柵の政治屋vs.奇跡の政治家
1927年、貧困対策に対する日本人の関心が高まり、宮澤賢治がカールマルクスを天才と讃える『生徒諸君に寄せる』の執筆に着手した
また、漢冶萍媒鉄厰礦有限公司の日中合弁失敗等を齎した資本主義制度運用が民衆貧困化の原因だとする思想が蔓延した。
宮澤賢治が著した「ポラーノの広場」は、次のようなアラスジの物語である。
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昔、モリーオ市の郊外の野原には、市民達が集って祭りを楽しんだというポラーノの広場があった。そこではよくコンサートやオーケストラがあり、どんな人でも上手に歌うことができるという伝説があった。
博物局員のキューストは、「5月のしまいの日曜日」に脱走したヤギを見つけてくれた少年のファゼーロから、最近ポラーノの広場が復活したという話を聞く。興味を持ったキューストは約10日後に羊飼いのミーロと三人でつめくさの灯をたどる探索をはじめるが、見つからない。あきらめかけていたが、さらに5日後、ファゼーロが、ついにポラーノの広場を見つけ出したというニュースを持ってきて騒然となる。
しかし広場に到着すると、そこは山猫博士ことデステゥパーゴ県会議員らによる酒盛りの場であった。参加者による歌合戦が開かれる中、酔った山猫博士がファゼーロと悶着をおこし、食卓ナイフで決闘になってしまう。決闘は事なきを得たものの、その夜からファゼーロ少年が失踪してしまう。
失踪事件は警察沙汰となり、山猫博士も行方をくらませてしまう。ファゼーロが見つからないまま夏を迎え、キューストは出張帰りに立ち寄ったセンダード市で、偶然に憔悴した山猫博士を見つけ、山猫博士の決闘の夜の事情を知る。彼は工場の経営に失敗してヤケ酒を飲んで、騒ぎを起こしただけであり、失踪には関わっていないと言う話を聞いて別れる。
9月1日の夕方になって、ファゼーロが突然やってくる。少年はセンダード市で革染め工場で働いていたと打ち明けた。二人は倒産した密造酒工場を見て周りながら、この工場をもっと正直な会社に再建する夢を語り合う。そして理想的な産業組合を運営して、本当のポラーノの広場を自らの手で造ろうと誓い合う。
7年後ファゼーロの経営する工場は軌道に乗り、生産されたハムと皮類と醋酸とオートミールはモリーオ市の特産品として出荷できるまでに成長した。キューストは3年後に博物局員を辞めて、大学の副手や農事試験場の技手などを務めた後、大都会のトキーオで働いていた。ある日、友達のできないキューストの元に楽譜が届く。そこには聞き覚えのあるポラーノの広場の歌が印刷されていて、キューストは昔の友人たちを懐かしむのであった。
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ここに登場する山猫博士が、「政治屋」イメージの象徴である。
「政治屋」という言葉は、2024年の東京都知事選で脚光を浴びた。7月15日付赤旗に、次のような記載がある。
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日本共産党の小池晃書記局長は14日の仙台市内のつどいで、東京都知事選の結果をどう見ているか参加者に問われ、「蓮舫候補が当選できなかったのは残念だが、『ひとり街宣』の広がりなど、新たな民主主義の力が示されたことは重要だった」と述べました。
その上で、小池氏は都知事選の候補者だった石丸伸二前安芸高田市長について、「石丸氏が『政治屋の一掃…政党のしがらみがない』ことを唯一の売り物にしたことで、自民党政治や小池都政に不満を持つ人たちの一定部分が投票したのだろう。しかし、石丸氏の選対本部長は『TOKYO自民党政経塾』の塾長代行であり、この塾の主宰者は自民党の萩生田光一衆院議員。『ミスター裏金』議員だ」と指摘。「『政治屋の一掃』どころか、政治屋そのもの。しがらみでがんじがらめだ」と批判しました。
小池氏は「これまでも、政治の流れを大きく変える動きが出てきた時には、それをつぶそうと共産党を攻撃したり、『第三極』を装う動きが出てきた…都知事選に取り組んだ人たちの意見をよく聞いて、こうした動きを打ち破る組織的な取り組みをどうすすめるか、教訓を引き出したい」と述べました。
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「政治屋」とは、「利権に絡む柵に囚われた人」を意味する言葉である。
2024年兵庫県知事選に立候補した前尼崎市長の稲村和美氏は、柵に囚われた人だと思われている。
立候補表明後、各地の市長や公共事業関係者を訪問したので、利権政治を復活させる為の相談をしたのだろうと噂された。
また、松本剛明総務大臣は、斎藤元彦候補(前兵庫県知事)を邪険に扱った際に、稲村候補の仲間ではないかと噂された。
れいわ新選組参議院政策委員の長谷川羽衣子(本名朴羽衣子)氏や日本コリア協会の関係者らは、稲村和美氏を称揚する情報を盛んに発信するとともに、斎藤元彦候補に対するネガティブ・キャンペーン(嘘や下品な誹謗中傷で顰蹙をかうような…)を行っている。
2024年兵庫県知事選に立候補した前兵庫県知事の斎藤元彦氏は、自らの報酬を減額し退職金を半減させることで県財政再建の意志を示すとともに、旧弊利権を減らそうとして、県政改革を進めた人物である。
ここに、県政改革を阻もうとする次のような勢力の共闘関係が成立する条件が整った。
・ 「文化人」の公金吸引先確保に余念のない報道関係者
・ 「利権のお零れに与かる役得や口利きの機会」求める県議
・ 県の金や規制権限を利用しようとする市町長
・ 「県庁の存在意義は失業対策」と嘯き有害無益な組織を創る職員意識
・ 「仕事は軽く給与は高く」を求める労組
・ 関連組織に寄生するOB
・ 公金貪る反社
県議会百条委員会では、「死を以て抗議する」との書置きを残したと伝えられる渡瀬康英元県民局長に関する斎藤知事の責任が問われた。渡瀬康英氏が県会議員や報道機関宛に送付した文書に記載されていたのは、他の県職員や知事に対する誹謗中傷だったが、それを何の検証も無く、真実だという前提で、県議会のメンバーは、「同局長の自死は斎藤知事のパワハラに起因する」旨を認めるよう斎藤知事に迫った。斎藤知事が身に覚え無くて困惑してると、「道義的責任」を認めるよう更に迫った。斎藤知事は身に覚えが無いので、質問の意図を量りかねて、「道義的責任の意味が分からない」旨の発言をしたが、この発言を捉えて、「斎藤元彦は道義的責任の意味も分からないサイコパス」という非難が湧き溢れた。
県議会百条委員会は県職員に対するアンケート調査を行ったが、無記名で誰でも何回でも回答できるような杜撰なものだった。アンケート調査で集められた回答には、バカバカしく一見して嘘だと見抜けるような噴飯物の内容を伝聞した旨の記載が満載されていた。それらを元に、報道機関は「おねだり知事…パワハラ知事」と印象付けるキャンペーンを行った。
難癖難詰や虚報攻撃の凄まじさに対して、斎藤元彦氏が紳士的に対応する様は、地動説の撤回を迫る異端尋問に耐えるガリレオ・ガリレイのように見えた。
また、罵詈雑言の嵐に対して、誰も非難せず丁寧な言葉使いで対応する斎藤元彦氏の対応を「非暴言不服従」とマハトマ・ガンジーに準えて評価する人々も現れた。
結局、旧弊勢力の総攻撃は功を奏し、斎藤元彦氏は知事の座を追われた。
この顛末に、上山信一慶應大学名誉教授は、「改革するなら敵と戦わないと。ガンガン発信し冤罪なんか蹴飛ばす。そして相手を恐怖に陥れて黙らせる。それをやらないなら勝てない。議会選挙に持ち込んでも良いが、すでに時間がかかりすぎ。気の毒だが、実績は開示した上でいったん辞任されたほうが良いと思う」旨、呟いた。
僕は、「上山信一慶大名誉教授の歯痒い思いも分かるが、人は其々得手不得手がある。不得手なことをやろうとしても、上手くいく筈が無い。斎藤元彦氏が愚直・誠実一筋なのは、短所でもあるが長所でもある。愚直・誠実一筋の人物が策士に陥れられるのが見ておれないから援けようという私達と同じような気持ちの人々は、少なくないように思われる」旨、返信した。
他県民の はっぴーしーず氏は「奇跡のように誠実な心を持った政治家を潰そうとしている勢力があり、まるで極悪な血の通っていない人間であるかのように公共の電波を使って嘘が流された。そして今もなお、騙されていることすら知らない人たちがいる」旨、呟いた。
斎藤元彦氏の座右の銘は「雲中雲を見ず」。周囲が全て雲に包まれて視界が遮られれば、どれが雨雲なのかどれが何なのか…判断できなくなることから、これを「自分が偉くなって周囲の者に同化してしまうと、市井の人々を忘れてしまう」状況に準えて、そうならないよう戒める為の言葉を座右の銘としたように思われる。
「清廉・篤実・恩情の人」が斎藤元彦氏に対する拙評価である。




