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結婚して十年、昨日女王を退位しましたが献身的すぎる夫はわたしに不満などなかったそうです

作者: と。/橘叶和

 十年だ、十年たった。


 十五の時に女王であった年の離れた姉が死に、急遽即位し十年がたった。そしてやっと姪が二十になり、昨日譲位が成立した。


 長かった。けれど、やりきったとも思う。そもそもわたしは王位に就く予定はなかったのだが、王位継承権を持つ者としての責務だ。帝王学を学び直す暇もなかったが臣下たちのおかげで十年の間、何とか国を荒らさずに済んだ。


 本当にこの十年、色々なことがあった。災害、外交、不作、汚職と問題は次から次へとやってきた。姪も両親を立て続けに亡くし不安定な時期もあった。それでも彼女は立ち直ってくれ、その他の問題も何とか解決してきた。


 この十年を頭の中で振り返りながら、ことこととゆったり進む馬車の中でふう、と息を吐く。ひどく気の抜けた音だった。



「どうした、エヴァ。疲れたのか?」



 そう隣から声をかけたのは、わたしの王配だった男だ。名は、サイモン。年はわたしの三つ上で隣国の第三王子だった。



「いいえ、でもなんだか少し眠くて」

「今までが忙しすぎたからな。少し寝るといい。着いたら起こそう」

「……ええ、ありがとう」



 目を瞑りながら背もたれに身を預けると、何故か肩を引き寄せられもたれさせられる。確かに安定はするが、頼んでもいないのに献身的なことだ。……こういうのは、どうしたらいいのか分からなくて少し困る。


 わたしは、即位と同時にサイモンと結婚した。隣国としても我が国が倒れることがあればその混乱に乗じて別の国から攻め入られる危険があったので、第三王子を差し出してきたのだ。サイモンは当時からその武功を大陸に轟かせており、彼が我が国に入ったことによって周辺諸国の動向も落ち着いた。


 サイモンには言葉では尽くせない程、感謝をしている。しかし、それと同時にひどく申し訳なくも思っている。


 我々は白い結婚だった。この十年、わたしは女王として国を治めることだけに必死で、夫婦としての何たるかなど一度だって顧みたことはなかった。だというのにサイモンはただ粛々と王配としてわたしを支え、しかも浮いた話の一つもないようだった。最初の頃に一度、職務を果たし子どもさえ作らないのであればその範囲で好きにしてくれていいと言ったことはあったが、サイモンは首を縦に振らずただ国の為に働いてくれた。


 第三王子であったサイモンには、もっと自由に生きる道もあった筈だ。それなのにこの国を助ける為だけに十年、身を粉にしてくれた。自国であればまだ分かるが、それを縁もゆかりも薄いこの国の為にしないでいい苦労をしたのだ。わたしはそれがずっと後ろめたかった。


―――


 新たに公爵位を授けられたわたしは、王家直轄の管理地で領主となる。公爵といえど、もう国政にかかわる気はない。わたしと姪は五つしか離れておらず、子どもの頃であればそれは途方もない年齢差だったけれど大人になれば多少のそれでしかないのだ。過去に王だった者が新しい王に意見するなど、あってはならない。それはただ混乱を招くだけだ。


 元々、わたしは初めから姪に位を明け渡すつもりであった。彼女が女王として立つまでの間、その環境を整え国を混乱させない為に女王になっただけだ。それは臣下の全てに周知させていた。けれど、十年もその座に座り続けていればわたしの代が名残惜しい者も出てくる。そして、混乱をもたらそうとする者も。わたしにその気がなくとも担ぎ上げようとする勢力がいる以上、わたしはそれらから身を守り通さなければならなかった。


 だから、わたしはまだサイモンを手放せない。存在自体が抑止力なのだ。サイモンを慕い尊敬する軍人は多く、いくら貴族がクーデターを起こそうとしても彼の意にそぐわないことであれば軍人たちは動かないだろう。……それほどまでに軍を掌握したサイモンを野放しにできないという観点もあるが、けれどやはり抑止力としてわたしが彼を利用しているという面が大きい。


 どうしたら、サイモンの献身に報いることができるのか。退位が決まってからこちら、わたしはずっとそのことばかり考えていた。それなのに何も思いつかない。


 サイモンは隣国の第三王子であったこともあり、個人でそれなりの資産を持っているのだから金品はそこまでの価値がない。美術品よりは防具や剣、攻撃用魔道具などを欲しがっているがそれらは自分で買ってしまう。本は読むが読書家というほどではなく、希少本にも興味はない。愛妾は、過去に一度用意しようとしたことがあったが、淡々と静かに怒られたので候補に入らない。


 どうしようか、どうしたらいいんだろうか。立ち止まって考える暇もなかったあの十年でも、ここまで悩んだことはない。わたしは、そんなことを考えながら目を開けた。



「……」



 まず、視界に映ったのは天井だった。見慣れない、真新しいそれに瞬きをする。次に自身が横たわっていることに気付いて、わたしはゆっくり息を吐いた。



「着いたら起こしてくれると、言っていたのに」



 ぽそりと呟いたそれは、人に聞かせるものではなかった。けれど、



「すまない。よく寝ていたから」

「……いたの」

「ああ」

「そう……」



 返答は、ベッドの外から聞こえた。首を動かすと、そこには当たり前のようにサイモンがいる。ベッド横の椅子に座り、本を読んでいたようだ。すごく驚いたが、しかしそこに彼がいてもなんらおかしいことではないとも思った。



「何か飲むか、水はあるが」

「貰うわ」



 起き上がり、水を貰って飲む。喉が渇いていたのか、ただの水がとても美味しかった。



「……ありがとう」

「ああ」

「運んでくれたの?」

「当然だ。エヴァをほかに任せるはずがない」

「重かったでしょうに」

「いや、まったく」



 サイモンはしれっとそう答えたが、そんな筈はない。力が抜けた人間は重いのだ。いくら鍛え上げた軍人であっても、重いものは重かっただろうに。よく分からない強がりに、わたしは笑いを零してしまった。



「サイモン、ありがとう」

「何のことはない」

「これまでずっと、この十年、本当にありがとう」

「……急にどうした?」

「急ではないわ。ずっと貴方には感謝をしていた」



 ずっと感謝をして、ずっといたたまれなかった。


 この国で王族として生まれたわたしが、国の為に奔走するのは当然だ。けれどそこに、サイモンを巻き込んでしまった。我々の結婚は政略的なもので、隣国はサイモンを差し出すことによってこの国に大きな貸しを作ったが、彼個人の献身はその枠を飛び越えていたように思う。



「貴方に報いるにはどうしたらいいのかしらってずっと考えているのに、何も思いつかないの。何か欲しいものはないの、してほしいことでもいいわ」



 決死の覚悟での問いに、サイモンは長々としたため息で返した。彼らしくない無作法であるが、咎める気にはなれなかった。



「サイモン?」

「……離婚を切り出されるのかと思った」

「貴方がそうしたいのなら、それを止める権限をわたしは持たないわ。国に帰るでも留まるでも、よいようにすると約束を」



 サイモンを手放すのは難しいことだったが、だからといって不可能という訳でもない。彼がそれを望むなら、叶えてやるのが道理だ。わたしは早速どこから話をつけ今後どう動くべきかと算段を始めたが、それはほかでもないサイモンによって止められる。



「違う。離婚なんてしたくないから、それでなくてよかったと言ってるんだ」

「……離婚、したくないの?」

「当たり前だろう。やっと二人でのんびりする時間が持てるのに」



 サイモンは腕を組み、椅子の背もたれに体を倒した。不機嫌だと言わんばかりの態度であるし、彼は黙っていると厳めしい顔をしているので知らない人には怒っているように見えるだろう。けれどこれは、困惑の表情だ。



「結婚して十年、我々は休みらしい休みもなく顔を合わせれば常に仕事の話ばかりをしてきた」

「そうね」

「この地でも領主生活が始まるが、それでもこの長閑な土地で国政程の難題を突き付けられることもないだろう」

「……つまり、休みたいということ? なら、保養地の手配をするから行ってくるといいわ」

「……」

「サイモン?」



 目を閉じ、ぐ、と眉間に皺を寄せるサイモンはやはり厳めしい。けれどこれも怒っているわけではなさそうだ。おそらく、言葉を探している。わたしは黙って彼の話を待った。



「……私は、エヴァ、君と散歩がしたい」

「散歩……?」

「ああ、まあ散歩でなくてもいい。食事でも観劇でも何でもいいんだ。君と共にありたい。それができるのであれば、仕事であっても構わない。だから保養地を用意してもらったとしても、一人で行かされるのなら断る」

「……ええと」



 戸惑うわたしに構わず、サイモンはわたしの手からコップを取りベッドサイドに置いた。その小さな音が、何故だか耳に響く。



「そもそも君は、私がどうしてこの国にやって来たと思っている?」

「この国を壊さない為にでしょう。そうなれば貴方の母国もただでは済まないから」

「それもある。そしてこの国に恩を売るためだ。結果、この国と母国の結びつきは深まり経済や文化交流も盛んだ。……だが、私はそれ以上の働きをしたと思わないか」

「ええ、思っているわ。この十年、貴方がいたからこそ耐えきれたのよ。けれど、疑問でもあったわ。どうしてここまでしてくれるのかしら、って」

「それを本気で言っているのなら、君は相当鈍感だ。政治となればひどく敏感で俊敏なのに」



 サイモンは呆れを隠しもせず、少し笑った。そういえば、姪にも似たようなことを言われたことがある。



「そんなことを言われても、分からないものは分からないのだもの……」

「……簡単なことだ。私が君に惚れていて、君の為なら何でもしてやりたいと思っていたというだけなのだから」



 しん、と部屋に静寂が落ちる。わたしたち二人しかいない部屋なのだから、二人が同時に何も話さないのならそうなるのは当然だ。わたしはたっぷり三拍ほど置いて、ゆっくりと息を吸った。



「貴方、一度だってそんなこと言わなかったじゃない」

「一つでも間違えれば国ごと無くなる、なんて選択を幾つもしなければならなかった君に、好きだの愛しているだのと言って何になる。混乱を増やすだけだっただろう。それに、私は分かりやすかったから普通であれば察せたと思うぞ。気付いている輩は大勢いた。私自身、恋情を上手く使われているのだろうなと思っていた」

「そ、そんなこと、しないわ。そんな、不誠実なこと……」

「不誠実もなにも、我々は夫婦だろうに」



 今度こそ破顔したサイモンを見て、わたしは何故か頬が熱くなるのを感じた。よく分からなかったけれど、どういう訳か恥ずかしかった。



「いつから、そんな……」

「子どもの頃からだな。二十年程前、まだエヴァのご両親が存命であった頃はよくあちらに来ていただろう」

「……そうね」



 国交と遊学、あとは年の近い他国の王族と交流する為にわたしは子どもの頃から多くの国に行った。おそらく当時は、わたしをほかの国に嫁がせる予定だったのだと思う。その後両親が亡くなり姉が王位に就いて更にこんなことになったが、中でも隣国にはよく行った。


 まだ何も理解しきらない子どもだったわたしは、サイモンに遊んでもらえるのが嬉しくてよく懐いていた覚えがある。



「あの頃からずっと、私はエヴァと結婚がしたいと思っていた。今思えば当時から私が第一候補だったんだ。けれど、両親や兄たちが君と結婚したいのだったら功績を上げておかねばと脅してくるから、死に物狂いで武勲をたてた。我ながら単純だった」

「……」

「まあ実際、第一候補ではあっただろうが、ほかに候補者が多くいたのも事実だった。その上、君の姉君があんなに早く亡くなるなんて……。だが、だからこそあの時頑張ってよかったと思ったな。そうでなければ、ただ血筋だけの第三王子など王配に選ばれていなかったかもしれない」



 ぽつぽつとそう話すサイモンは、どこか満足そうだった。わたしからすれば初めて聞く事実ばかりでいっぱいいっぱいであるのに、彼はただ昔を懐かしみ微笑んでいる。



「運良くエヴァの夫の座を得ることができたのだから、この十年あんな無茶な働き方もできたんだ。それくらい、君の隣は私にとって魅力的なものだった」

「あ、の……」

「ああ、だからといって見返りを要求したい訳じゃない」

「え?」

「くれるなら勿論貰うが、無理に強要して嫌われたくはないんだ。それなら今のままで構わない。ただ私を一番傍に置いてくれるなら、エヴァに刃向かう者全て蹂躙してみせる」

「……蹂躙は、しないでいいわ」

「そうか?」

「ふふ、ええ、そうよ」



 そこまでしなくとも、現状サイモンに物理的に逆らえる者は少なくともこの国にはいない。彼はそこにいるだけで、わたしを守ってくれる存在なのだ。


 しかし、それにしても一方的なことだ。サイモンは、わたしがどう思うかなんて何も考えていない。わたしのようにぐじぐじと思い悩むこともなく、ただ自分の思った通りに生きている。やっとそれに気付いて、わたしはさっきまでの変な緊張や羞恥がどこかに消えていくのを感じた。



「サイモン、わたしは王位を退いたけれど、まだまだ生きていたいわ」

「当然だろう」

「あの子の政権を邪魔したくないのだけれど、でも、わたしだってあの十年頑張ったのだから、少しくらい人生を楽しんでいいと思うの」

「その通りだ。君は働きすぎだった」

「だから、ね、サイモン。これからも一番近くでわたしを守ってください。わたしの夫として」

「っ、ああ!」

「ふふ、ありがとう。わたしも貴方のこと、世界で一番幸せな夫にしてみせるわ。この国に来たこと、絶対に後悔させないから」



 わたしがそう言うと、サイモンは目を見開き少し泣きそうな顔で笑った。どうしたのかと不思議に思いながら、昔姪を慰めたように抱きしめて背中をポンポンと叩いてみると今度はかちりと固まって動かなくなってしまい、とても困った。


 それからわたしたちは、結婚十年目にして初めて手を繋ぎながら庭園を散歩したり小さなテーブルで横並びになって軽食を食べたり一緒に観劇に行ったりすることになる。何をするにも新鮮で楽しく幸せだったが、サイモンの反応がいちいち面白かったということだけここに記しておこう。



読んでいただき、ありがとうございます。

よければブックマーク・評価・いいねなどしていただけるととても嬉しく思います。


ただただ平和な二人が書きたかっただけでした。

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