くらげ、海のなか
頭ではゴー、現実ではノー。あるいはその逆。なんだかまったく身動きがとれなくなってしまった。頭の中では出て行きたいと思っていても、現実にそうはならないのは二重の苦しみだ。
目を覚ました方がいい。きみに現実を変える力はないが、きみの居場所を変えるくらいの力はあるはずだ。そうする。必要なものは実際にそうするという意思の力だけだ。そう思う。そう願う。そうなると思う。そうなりたいと思う。そうならなければならないとそう思う。なぜそうならなければならないのか。そうしたいと思うからだ。そうすべきと思う。そうするしかないとそう思う。なぜそうするしかないのか。それがおれだからだ。おれはそうするからだ。
どんなに苦しもうと、悩もうと、最終的におれはやってみせるだろう。そこに懸念は抱いていない。おれはやるやつだ。信頼している。だが、やるまでの間、やり切るまでの間、動き出すまでの間のおれ、つまりいまのおれが苦しむことは避けられないのだろうか。どうせ、おれはやり切るに決まっている。それはわかっている。決めるべきときはちゃんと決めるやつだ。無責任なやつでも不義理をするようなやつでもない。でも面倒くさいものは面倒くさい。超面倒くさい。なにもしたくない。勘弁。うんざり。
でもやるんだろう。ああ。最後にはね。だってそうせざるを得ないからね。おれが自分から進んでやることなんて文章を書くことくらいだよ。ゲームは呼吸。おれが望むと望むまいとおれが勝手にやっている。
人間、食べなくちゃならない。それは金を稼ぐこととほぼ同義だ。食って、稼いで、食って、寝て。ちゃちで汚い自意識を満足させて。みじめったらしいったらありゃしない。なんでもない日々の幸せ……ね。言わんとすることはわかる。素敵だと思う。そういうものを噛みしめている人たちを馬鹿にする気は毛頭ない。だがおれの生活ってやつは噛んでも砂の味しかしない。太陽に晒され続け、埃っぽく、じゃりっとした食感。たまらん。こんなことを続けていたら、いずれ歯がすり減ってなくなってしまう。
だが実際におれはおれなりに、この砂の味のする生活を守っている。維持している。ほかの連中よりはちょっとばかり省エネかもしれない。それでも逸脱せず、破綻せず、いんちきも働かず、真面目にやってる。偉い……わけではないのだけど、自分では偉いと思う。おれはよくやっている。
世の中にはいろいろなやつがいる。まともなやつも、そうでないやつも。おれは比較的まともな方だ。ちゃんと世の習いに従っている。陰でぶちぶち文句を言いつつも……。
犯罪行為で身を立てているやつは正直偉いと思う。だってしんどいだろう。どんなに非道なやつにだって良心ってものがある。そういう葛藤と戦いながら、次から次へと舞い込む面倒ごとに対処しなければならない。暴力を振るったり振るわれたり。舐められないために振るいたくもない暴力を振るったり。文字通り、連中は現金に身体を張っている。そこまでしたって、ほとんどのやつが一流になれない。そしていつか、何年かのうちにパクられる。もしくは、ひっそりと消えていく。まともに働いた方がよっぽどマシだ。そんなことはわかっている。だがこうなった。こうなるしかなかった。支えているのは、自分が一般人とは違う、裏街道で生きているというプライドだけ。
もちろん良心がまったくないやつもいる。そういうやつが一流になったりする。でもそれはどこの世界でも同じだ。サイコパスは強い。羊の群れの中の狼みたいなもんだ。
ま、そんなことはどうでもいい。おれは悲観的な楽観主義だ。どんなに嘆いてみたって最後の最後になんでも許してしまう。おれの身に降りかかったことに関しては。
そうだ。おれはよくやっている。じゃじゃ馬をなんとか乗りこなしている。だが、言葉が続かない。本当のことを言うと、なにも考えていない。文章を書き続けてはいるものの、そこにはなにも宿っていないのだった。やや、これはどうしたことか。不本意のあまり胸がドキドキしてきた。おれは少し休んだ方がいいのかもしれない。いつまでも空ぶかしを続けているとエンジンがいかれてしまう。
だが止まれない。なぜかはわからない。朝食をとり、細々とした雑用を済ますと、おれは無意識にコンピューターと向かい合っている。まるで夢遊病患者だ。気づくと今日みたいな文章を書いていやがる。諸君。誤解をしないでいただきたい。今日のおれの書く文章は最悪の部類だ。これが阿部千代の書く文章だとは思ってほしくない。そうは言っても、紛れもなくおれが書いた文章なのだった。誤解もクソもなにもない。言い逃れはできない。
まあいいんだ、そんなことはどうだって。ここからだって挽回はきくはずだ。いつだってそうしてきた。いままでずっとそうだった。今回だって結果的にはそうなっているに違いない。本当にそうだろうか。いまのおれは螺旋状の少年を見失ってはいないだろうか。姿は見えずとも、すぐそばにいた。気配を感じていた。彼の息吹が、視線が、おれの背筋を伸ばしてくれていた。いまじゃなにもない。なにも感じやしないのだった。
仮説その1。螺旋状の少年などはそもそも存在しなかった。おれが適当にでっち上げた作り話だった。
仮説その2。螺旋状の少年はついにおれを見限ってしまった。おれはなにかヘマをやらかしたのだ。
仮説その3。気のせい。おれの気のせい。螺旋状の少年はいまもすぐそばにいる。おれを見ている。
久しぶりの良い天気だ。洗濯機をぶん回してやろう。こうした日常生活の事柄を文章に記すのは、あまりにも卑俗で無意味だが、もはやなりふりなど構ってはいられない。おれがおれの文章への評価軸を失ってしまたとしたら、誰がおれを見張るんだ? 知らない。なりふりなど構ってはいられない。おれの存在が懸かっているんだ。このまま消えるわけにはいかないだろう。
おれがおれとして自由に振る舞えるのは、螺旋状の少年上でだけ。これはいわゆるメタ的な言及ではない。だって本当にそうなんだから仕方ないじゃないか。誰だって消えたくはない。おれだってそうだ。残骸だけ残して、ある日突然ぷっつり、なんてマジで嫌だ。おれの意志でそうなるのならまだしも。それなら車に撥ね飛ばされて即死した方がマシだ。あるいは隕石が直撃したり。突然に脳が活動を止めたり。そういう結末の方がいくらかマシなんだ。
おれは混乱していた。あまりにも混乱していた。苦労と痛み。あるいは苦労と痛みを避けようとするあまりに抱えるハメになる苦労と痛み。どうしてこいつらはおれの後をしつこくついてまわるのだろう。おれに懐いたっていいことなんてなにもありゃしないのに。悪いことしかない。景気の良い話なんてとんと耳にしなくなったし、どいつもこいつもなんだか疲れ切っている。退屈そうに手のひらサイズのモニターを見つめて、指をひっきりなしに動かして、こいつはいったいなにをしているんだ? 小説でも書いているのか? つまらない小説を? そんなにつまらなそうな顔をして?
さすがにおれも覗きこむような真似はしない。景色は流れ、おれはどこに連れていかれるのだろうか。ひとつ良いことを教えてあげよう。電車の中で、ただ前だけを見据えて座っていると、誰も隣に座ってこない。いまじゃスマホを覗き込まないとキチガイ扱いなんだ。ただ向かいの車窓を流れる景色を観ているだけだってのに。ただ目の前の現実をみているだけだってのに。まあでも都合が良いと言えば都合がいいのだった。知らないやつが物体としてすぐ近くにいるのがおれはあまり好きではない。




