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吹っ切れ三昧

 黄金週間は無慈悲にも断ち切られ、鉛色の季節がやってきた。そんなこととは一切関係なく、今日もまた螺旋状の少年が綴られるのだった。

 きみがこれを読んでいるころには、螺旋状の少年は三十万文字を超えていることだろう。書きも書いたり三十万文字。三千字強を日々積み上げていくと、こういうことになる。明確な目的や強固な意思もなく書き綴った三十万文字をどのように評価すればいいのか。おれですらも困惑している。

 きみにとってはきっとどうでもいいことだろう。「きっと」って「きみにとって」の略なのかもしかして? 一瞬そう思ったが、たぶん違う。絶対に違う。断言したっていい。違うったら違う。例によって調べたりはしない。こういうふと思ったことをいちいち調べたりするやつが何者かになれるのだろう。ましてや調べるってことに関してのハードルの低さは過去最高の時代だ。低さが最高って意味がわからないけど、わかるんだよな不思議と。そんな大検索時代において、おれはどうでもいいことは調べない姿勢をとる。トリビアを増やしたってしょうがない。おれは何者かなどになりたくはない。おれはおれだ。おれなんだ。それがおれの唯一の拠り所なんだ。


 こんなことは本当にやめたい。おれはおれだ、なんて最低の宣言だ。自己認識をいちいち確認するなんて、脆弱なアイデンティティを自ら晒しているようなものだ。しかし、おれはおれじゃない、とは言えない。どう考えたってやっぱり、おれはおれなわけで、おれ以外にはなりえない。こういうことをいちいち書くということが、実は何者かであることを人一倍拘っていることの証左にならないか、ということをおれは危惧している。本当のところはなにもわからない。おれはいまの自分に満足しているのか。満足しているとも言えるし、満足していないとも言える。その満足していない部分、その正体は? なぜおれは認められていないのか。そういうことなのではないか? 認めよう。それはそうだ。おれは他人に認められるべきと自分で思っていることが認められていないことに、フラストレーションを抱えている。欲求不満で死にそうだ。だがその欲求は底なしだ。底なしの欲求からは目を逸らして逃げるに限る。本当にそうだろうか。現におれは逃げ切れていないのだから、もう逃げようとすることはやめて、おれの欲求に真っ向から立ち向かうべき時期がきているのではないだろうか。もはや遅きに失しているかもしれないが。ああ、考えておこう。考えるべきことリストに追加しておこう。とりあえずいまは文章を書かなければ。おれは忙しいんだ。忙しくて死にそうだよ。考えるべきことリストに目を通す暇もない。文章を書かなければ。文章、文章、文章。言葉、言葉、言葉。おれを救う文章。おれを良い気分にさせる言葉。そいつが必要なんだ、おれには。


 おれは運に頼って生きている。ダイスを転がした先で出会ったものに意味がある。そう信じている。風任せ。行き当たりばったり。占いに耽溺する連中となにも変わりやしない。だが占いを軽視するのは早計に過ぎる。占いは統計と魔術のミックスルールだ。知性が密接に関与した技法であることは間違いない。偶然か必然か恣意的か意図的かはわからないが、現象として表出した相に意味をこじつけるには文学的な能力が必要だ。そういう意味で、無限の可能性が占いにはあると言えないだろうか。

 すべては言葉に収束してゆく。言葉でなら、怠惰や怠慢に見える姿勢を、如何様にも表現、演出することができる。問題は、それは言葉の悪用ではないのかどうなのか、そういうことだ。そこが難しいところだ。いや、本当に、マジで難しい。結局は言葉を扱う当人の良識に委ねられているということになろう。では、おれは? おれは良識に溢れているだろう。でも冗談抜きの本当のところは、おれにもよくわからない。マジな答えは日によって違う。それをおれは気分と言う。おれは気分に操られている悲しいロボットだ。

 偶然も運も必然も運命も、おれの中ではぜんぶほぼ一緒だ。でも微妙に違うし、実際に言葉の定義としても明確に違うのだろう。だがそいつらが同時に発動した結果、もたらされたおれの今日の気分、おれ個人の意思ではどうにもできない部分、それに従っていくしかない、と言う意味で一緒だ。

 おれはもう諦めの意味での観念をしている。それでもなんとか良い方向に向かうマインドセットを作り上げようと、もがきもしている。だが良い方向とはなんだろうか。

 結局はニュアンスとか雰囲気とか、そういった語り得ぬものを表現した、隙間を埋める言葉に頼らざるを得なくなる。きっとそこらへんの捉え方や感じ方が人によって違っていたりするから、いろいろと面倒くさいことになっている。語っても語っても、なにも語ったことにはならない。であるならば語ることをやめてしまえばいい。そう思い立ち、書かれたのが夜尿症の少年であり、螺旋状の少年であるのだが、結局おれは語っているのだった。気持ちよさそうに語るのだった。


 そんなおれのいる光景を見て、たまに吐き気を催す。目を覆い、耳を塞ぎたくなる。ジャイアンリサイタルを動画で見せられたジャイアンのようなものだ。ジャイアンは現代でもジャイアンたり得るのだろうか。おれはジャイアン、ガキ大将。おまえのものはおれのもの。そういったマインドを保ち続けることができるだろうか。井の中のプライドは手のひらサイズの端末によって早々に潰される時代だ。それでもジャイアンリサイタルを開催できるだろうか。そうだ。それでもジャイアンは歌うことをやめやしないだろう。目を覆い耳を塞ぎたくなるような歌を響かせ続けるだろう。ボエ~。ってな風に。

 おれもそうだ。それでも文章を書き続けるんだ。おれにしか書くことのできない文章などは存在しない。あらゆる文章はすでに達成されている。おれの書く文章はそれらの超絶劣化に過ぎない。足元にも及ばない。だからなんだってんだ。そう開き直ることもできたら話は簡単なんだが、そういうわけにもいかないのだった。

 そういうわけにもいかないのだから、吐きながら、目を背けながら、耳を塞ぎながら、どうしても意識に入り込んでくる己の醜悪さに耐えながら、それでも文章を書き続けてているおれカッケー、ってやるのはもう飽きたんだおれは。もうどうしましょう。嫌になってしまうわ。どうしてこんなにちっぽけな存在なのかしら。上には上がいて。下には下がいて。横には横がいて。目の前は真っ暗で。痛みだけはしっかり味わいなさいって、それはもう拷問以外のどなたでもありませんわ。本当に嫌になってしまうわ。


 まあ、頑張れ。他人事のようにそんな言葉を投げかけて、この問題に終止符を打ちたい。だってぜんぶ嘘ですもの。おれはこんな風に苦しんでなんかいない。おれがなにを書いているかなんて、結構どうでもいいんだ。書けない苦しみに比べたら、なんてことない。おれはしばらく苦しかった。それは書けなかったからだ。書けないなりになんとか書いちゃいたが、あの書けなさっぷりは筆舌にしがたいものがあった。それでもおれは書いちゃうんだけどね。おれのそういうところは尊敬に値する。今日のおれは書けた。するすると書けた。これですよ、これ。悩んでいる暇なんてない。苦しんでいる時間が勿体ない。そんなことにうつつを抜かしているのなら、出鱈目でもなんでも勢いで書く。書き貫け。それが阿部千代の書く螺旋状の少年なのだった。

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