雨空の二人
冷たい雨が容赦なく降り、空は暗く湿気っていた。
昨日の夜から続いていたこの天気は、朝の登校時間にも止むことはなかった。
学校の最寄駅から学校までは徒歩30分の道のりだ。もともとバスの本数は少なく、乗り逃してしまったのだ。他の学生はうまくバスに乗れたのか、もしくは家から学校まで車で送迎されているのか、このどしゃぶりの中歩いている制服は沙子を含めて少数のようだった。
学校まで半分来たところだったが、彼女の靴は雨と水溜りのおかげでびしょ濡れだった。靴の中に水が染み込んで、歩くたびに空気と水が遊ぶような音を奏でていた。
幼い頃はこの感触が大好きだったのに、今となっては不愉快でしかなかった。
「学校なんて休めばよかった」
沙子は一人呟いた。
呟いてしまったら、むくむくと己の中で苛立ちと小さな希望が膨らんでいく。そう考えている間でも沙子の足は止まらず進む。「学校へ行かなければならない」という弱い責任感と、「もう濡れたくない」という強い感情が同時に湧いてきて、天秤で競い合っていた。
これ以上濡れなければいいのだ、そう思っていた沙子の前に大きく深そうな水溜りがあるのが遠目でも分かった。
「これはこれは」
沙子は歩みを止めた。そして頭の中の天秤は一方に傾いた。
くるりと方向を変えると今来た道を引き返し始める。決めてしまえば、なんてことはない。足取りも先ほどより軽く、この不愉快な感触も許せるのではというステップだった。
何人かの学生とすれ違ったが、皆他人事。クラスメイトとすれ違ったとしても傘のおかげもあって顔も見えないから気楽なものだった。
再び駅まで半分の距離になってくると、すれ違う学生は減ってきていた。雨なので皆早めに登校しているのだろう。その姿に尊敬の念も込めて沙子は、目を瞑って頷いた。
前から傘を差した男子学生が来る。少し狭い道で、傘を傾けたのがいけなかった。
「沙子?」
耳慣れた声。我が幼馴染殿だった。
ここで反応をしては、全てが台無しになる。沙子は声を無視して歩いた。反応をしなければ、あちらは勘違いだと思うだろう。
「沙子、忘れ物?」
彼女の願い虚しく、彼は質問しながら後ろから付いてきた。これはもう逃げられない、沙子は笑顔で振り返った。
「そうなの、一旦家に帰るね」
「忘れ物って?貸せるかも」
面倒なことになった、と沙子は思った。
「なんかもう色々忘れちゃったの。あれもこれも」
「あれもこれも」
「そう、色々」
復唱する凱に沙子は深く頷いた。
「それは大変そうだ」
「そうなの、急いでいるので失礼」
今しかない、と沙子は再度くるりと回ったが、凱が呼び止めるように背中に声をかけた。
「沙子サン。さぼりですか?」
「いえいえ、まさか」
沙子はまたくるりと回って凱に向き合った。
「沙子」
彼女は反応したくない、というように彼から目をそらした。
「沙子、行こう」
家に帰ると決めていた沙子は、凱の目を見られなかった。
雨はしとしと止まない。
「ロッカーにチョコあるよ。あげる」
チョコというワードに、天秤のバランスが崩れそうになったが、簡単に傾くように思われるのは癪だった。顔はそのままに、目だけ彼に合わせた。
「チョコクッキーもあるよ」
彼が重ねてそう言うので、彼女は目を逸らした。優しい言葉をもらっているのに、駄々を捏ねている自分が恥ずかしくなったからだ。
話しをすることで雨による憂鬱が少しだけ過ぎ去った気がした。
「家へ取りに戻ろうとしたのは何を忘れたから?」
凱は更に言い募る。
そんなものは言い訳だった。彼は沙子が本当に忘れ物があると思っているのだ。
「やる気」
凱は呆れたように笑った。
「そりゃあ、家にもないよ。行こう」
そう言って彼は歩き出した。その背中を見て、沙子は付いていく。彼は深そうな水たまりでも、浅い箇所を見つけて確実に乗り越えていた。
この先、きっと彼がいない時間が増えるだろう。その時に、ちゃんと真っ直ぐ目的地まで歩けるのだろうかと彼女は不安になった。
「私、凱なしでやっていけるのかしら。ダメかもしれない」
不安がそのまま口に出て、外に向けて放った言葉が自分自身に返ってきて体が重くなるようだった。言わなければ良かったと瞬時に思った。フォローを期待するような言葉だった。
「よく言うよ。なくちゃ駄目なのはチョコだろ」
傘の中にいる、鼻で笑う彼を想像した。きっと、想像通りの顔をしているだろう。
雨は降り続けている。