避けられないが食い止めるべき喪失
都会から郊外。崩壊していく世界を視界に捉え、喰らえ、呟いて川を渡れば、そこはもう倉庫街。そりゃ本当かい? マスオのような声で驚く男の顔からみるみるうちに血の気が引いていったのだった。すべてが嘘だとしても、きっとずっと騙されたままでいるだろう。下された命令に銘々疑問を抱きつつも、自らの意思で疑問を叩き潰す。音もなく川を下るはしけを遠く眺めながら、遙か向こうの海、さらにそのずっと向こうの大陸、港、森、山、谷、砂漠、そしてまた海、大陸。一周して戻ってみると、乖離した影がひとり、まだここで佇んでいるのだった。
あまり光の差さない陰の場所、今日もここで文章を書きはじめた。特筆すべきことはなにもない。そういうことは他の人に任せている。おれはただ浮遊するだけ。忘れ去られた冬の痕跡を書き残すだけ。どこかの自分が残した足跡を辿るだけ。即席の旅路だ。ただそれだけで、文章は完成する。感性など当てにしてはいけない。端正なだけの文章に用はない。混乱と混沌の混血児が呼び起こす騒乱をじっくりと眺めていてくれ。一瞬の計算で築かれた砂の城を凄惨なまでに一蹴してみせよう。考えすぎると頭が痛くなってしまう。あまり気に病むなって。きみはよくやったよ。勝負には負けたが、喧嘩には勝ったんだ。
泣くな。うつむくな。目を閉じるな。見据えてやろうじゃないか。このままずっと。
ルーティーンの中でもがく。やっと抜け出してみせたって、そこはまた新しいルーティーンの入り口。おれはもうまったく折れてしまいそうだ。これからのことを考えるとげっそりしてくる。例えばこれから何度シャワーを浴びなければならないのか、これから何度便所に行かなければならないのか、等々。
生身というものは本当に不便で、おまけにきりがない。永遠という言葉を持ってきたいほどのきりのなさに絶望に近い憂鬱を覚える。もう飽きた。飽き飽きだ。どこに行こうがなにをしようが、そこに感動はない。なにもかもが嘘のよう。現実感の不足、当事者性の欠如は如何ともしがたい。誰もが興奮しているなか、たったひとり、おれだけがしらけているような、そんな気分でゴリゴリ強引に掘り進めて行く、でたらめな方向に。
人はなぜ噂を流すのだろうか。ろくに調べもせずに、自分の気分にぴったりくる言説に興奮してしまうのだろうか。その行為によって傷つく人の存在など知らん、そういうことなのだろうか。おれは傷ついている人を見るとしょんぼりしてしまうが、そんなおれは頭がいかれているのだろうか。
浮かれた連中を見たってなにも思わない。勝手に浮かれていればいい。連中とおれとの差は歴然だ。どっちが良い悪いではなく、そこには段差があるだけだ。もちろんそのギャップのみでは心もとないのでおれは壁を作るが、その壁は特別強固というわけでもない。ただその壁のおかげで、おれはおれを保つことができている。作られた隔絶がかろうじておれを健康に押しとどめておいてくれる。
子どものころ、疲れ果て打ちひしがれているように見える大人の側にいると、胸が騒いだ。泣き出しそうになった。消えてしまいたくなった。彼らが幸せそうにしてくれるのであれば、おれの身などはどうなってもいい、強くそう考えたものだが、おれの身などはなんの価値もない。そのことを知ってしまったのがおれの絶望だ。エゴイスティックな絶望だ。おれは不幸が嫌いなんだ。だからおれには壁が必要だったんだ。それだけのことだ。
ラスコーリニコフのみた夢、痩せこけた馬が民衆に打ち殺される夢、あの部分を読むとおれの中の螺旋状の少年が蘇るのだった。あまりにも辛く、悲しい。そりゃ読み解く人は、いろいろと見出すのだろうさ。哀れな馬は、愚かな民衆は、なにを示唆しているのか。実際どのようにも読むことができるし、だからドストエフスキーはもの凄いのだろうけど、おれはあの部分を読むと単純に苦しくなるのだった。
こんな辛く惨いことを書かなければ、考えなければいけないのだろうか。そうでないと小説を書くことはできないのだろうか。これもおれの絶望だ。辛いことから目を逸らそうとしてしまう弱さへの絶望だ。
だがおれは悪徳金貸し婆がラスコーリニコフに頭をかち割られても、なにも感じないのだった。むしろスカッとすらするのだった。巻き添えでやられたリザヴェータも、まあ可哀想っちゃ可哀想だけど、最後まで運がなかったなリザヴェータ、で済ましてしまうのだった。
そんなおれをドストエフスキーは当然のように見透かしているような気がする。そんなもんなんだよ、おまえなんて。おまえのようなクソ野郎に喰らわせるための罪と罰なんだ。そう言われているような気がする。彼はどのような視点でもって小説を書いていたのだろう。そういうことを考えるとおれはまた頭が痛くなる。あまりの自分の小ささ浅さに絶望する。やる気もなくなってしまった。
それでも書くことをやめない。やる気はないが、退却はしない。それがおれの最後の一線だ。越えたら最後、あとは堕ちるだけだ。底はない。ただ堕ち続ける。そういうわけにはいかない。おれも一応、生きているもんで。ここで踏みとどまることを許してもらわなければならない。救いなどは期待していない。罪を逃れた罰はきっちりと受け止めよう。もちろん最悪の気分だ。すごく嫌だ。だが何故とは思わない。当然の報いだ。
生きてきてしまったのだ。なにも考えず、なにも感じずに。そのままでここまで来てしまったのだった。引き返す好機もやり直す転機もすべて無視した。見えてはいたが、考えるまでに至らなかった。おれには廻り道が必要だったのだ。じっくりと取り組むべきだったのだ。今ならまだ間に合う? ああ、そうだろう。そうだろうとも。おれはまだまだ若造だ。だがもう半分以上死んでいる……。
キレそうになる。自棄を起こしそうになる。まあ別にキレたっていいのだけど、どうにもそんな気分にはならない……。ため息ひとつ漏らしたくない……。すべてに反発したい。おれの気分にさえも。
そんなおれのことなどお構いなしに真夏日だ。太陽が狂っている。いや、それは最初からだ。太陽の狂気を食い止めていたものが無くなりつつあるのだった。喪失していく。なにもかもが。おれの中からも、外からも、少しずつ空気が抜けていくんだ。ずいぶんと長い悪夢だ。いつ始まったのかも定かではないほどだ。ごくごく最近のことだったような気もするし、遠い昔から連綿と続いているような気もする。おれはこいつを笑い飛ばせばいいのか、それともキレ散らかせばいいのか、態度を決めかねている。まごまごしている間に時代が変わってしまった。いつまでこんなことを繰り返せばいいのだろう?
当然のようにすべては同時に起こり、また当然のようにおれはなにが起こっているのかまったくわからないままだ。民衆は残虐な笑みを浮かべて、いまにも哀れな馬を殺そうとしている。おれはもう見ていられない。めそめそ泣き出してしまいそうだ。彼らには彼らなりの理由が……いいや、結構。そんな話は聞きたくもない。よってたかって哀れな馬を殺す理由などあってたまるか。いますぐにでもやめてほしい。幼稚な理屈で動くのはもうやめるんだ。
だが飛蝗と化した群れはもうどうにもできない。獰猛なやつらを抑える術をおれは知らない。指を咥えて見ていることしかできない。心を痛めることだけしかできやしない。それがいまのおれの絶望なのだった。




