に帰る予定だったのに、ガストンが珍しく「今日は泊っていけ」と呼び出されたのも合わせて嫌な予感しかしない。
ガストン・デ・ダルヴァンスは私の婚約者であり、ダルヴァンス子爵家の嫡男でもある。
「よく来たな、クロハ」
その声は低く、雷鳴のように重い。
ガストンは部屋の中央で仁王立ちしていた。分厚い鎧のような体。短く刈り揃えた髪。浅黒い肌。
彼は騎士だった先祖の血を色濃く受け継いでいる。
そしてもう一人。彼の脇にべったりとくっついている女。赤い髪をロールさせた、少女趣味なドレスを見るだけでげんなりする。
普通婚約者の前でそんなくっつくか? ガストンもガストンで、少しは考えてもらいたいものだ。
「それで、どのようなご用件かしら」
「用件など一つしかない」
2メートル近い巨体が、まるで壁のように迫る。ガストンはゆっくり私の目の前まで歩み寄ると、まるで判決を下す裁判官のように口を開いた。
「クロハ・デラフォーレ。お前との婚約を破棄させてもらう」
「……理由を聞いても?」
私はため息を付きそうになるのを堪えて言葉を返す。ガストンの眉がピクリと動いた。
彼は口答えされるのが嫌いだ。この人と交友を持つようになってから、何度怒らせたか分からない。もう慣れたけどね。
「とぼけるな! お前がこのイザベラ・クライン男爵令嬢に幼稚な嫌がらせをしてきたことは分かっている!」
このイザベラ・クラインとはもちろんガストンの手元に収まっているあの女のことである。ガストンはまるで堰を切ったように、私にとって身に覚えのない罪を列挙し始めた。
お茶会でイザベラの飲み物に異物を入れただの、彼女のドレスにインクをかけただの、彼女の椅子に虫を置いただの。
「一切身に覚えがないわ」
「しらばっくれても無駄だぞ。目撃者だって何人も居るのだからな」
「まあ、無かったことを目撃できる人が居るなんて。今度是非お会いしてみたいものですわ」
私を睨みつけていた目がカッと開いた。怒りで震えている。
もしかしたらガストンは、これまでどんなに怒られても飄々としている私が気に入らなかったのかもしれない。
「とにかくお前との婚約を破棄させてもらう! お前の行いは我がダルヴァンス家に相応しくない」
私は閉口した。最初は冗談でも言っているのかとちょっと期待していた。しかし残念ながら彼の表情は真剣そのものだった。
私の沈黙を彼がどう捉えたのか分からないが、ガストンは鼻を鳴らて続ける。
「どうした、クロハ。怖くて泣きそうなのか?」
ああ怖いよ。あんたの馬鹿さ加減が。
縁談。
特に貴族の婚約というのは、両家の人々の様々な思慮、協力、そして資金によって取りなされるものだ。決して当事者だけで決めているわけではない。
それを結婚の日取りまで取り決められている段階に来て「婚約破棄だ!」の一言で覆されたらたまったものではない。
特に現当主であるガストンの父親などは烈火のごとく怒る。ガストンだって餅つきのお餅みたいにペタペタ叩かれまくるに違いない。流石にガストンもそんなことくらい分かると思うのだが。
まあ私「個人」としては、こんな脳筋と結婚しなくて済むのなら万歳三唱なわけだけれど、我がデラフォーレ家の家名を背負っている以上は「ではさようなら」と簡単に帰ることが出来ない。
「あの、ガストン……」
それに、この婚約を破棄するわけにはいかない大きな理由がある。
その理由についても彼が知らないわけはないのだが、私は平易な言葉で、出来るだけゆっくり説明した。
ダルヴァンス家は昔、我がデラフォーレ子爵家に仕える騎士の家だった。
およそ230年ほど前、我がデラフォーレ家の当主であるクリスティアーノ・デラフォーレは近隣諸国との戦争に駆り出されていた。クリスティアーノは武芸に関してはからっきしで、何度も生死の境を経験したようだ。
そして、その危機のたびにクリス(長いので省略)を助けてくれたのが、ガストンの先祖であるウィンストン・デ・ダルヴァンスだった。
騎士の身分であったウィンストンは、身の丈2mを超える大男で、重さ100キロを超えるモーニングスターを軽々振り回していたという。
そのウィンストンは己の主人であるクリスを助けるために文字通り命を張った。彼の戦場で活躍っぷりはこのハイランド王国の歴史書にも記述があるほどだ。
しかし勇猛果敢なウィンストンも、終戦間際に残念ながら命を落としてしまう。最後の最後まで主人を庇って死んだという。
クリスはウィンストンの働きに深く感動した。死んだ彼に報いようとした。
ダルヴァンス騎士家に爵位を与えて貰えるよう、当時の王に頼み込んだ。ただ頼んだわけではなく、己の領地や財産を分け与えることを交換条件にしていた。
クリスの思いは強かったのだろう。
こうしてダルヴァンス家は子爵の爵位を受け、以降両家の交友は脈々と続いてきた。
そして230年経った今、ダルヴァンス家が財政難に陥っているため、彼らを援助しやすいように、私とガストンの婚姻が決まったというわけだ。私がまだ8歳の頃だった。
「そんなことは分かっている!」
ガストンは私の言葉を遮るように叫んだ。分かっていたら婚約破棄などとは騒がないはずだが。
ただまあ、230年もあれば当時を知る人間など一人も生きてはいないし、両家の関係も変わってくる。当初は我がデラフォーレ家の助言を忠実に聞き入れ、堅実な領地経営をしていた。
しかし代が下れば貴族としてのプライドばかりが大きくなり、彼らが助言に従うことも無くなっていった。結果、ダルヴァンス子爵家はものの見事に困窮した。
身に余る贅沢をして、領地経営はちぐはぐ。借金だけは堅実に積み重ねているのだから大したものである。
次期当主となる予定のガストンも領地経営に関してはまるで出来ない。幼馴染でもあり、同じ貴族学校にも通っていたので、私は彼がいかに勉強嫌いか知っている。
代わりに武芸に関しては、一人を除いて、この国に誰も太刀打ちできる者がいないほど秀でている。天は二物を与えないという言葉を私はあまり信じていないが、このガストンに関しては非常に当てはまっているようだ。
今が戦時中であれば、さぞ武功を挙げただろう。
……戦時中ならば。
先の大戦が終わってから200年以上が経過している。隣国とも長く友好ムードで全く戦争の気配が無い。だからと言って平和ボケするのは良くないかもしれないが、逆に貴族家の次期当主ともあろう者が領地経営に無頓着なのはもっといけない。
私は再三にわたって忠告してきたが、彼は全く聞く耳を持たなかった。それどころか、口うるさいわたしを腫れ物のように扱うのだった。
「デラフォーレ家の助けなどいらん! ダルヴァンス家は俺の力で立て直してみせる!」
ガストンは口癖もしくは語尾のようにいつも言っている言葉を私に向かって叫んだ。
「ガストン様! 流石です」
イザベラはガストン身体をくっつけ、目をうるませて彼を見上げている。ちなみに彼女はクライン男爵家の娘で、貴族学園でガストンと出会い、短期間で距離を縮めていった。恐らく彼女は(見かけの上では)裕福な子爵令嬢の座を狙っているのだろう。
「えっと、私と婚約破棄してどうするんですか?」
一応聞いてみる。
「お前の代わりに、このイザベラ・クラインと結婚する。俺たちは既に愛し合っている。真実の愛を見つけてしまったんだ」
誰かこの男の顔をたわしで擦ってくれ。
「ガストン、いい加減にして。そんな身勝手なことを言って通るわけがないでしょう。ちゃんと他の人にも相談したの?」
ガストンは面倒そうに首を振る。
「だいたい、こんな大事なことをあなたのお父様が知ったらどういう……」
彼は私の方に寄って来ると、いきなり私の腰を掴んだ。
「……何をする気?」
「こうするのさ」
ガストンが私の体を持ち上げ、暖炉の前まで移動した。今は稼働していないが、灰は積もっている。
「降ろして!」
ガストンが降ろしてと言って降ろしてくれる男ならこんなことにはなっていない。と、思っていたら、私の体は意外にも優しく着地させられた。
あれ、意外と話が分かるのかしら、と考えが過ったのは一瞬だった。
両肩を強く押された。
体が、再び重心を失う。まるで地面が崩れるような感覚。
地面に手を付こうとした。その地面に手ごたえがない。まるで体が沈み込むように落ちていく。
暗転する前に私の視界を覆ったのは、大量の灰が舞い上がる光景だった。
私は暖炉の中にこけたらしい。
こんな仕打ちをされたら先ず怒りが湧くはずだが、それより先に感じたのは違和感だった。尻もちをつくことなく、私の体は灰に沈み込み続ける。
おかしい。幾ら何でも灰が溜まりすぎだ。まるで底なし沼のようだった。
私の体は灰に埋もれ、やっと何かがお尻に当たった。しかしそこで止まるかと思いきや、ばきっ、という音と共に、私の体は再び落下を始めた。
暗闇の中の浮遊感。そのすぐあと、柔らかいものにぶち当たる感覚があった。そこでようやく私の落下は止まった。
当然ながら真っ暗だ。先ずは現状把握をしなければならない。
「『我が道標となれ。【輝星】』」
私が初球光魔法の詠唱すると、指先から小さな光が出現した。
先ず足元を見ると藁が敷いてあることに気付く。これがクッションになったのだろう。
続いてあたりを見回す。光が照らしだしたのは、まるで牢獄のような小さな小部屋だった。暖炉の下に部屋があるとは……変な家だ。
ガストンはここに私を閉じ込めようとしたのだろうか。
「はっはっはっ! どうだ、灰に塗れて少しは反省したか? その暖炉では昔自殺した者がいて、入ると呪われると言われているんだ」
聞いたことがある。ダルヴァンス家には使用人が灰塗れになって死んだ暖炉があると。以降、縁起が悪いからとその場所を覆い隠したり、潰す工事をしようとすると怪現象が続き、今は誰も入ってはならないことになっているとか。
そこがここだったのだろう。
もし入ってしまったら使用人なら即解雇。ダルヴァンス家の人間であっても絶縁を覚悟しなければならないほどだという。
勇猛果敢で有名なダルヴァンス家だが、どうやら幽霊にはめっぽう弱いのかもしれない。
なるほどね。「クロハが勝手に呪われた暖炉に入った」などと告げ口をして、責任を私に擦り付けた上で婚約を破棄しようと考えているのだろう。あの女はその目撃者にするつもり。
いかにも大馬鹿二人組が考えそうなことだ。
にしても、こんな下まで落とす必要はあったの? 今になって急激に怒りがこみ上げてきた。
「おいクロハ、何とか言ったらどうだ?」
ガストンの声は笑っている。あの女の笑い声も聞こえる。あいつら、ここから出たらぶっ●してやる。
けれど私は黙っていた。あまりに怒りがこみ上げてきて、うまく言葉に変換出来なかったのだ。
「おい、何とか言ったらどうだ?」
上の方からガストンが灰に手を入れている音が聞こえ始めた。私は咄嗟に明かりを消した。急に出て行って、驚かせてやろうと思ったのだ。
しかし幾ら待ってもガストンが降りてくる気配がない。それどころか、笑っていた彼の声が静かになり、灰をかく音だけがどんどん大きくなる。
恐らく、ガストンも既に灰塗れになっていることだろう。何をそんなに必死になっているの? あなたが落としたんじゃない。
「ガストン様、どうしたんですか?」
「クロハが見つからないんだ。おかしい。何故暖炉にこんなに灰が詰まっているんだ」
悠長なイザベラの声とは対照的に、ガストンの声に焦りが混じっている。
「な、何だこの穴!?」
ガストンの悲鳴に近い叫び声が聞こえたのと同時に、、頭上からほのかに光が降ってきた。私は咄嗟に彼らから見えないよう、部屋の隅に移動した。
「ガストン様、どうしたのですか。何が見えるのです?」
「何も見えない。こ、こんな穴があるなんて知らないぞ。くそっ、クロハはこの穴に落ちたんだ!」
ガストンの声が異様に上ずっている。演技には聞こえない。曲がりなりにも幼馴染だった私には、彼にそんな人をだませるような演技力などないことは良く知っている。ガストンと比べたら大根の方がまだまともな演技をするだろう。
ということは……。
もしかして、ガストンは本当にこの穴の存在を知らないのだろうか。知らなければ、ただひたすらに暗闇が広がる。彼にとってこの穴は底なしの深淵だ。
その可能性を考えてみる。ここは形状的に、どうやら隠し部屋のようだ。例えば有事の際、ダルヴァンス家の要人がここに避難するのだろう。もっと部屋の隅まで探せば、外までつながる秘密の抜け穴が見つかるかもしれない。
「隠し」部屋ということは、普段は誰にも知られてはならない。だから敢えて「呪われた暖炉」のような怪談まで流布して、他の人間が近づかないようにしたのではないだろうか。
……にしても、ガストンは長男なのに知らされていなかったのか。彼のダルヴァンス家での扱いの一端が垣間見えた気がした。
「おーいクロハ、生きてるか! 生きていたら返事をしろ!」
ガストンの声からはとっくに余裕が抜け落ちている。今出て行って、二人とも魔法でひどい目に合わせてやろうかとも考えたが、このまま成り行きを見ていた方が面白いかもしれない。
「埒が明かない。ロープを取ってくる!」
「ガストン様、待って下さい!」
遠ざかるガストンの声をイザベラが押しとどめた。
「何だこんな時に! 早くしないとクロハが……!」
「もう無駄ですわ。あの人は助からない」
おい、何を言っているんだあの女。
「そんなのやってみないと分からないだろ!」
「それに助かられても困るじゃないですか」
「……どういうことだ?」
「もし救助が成功しても、クロハ様は必ず私たちの非を責め立てるでしょう。私たちが幾ら弁明しても、彼女は大けがを負っているでしょうから、故意に突き落としたというストーリーに説得力が増してしまいます」
「そ、それは確かに……」
「それにガストン様、お父様にこのことがバレても良いの?」
「うっ!」
ガストンが急にとどめを刺されたかのような声で唸った。彼の父、イラスさんは基本的にガストンのやることにはあまり干渉しない。しかしダルヴァンス家の顔を潰すようなことをすれば烈火の如く怒る。私は一度だけガストンが「焼き」を入れられている場面に出くわしたことがある。文字通り半殺しにされていた。
ガストンが唯一恐れている人物と言って良いだろう。今日ガストンがこんな行動に出たのも、イラスさんが留守だからに違いなかった。
イラスさんに私……つまり縁の深いデラフォーレ家の婚約者にこんな仕打ちをしたことがバレたら、今度こそ全殺しにされる可能性が高い。
幾らガストンが脳筋バカでも、こんなガバガバな方法の、バレる時のリスクを考慮していないとは考えがたい。しかしイザベラとの会話を聞いて二人の関係性が見えてきた。ガストンは普段からイザベラの手のひらでコロコロ転がされているようだ。今回も口車に乗せられたのだろうと察せられた。
「どうせ誰もここに立ち入らないのだから、バレようがありません! ね? このままにしておきましょうよ」
「し、しかし……」
「さあ早く! 長居し過ぎたらさすがに怪しまれてしまいますよ!」
「そ、そうなのか……その方が良いのか……?」
そう言いながら二人の声が遠ざかっていく。部屋の扉が開かれ、閉められる音。そして静寂。
おい、私死んだことにされたぞ。
私は浮遊魔法を使って、暖炉の外に飛び出した。出る時も大量の灰を被ってしまったが今はどうでも良い。
怒りに怒りが積み重なって今にも爆発しそうだった。あいつら、絶対に許さん。
*****
私は彼らが向かったであろう場所に向かった。つまりはガストンの私室である。どんな言葉で怒りをぶつけようか。イラスさんには報告確定だし、炎魔法であいつらの鼻毛という鼻毛を燃やし尽くしてやろうとも思っている。
そうだ、どうせなので窓から突入してみよう。連中の驚く顔が楽しみだ。ガストンには今まで、曲がりなりにも婚約者だと思い接してきた。個人的な恩もあるし、デラフォーレ家を背負っている立場としても、縁深い子爵家の相手を尊重しなければならなかった。
しかし、ここまで非礼を働かれて許せるほど私は心が広くない。
それなりのけじめはつけてもらう。
私は浮遊魔法を使って浮遊し、光魔法で照らしながら、屋敷の外をガストンの部屋に向かって進んだ。
明かりは付いているようだが、カーテンが閉められている。やはりここに居るに違いない。
『風の精よ、我が声に応えよ。〈風刃〉』
私が魔法の詠唱をすると、透明な風の刃が殺到し、窓ガラスを粉々に砕いてカーテンごと吹き飛ばした。
丸見えになった部屋に私は降り立った。二人は並んでベッドに座っていた。まるで亡霊でも見たかのように大口を開けている。
私が怒りの言葉を発しようとしたその時、ガストンが叫んだ。
「で、で、出たあああああ!!!」
ガストンはベッドの下に転がり落ちると、尻餅をついたまま壁際まで後ずさった。速い。まるでGで始まるあの生き物のようだ。ちょうど頭文字も同じだし。
「頼む! 許してくれ! わざとじゃないんだ、本当なんだ! 成仏してくれええ!」
壁に突き当たったガストンは私に向かって機敏に土下座の態勢を取った。一方イザベラはベッドに座っているままだ。いや、座っているというより、恐怖で氷漬けにされたように動かない。私は二人の言動に違和感を覚える。
「あなたたち、何をしているの?」
私の言葉に二人が激しく動揺するのが分かった。
「ひっ! 悪霊がしゃべったわ! ガストン様、どうにかしてください!」
「何でもしますから許してください! どうか呪い殺すのだけは、呪い殺すのだけはやめてください!」
ガストンはおおよそ普段のふてぶてし態度からは想像もつかないほど情けない声で懇願している。
今にも泣き出しそうな勢いだ。
そうか、この人たちは私が死んだと思っている。だから私が化けて出たのだと勘違いしているのだ。だとしたら私、悪霊になるスピード速すぎるな。悪霊RTA。
言われてみれば私は灰を被ったままだし、尚且つ空中を浮遊してきて、窓ガラスを突風で割って入ってきた。光魔法の玉も、人魂だと勘違いされてもおかしくはないだろう。
ダルヴァンス家の人々は誰も魔法が使えないし、私もここで披露したことがない。だから馴染みが無いというのもある。
ガストンは私が魔法を使えることくらい知っているが、どんな魔法を使えるかなんて興味も無いし知ろうともしなかった。
魔法について少しでも興味を抱いていれば、こんなアホな勘違いをすることも無かっただろう。
もしかしたら私を殺してしまったという罪悪感で、動揺していたことも冷静な判断が出来なくなっている原因かもしれない。
このまま罵倒しようと考えていたが……私を霊だと思っているのなら好都合だ。この時の私はさぞ悪い顔をしていたに違いない。悪霊なのでちょうど良い。
「よくも私を殺したな。私は絶対にお前たちを許さない」
私はできる限り怨念のこもった、低い声を震わせながら言った。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
ガストンは何度も地に頭をつけて謝っている。イザベラはそんな彼を見て顔を引きつらせている。いつもは強く振舞っているガストンの姿にドン引きしているのだろうか。
「このクロハ・デラフォーレを殺したのは誰だ?」
「ガストン様です。全部ガストン様がやりました」
イザベラはノータイムでガストンを指さした。
「い、イザベラ……!?」
いやイザベラの裏切りの瞬発力エグイな。ガストンが目をぱちくりさせている。状況を受け入れられていないようだ。
「私はやめようと言ったんです! だけどガストン様がどうしてもクロハ様を殺すと言って聞かなくて!」
「お、俺はそんなこと言っていない! 殺そうなんて思っていなかったし、第一あんな穴があるなんて知らなかった! そもそもイザベラ、お前がクロハを陥れる計画を立てたんだろう!」
「でも実際に殺したのはあなたですよね?」
「生きていたかもしれないのに、見殺しにさせたのはお前だろう!」
「まあ男のくせに、言い訳ばかりしてみっともないですわよ?」
おやおや。あんなにくっついて愛し合っているだの真実の愛だの言っていたのに、いざ命が危うくなると簡単に相手を裏切れるのね。、人間とは、いや、この馬鹿どもは何と醜いのだろう。
見世物としてはこれ以上無いくらい面白いけれど。
私は必死に笑いをかみ殺しながら口を開いた。
「私からはどちらが悪かったのか判断出来ない。だからゲームで決めてもらう」
「ゲーム?」
「勝った方を助けてやる。負けたほうを呪い殺すことにする」
二人とも立ち上がった。目の色が違う。
「今までの人生で一番の秘密を言いなさい。まずガストンから」
「失敗? そ、そうだな、学校での試験を受ける時に……」
「あ、ちなみに私が満足出来ないエピソードだった場合は呪い殺します」
「じ、実は今もまだおねしょしてる!」
「うええ!?」
声を上げたのはイザベラだった。さっきガストンが地面に伏せって拝んでいるところを見た時よりすごい顔をしていた。もう両側を顔の皮膚をありったけ引っ張っているかのような顔の引きつり方をしている。
「次、女の方」
「わ、私は……浮気しています」
「イザベラ!?」
やはりほかの男にも粉をかけているのか。
「それだけ? ずいぶん弱いエピソードね」
「そ、それで、じ、実は12又してます」
「じ、十二ぃ!? 干支か!!!」
ガストンはつっこみながらも卒倒しそうだった。いや失禁しそうなのかも。
もう妖怪だろ、股何個あるんだこの女。淡々と話すイザベラとは対照的に、ガストンはほぼ魂を抜かれたようになっている。そりゃ真実の愛を誓い合った相手がタコより股多かったらそうなるか。
「現時点では同点ね。次のゲームに持ち越しましょう」
「次は何をさせる気なんですか?」
イザベラが不安そうな声で聞く。
「次、犬の真似をしなさい。そうね、三回回って『ワン』と言ってもらおうかしら」
「な、何ですかそれ!」
「そうだぞ! 仮にも子爵家の嫡男である俺がそんな真似できるわけないだろう!」
「呪い殺す方は生きたまま火あぶりにしようと思っているわ」
「わ、わんわん!」
「わんわんわん!」
二人は必死に回ってわんわん鳴き始めた。命がけで間抜けにわんわん鳴いていると思うと非常に面白い光景だ。
「うーん、よく分からないから次のゲームに移ろうかしら」
「おい! 人にこんな真似させといてふざけるなよ!」
「あら、おかしいわね。犬なのにどうして人の言葉が話せるのかしら?」
「わ、わん! わんわんわんわ!」
「何を言ってるのか分からないから減点1」
「わん!?」
「では次のゲーム。二人でボクシングしなさい」
「いやそれは流石に無理だ! 女を殴れるわけないだろ!」
「私だってガストン様に手を上げるなんて死んでも出来ませんわ! 愛し合っているのですもの!」
「負けた方は、そうね。じわじわと手足が溶けていく呪いをかけてあげるわ」
「オラぁ!!!」
イザベラが瞬時に、両手でガストンの首をがっちり掴み、凄まじい気合いの声と共に膝蹴りをぶち当てた。
ドゴォ! っと地鳴りのような音が響く。
「へぱぁ!!!」
ガストンは思いがけない攻撃に晒されて変な声を上げる。
「オラオラオラァ!!」
イザベラは休むことなく何度も膝を打ち込みつづける。いや鬼かな? 真実の愛どこだよ。
あと私ボクシングしろって言ったよね? あの女ノータイムで膝蹴りしたんだけど。
【ガストン様に手を上げるなんて死んでも出来ませんわ! 愛し合っているのですもの!】
ガストンの顔がへっこんでいく様子を眺めながら先ほどイザベラが宣った言葉を思い出してみる。どれだけ助かりたいんだ。まるでお笑いのフリとボケのようだ。
「はいそこまで」
私はちょうど携帯していたゴングをカンカン鳴らして二人を引きはがす。
「どうですか? 私の勝ちですわよね???」
イザベラが目をギラギラさせながら聞いてくる。怖い。
「膝を使ったから減点1」
「違います! あれは手ですわ!」
「人間じゃない宣言?」
無事イザベラの手が四本あることが判明したところで次のゲーム。
「では次で決着をつけてもらうわ」
二人が息をのむのが分かった。
「む、むむ」
膝蹴りによってすっかり凹んでしまっていたガストンの顔がようやく帰ってきた。一生出てこなければ良かったのに。
「はあ、はあ、何をすれば良いんだ?」
「今のを見て思いついたのだけれど、顔の中心に目とか鼻とかのパーツを集めたほうが勝ち」
「は? どういうことだ?」
「つまり目とか口とかのパーツを、出来る限り顔の中央に寄せられた方が勝ち」
「いや言ってること同じじゃないか! そんなこと出来るわけないだろ!」
「さて、どうやって呪い殺そうかなー」
「くそったれえ!」
ガストンは必死に顔をすぼませて、パーツを中央に寄せ始めた。眉も目も口も鼻も、ぐんぐんと中央に寄っていく。私は今、非常にしょうもないことで人間が限界を超える姿を見ているのかもしれない。
ガストンは寄りに寄った口をどうにか開いて、言った。
「ど、どうだ、出来てるだろう? 助けてくれるよな!?」
「不気味過ぎるから減点3」
「お前がやれって言ったんだろ!」
「こっちを見て下さいクロハ様!」
イザベラの方を見て、私は悲鳴を出しそうになった。のっぺらぼうのように、顔のパーツがなくなっていたからだ。
「顔の中央にパーツ集めました!」
よく見ると、イザベラの顔の中心に、黒い点が一つできている。
集めすぎて顔の部位が点になってる! 三次元が一次元になってる!!
「さあ私が助かるべきですよね!」
「いや待って? ここで俺が助かんないと、逆にみんな困るやつじゃない?」
二人はとっつかみ合いの喧嘩を始めた。
「私が助かるべきよ! あなたはおとなしく呪い殺されなさい!」
「イザベラ、いい加減にしろ! もとはといえばお前のせいなんだからお前が責任を取れ!」
「おねしょしてるくせに!」
「わんわんわん!」
うーん、醜い。多少は争うと思っていたけれど、ここまで醜い争いが繰り広げられるとは、想像していなかった。
これ、どうしよう?
私がどう収集を付けようか迷っていると、勢いよくドアが開いた。
衛兵と共に立っているのは厳めしい顔をした初老の男性。ダルヴァンス子爵家の現当主イラス・デ・ダルヴァンス。つまりガストンの父親だった。
イラスさんは私とガストンとイザベラ、そして割られた窓ガラスを順に見て、再びガストンに焦点を合わせた。
「胸騒ぎがして、急遽予定を切り上げて帰ってみたら……このざまは何だ。お前たち、何をしている」
顔にも声にも殺気が漲っている。あ、これまずいやつだ。私は即座に部屋の隅まで移動した。
「ち、父上! どうかお助けを! クロハが悪霊になって俺を殺そうとしているんだ!」
ガストンが縋るように寄っていく。そのガストンが反対の壁に向かってぶっ飛んだ。巨体が音を立ててめり込んでいる。
渾身の右ストレートが決まった。イラスさんはガストンが唯一この国で勝てない人物。とんでもない剛腕なのだ。
しかしどうせめり込むなら壁にダーツの的でも描いておけばよかった。
不意にイラスさんがこちらを振り向いた。貼り付けたような笑顔を浮かべている。
「クロハ嬢、何があったか聞かせてもらえませぬか」
その声は怖いくらい優しかった。
******
事情を話すと、全面的に私の話が信用され、ガストンとの婚約は破棄された。
ガストンとイザベラはダルヴァンス家の領地を永久追放。イザベラはクライン男爵家領地に強制送還されたが、私に多額の賠償金を支払うこととなり、かなり困窮しているらしい。
ガストンは辺境の島に流されることになった。ダルヴァンス家の家名に泥を塗ったこと、何よりデラフォーレ家の子女に怪我をさせ、殺しかけたという事実は非常に重く受け止められたようだ。
当初、イラスさんは二人とも死刑にすると言って聞かなかったが、私が頼んでやめさせてもらった。実は幼少期、私はガストンに助けられたことがある。
5つも6つも年上の少年たちにいじめられている時、ガストンが割って入ってくれた。相手は札付きの悪で、しかも全員が刃物を持っていた。
そこにガストンは棒切れ一つで立ち向かっていた。そして全身切り傷だらけになりながら全員殴り倒してしまった。
本当に、小さいころから良くも悪くも何も考えていない男なのだ。
ガストンからすれば私の存在はどうでも良かったのかもしれない。ただ気に入らない相手を叩きのめしたかっただけだろう。しかし彼が助けてくれなければ、私は死んでいたかもしれない。
愛想は尽きたが恩は忘れられなかった。
目の前であの二人の醜い争いも見れたことだし、ガストンがイラスさんに10分の9殺しくらいにされているのを見て溜飲が下がった。
ダルヴァンス家はガストンよりよっぽど出来の良い弟が継ぐことになったようだ。武芸に関してはガストンに及ばないが、非常に頭が良くて素直な子だ。彼がいればダルヴァンス家も再興されることだろう。
ちなみにガストンは私によって死刑が回避されたことを知ると、泣いて礼を言ってきた。
島に流されてからも定期的に手紙を寄越した。よりを戻したいだの、本当はお前を愛していただの、今更感のみで構成された内容で構成されていた。
当たり前だがイザベラとは島に流される前すでに別れていたようだ。
真実の愛って、何だろうね。
おわり