ほっとけないアイツ
分厚い雲が垂れ込め、強く風が吹いている。嵐の予感だ。でもお天気アプリを見てみたらそうでもなかった。だが空を見てみろよ。いまにも大粒の雨が降ってきそうじゃないか。それでも嵐はやってこないってのか? 風の谷にとりわけ強い風が吹いていたあの晩、風車のきしむ音を聞きながら悪い予感を膨らませていたあの晩を思い出し、おれはなんだか嫌な気持ちになるのだった。
荒ぶる風の音だけの静寂。普段よりもずっと静かに感じるのはなぜだろう。そんな中で、キーボードを叩く音が際立ち、おれは文章を書いていることを強く意識した。書くほどのことなど。書くべきことなど。それでも書いてしまうしかないおれの呪われた運命を、どなたかズバッと断ち切ってもらえないだろうか。こんなことをしていたって一歩も前に進めやしない。でもこういう場合の前に進むってなんだろう? おれは前に進んだことがないから、そんな実感を持ったことがないから、よくわからないのだった。
生まれてからずっと同じ場所にいる気がする。すべては一瞬で起こって、そしてその果てのいま、おれは変わらずにずっと、いまここ、そこにいる。
だが同時におれはずっと迷子でもあった。迷子であることが常態化してしまったおかげで、迷子であることの恐ろしさ心細さをすっかり忘れていたのだが、おれは迷子だったんですよ。どこではぐれてしまったのか、行く道、来た道、なにもわからない。シルエットだけの幽霊が目の前を足早に通り過ぎてゆく様をただ見つめていることしかできない。誰かおせっかいなやつが、坊やひとりでどうしたの? そう声を掛けてくれたっていいようなものなのに、みなおれのことなど見えていないようだ。もしかしたら、おれが幽霊なのか。逆にね?
まあ声を掛けられたって困る。人に親切をされると悲しくなってしまう。留めていたものが一気に溢れ出しそうになって、それを我慢するために微妙な顔をしてしまう。なんてかわいげのないガキなんだ、そう言われて平手打ちされてしまうかもしれない。そんなことになってしまったら、おれは二度と人を信じることができなくなってしまうだろう。そしたらこの先、なにを信じていけばいいんだ。おれだって人なんだ。おれがおれを信じられなくなったらもうお終いだよ。なにもかも終了だ。そのあとはどうするんだ。終わりの先にはなにがあるんだ。なにが始まるというんだ。そんなことを考えていたら、不安過ぎて一歩も動けなくなってしまった。未来なんて存在しない。ただ不安があるだけだ。不安こそが未来の正体だ。それがおれたちを狂わすんだ。存在していないものに怯えて勝手にとち狂っていく。ここまで馬鹿な生き物がかつて存在しただろうか?
このような文章を書くことだって生命活動とは一切関係のない行為だし、こんな文章を読むことだってそうだと言える。けどもう何度も何度も言ってるけど、人はパンのみで生くるにあらず、なのよ。いや、おれが言ったわけじゃないよ。言ったのはジーザスだから。おれは引用しているだけ。すごくいい言葉だと思いますよ。本当にそのとおり。だからジーザスは信頼できるんだ。でもその逆もまた然りでね、人間が生きていくのには確実にパンが必要なんです。パンは最低条件なんです。その最低条件すら満たされない人が世界にはあまりにも多すぎるし、おれの住むこの国だってパンだけで精一杯、だんだんとパンすらも怪しくなってきたという人が増えてきている。
おれだって余裕ぶっこいているけど、どうなるかわかりませんから。貧しいってあまり良いことないからね。身体にも精神にも人生にも良くないことだらけ。おれのように自発的にあまり働かないで貧しいのならまだ救いはある。最悪なのは毎日一生懸命働いて、それなのにどうにも貧しいって場合だよ。こんなのなにかが間違っているとしか思えない。毎日職安に通ったりしているのも、おれの中では働いているに含まれるから。嫌なことをやってるのは、やらざるを得ないのは、すべて働いているに含まれるんだよ。おれの理屈だとね。だから究極、生きているだけで働いているみたいなものなんだ。自分がしたいことやするべきことが仕事、それ以外はぜんぶ労働だ。生命を維持するためだけの活動はすべて労働だ。
労働なんて大抵はひどくておぞましいものだ。人間が本来持つべき美徳のいくつかを確実に奪い去ってゆく。労働を美徳だと思っている連中は、嫉妬深く、欲深く、薄汚い密告者だと思って間違いはない。
おれはなにも働きたくないと言っているわけではない。もちろん働きたくはないが、そういうわけにもいかないのは重々承知している。もう少し手心を加えてくれ、そう言いたいのですね。やりたくないことをやらないといけないのは皆一緒。お互い様だ。みんなで一緒にラクして生きていきましょうよ。そうしないと、この世はクソ野郎で溢れかえることになる。これ以上クソ野郎が増えてしまったら、おれみたいな繊細な妖精は絶滅してしまうよ。みんなで妖精を保護しよう。
生臭いことを書いてしまった。こんなことはどうでもいい。螺旋状の少年で吐くような言葉ではない。それもこれもすべて、いい感じの言葉が出てこないせいだ。ここまで出てこないということは、もう全部書いてしまったのかもしれない。となると、これからずっと言葉の抜け殻を並べ続けなければいけないというのか。それは勘弁してくれ。もう少しなんとかしてほしい。先生、なんとかなりませんか。
医者は黙って首を横に振るのだった。わざとらしいやつだ。なんか言え。大体おれは医者が嫌いなんだ。連中はいつでも苛ついていて、妙に偉そうだ。ただおれは医者も嫌いだが病院という場所がもっと嫌いだ。医者と対面する頃には、この地獄のような時間もようやく終わりを迎えようとしているという状況に、おれの機嫌は良くなっているので、表立って医者に反旗を翻したことはないのだった。そんなことをして、癌細胞を注入されてしまったらたまらんしな。
なにしろ病院というやつはとにかく待たせるんだ。なにもかもがスムーズにいかない。なんのための予約だ、そう叫びたい時もある。だがまあいろいろ事情はあるのだろう。あるのだろうが、それにしても苛つく。おれの貧乏揺すりがとんでもないことになる。膝が鹿のように跳ねている。もうそれわざとだろうってくらいの勢いだ。確かに貧乏揺すりってやつは半分くらいはわざとやっている感じがある。なぜそんなことをするのだろうか。貧しいからだ。
だが貧しさに負けてはいけない。負けて良いことなどなにもない。自己責任とかいう少しだけ耳に痛い言葉は、丸めて屑籠に捨ててしまえ。実際問題、自己責任とか言い出すやつはクソ野郎ばかりだ。考えてみてほしい。おれは偉いが、おまえらはウジ虫以下のクソ野郎だ。そんな言葉をまともなやつが言うだろうか。普段のおれ? おれのことはいいんだ。ほっといてくれ。
人面犬の話は覚えているだろうか。おっさんの顔に犬の身体という妙なやつだ。あいつは喋るらしくて、ゴミを漁っているところを目撃した人が声を掛けたら、ほっといてくれよ、ぶっきらぼうにそう吐き捨てたという伝承が残っている。いったいやつになにがあったのだろうか。というか、それは四つん這いでゴミを漁っていた人間だったのでは? 仮におれがゴミを漁っている現場で声を掛けられたら、捨て鉢な態度にもなろうというものだ。バブル期に咲いた徒花、人面犬。その正体は狂い咲く時代に見捨てられたホームレスだったのではないか。そんな説を今更唱えて、今日の文章はここで途切れた。




