熱いぜ熱いぜ熱くて死ぬぜ
なんだっていまさら魔方陣グルグルなんだ。衛藤ヒロユキと言えば、「ピコピコ」っていうマンガがあって、どんな媒体で発表されていたのかは忘れたけど、なんかおもしろかった気がする。あと、あれですね。ふんどし! おまえが落ち着け。ってやつだよね。ドラゴンクエスト4コマ漫画劇場の一幕です。おれなんてドラクエを遊んだことないのに4コマ漫画劇場は読み込んでいたからね。パロディを見て、元ネタを推察するという高次元の遊びをしていた少年時代の経験が、いまのおれの文章書きに活かされているというわけだな。また適当なことを書いている。でもまあ、そういうこともあるかもしれないだろう。蓄積で生きているわけだから。
大人になってからインプットをしなければとか騒いでいるやつは碌なものではない。小賢しい。おまえ、インプットって言いたいだけだろう。インプットってしばらくあまり聞かない言葉だったけど、特に最近よく目にするようになった。どうせビジネス馬鹿が流行らせたんだろう。空虚な言葉は大抵ビジネス本経由だ。インプットなんておれの中では70年代の言葉だ。ヒッピー連中がよく使っていた。ていうかおれの親の周辺がよく使っていた。こぞって群れようとする中身が空洞な連中はいつの時代も似たようなものだ。理念も思想もまったく違うけれど、根っこは一緒だってことだ。おまえら全員お払い箱じゃ。このおれが邪悪な存在を祓ってやる。醜悪で目障りでみっともないやつらを駆逐してやる。意気込みはじゅうぶん。でも声は小さい。誰の耳にも届かない。それも人生。それが人生。
今年も暑くなるという。去年は灼熱地獄だった。原因がなんにしろ、地球が暑くなり続けているのは間違いないようだ。肌感覚でわかる気温の変動ってめちゃくちゃヤバくないか? でもそれだってずっと言われ続けていたことだ。少子化。貧富の格差。温暖化。すべて何十年も前から危惧されていたこと。他にもたくさんあるに違いない。おれがなにを言いたいのかというと、人間みんなおれだ、ということだ。
ケツに火がつくまでケツを上げない。火がついたとしても、しばらくは気づかぬフリをする。で、手遅れになる。ケツが焼けただれる。それでもおれ個人のことなら、おれ個人が責任を持ってなんとか帳尻を合わせることができるけれど、こうスケールがデカいとどうなんでしょうね。なんかもう捨て鉢な気分が漂っている気がするけど、それはおれの気のせいか? レミングの集団自殺はデマだったらしい。さて、人間は?
他人事ヅラしているが、おれも人間の末端だ。それはそうなのだが、だからと言ってもね。どうしろと? グレタさんとかさ。ああいう系の人たちのことを馬鹿にする人が多いけど、あの手の連中がなぜあそこまでヒステリックなのかを少しは考えた方がいい。確かにおれも、連中はみっともないと感じてしまうわけだが、同時にああいう風にするしかないよなって気持ちもある。だって穏やかにやったって誰も辛気くさい話なんてまともに聞いてくれやしないだろう。どうせなにもかも手遅れだったとしても、それでも抗おうとする人たちをおれは心から馬鹿にすることなんてできない。
食って、寝て、屁をこいて、くんくん嗅いで、ぼりぼり掻いて、へらへら笑っている。そんなおまえよりはよっぽどマシなんだ。そんなおれよりはよっぽど。
毎日文章を書いているとおのずと見えてくる。おれのクセ。おれの好きな感じ。そして現時点での限界。見えてはくるが、それをどうにかしようとは考えないのだった。いや、おれひとりで遊ぶときはあるよ。おれのクセを逆手にとったり、おれの好みを茶化したり。でもそんな遊びで楽しめるのは、おそらくおれだけだから。
螺旋状の少年を読んでいる人たちはなにを考えているのだろう。わからないね。おれがおれの書く文章をおもしろいと言うのはわかる。おれ仕様にチューンされた文章だ。端折ったり、繰り返したり、変調したり。すべてはおれの気持ちよさのためだ。
おれの文章はあなたに快を届けることができているのだろうか。甚だ心もとないが、おれはなにをすれば人が喜ぶのか、そういうところがとんとわからないのであった。人を喜ばせたい気持ちがあるにはある。おれがなにかをすることによって、誰かが幸せになるなんて素敵じゃないか。まあでもそれはおれの仕事ではないか。そんな気がする。他人のために書く文章など、おれには嘘っぱちにしか思えない。人は嘘を求めているのかもしれない。甘く心地のよい嘘を。夢気分に浸れる嘘。ふわふわサクサクのメレンゲクッキーのような嘘。さっと溶けて消えていく。しゅわっと消えていく。引っかかりもなく、えぐみもない。それはいいね。最高だ。だがたまには煮干しも食おう。カルシウムもたっぷりだ。
さて。しかしだ。いくら自分のためだとは言え、こうまで毎日飽きずに文章を書き続けられるものかね。なにかよくないことを企んでいるのではないか。ああ、もちろん賞賛なら歓迎だ。罵詈雑言も歓迎だ。それらはおれを良い気持ちにさせてくれる。おれの居場所であるじめっとした日陰に、ほんの一瞬だけ暖かい光が差したような気分にさせてくれる。たったひとりでも、そういったアクションを起こしてくれると、おれは大した有名人になったような気分に浸ることができる。ほんの一瞬だけ、ね。
だがそれはそれ、これはこれ。これというのはつまりは文章で、文章というのは永遠の謎である。その謎を解き明かしたいなどと大層なことは考えちゃいない。謎と相撲をとって遊ぶんだ。おれは投げ飛ばされて落とされてすかされて潰されて、まったく跳ね返されてばかりだけど、こいつはなかなか楽しいよ。
せっかく手に入れた玩具だ。そう簡単に手放すわけにはいかない。つまり螺旋状の少年は、文章で遊ぶおれをリアルタイムで伝える、ゲーム実況動画のようなものだ。
ゲーム実況動画の謎のおもしろさを考えたことがあるかい? 弟者とか最高だろう。最高だけど、他人がゲームで遊んでいる様子を見て楽しむって、わけわからないよな。かなり倒錯した高次元の楽しみ方じゃないか。だが幼児ですらもほかの子どもが玩具で遊んでいる動画を食い入るようにみるという。ということは他人が楽しんでいる光景を見て楽しむというのは、倒錯的というよりもむしろプリミティヴな楽しみ方なのだということだ。共感ってやつだろうか。わけがわからない。
本当におれは適当だ。なぜこんなに適当に文章を書くことができるのだろう。それはやっぱりあまりにも書くことがないということに深く関係している。関係しているもなにも、そのものズバリだったりするからこっちとしてはたまらない。おれの書いていることをあまり真に受けてほしくないね。などと書くだけ野暮というものか。こんなものを真に受ける馬鹿がいるわけがない。だけど世の中には陰謀論のような与太話を真に受ける馬鹿がいる。馬鹿にできないくらいの数で存在している。そういうやつと出会ってしまったら、おれは馬鹿なことを言うのはおよしよ。そう言ってやるのだが、連中の中では既にそれは真実となっているので、連中からしてみたらおれが馬鹿だ。
世の中は馬鹿と馬鹿がせめぎあっている。なにもかもが馬鹿らしく、笑えない冗談だ。だが今年の夏はきっと暑くてたまらないだろう。死を予感する暑さ。もう勘弁してほしい。気象兵器だろうがなんだろうが、どうだっていい。むしろ気象兵器の方がまだマシじゃないか。仕掛けているやつが止めてくれればそれでいいのだから。問題はもしこれが本当に人間の諸々の活動から排出された温室効果ガスを原因とした地球温暖化であった場合だ。どうする? このままいっとく? ガンガンいこうぜ? いのちだいじに? これらもすべてドラゴンクエスト4コマ漫画劇場からの知識であるということを添えて、おれは南極へ立つ。




