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どうにもこうにもクソッタレ

 哲学者という破壊者が既成の概念をぶちこわしていた。ちがう、おまえらはなにもわかっていない、そうじゃないんだ、こうなんだよ、なめんなよ、文句があるなら覆してみやがれ。

 文句なんてあるわけがない。そもそもなにを言っているのか本気でわからないのだから。だが、おれなどは想像のつかない階層で、考えて、考えを巡らし続けて、深い深い奥の方、漆黒の闇に近い深層に潜り続ける人間離れした肺活量には驚嘆するほかない。彼らは頭痛に悩まされたりしなかったのだろうか。どう考えても健康に悪い気がするのだが。

 そういう意味で、彼らは極限のアスリートであり、極めて厳しい目を持った勝負師だ。常識離れの負荷に耐えうる身体を形成した上で、瞬間を永遠に引き延ばす。人間はなぜ生きるのか、生きなければならないのか。お手軽なニヒルに陥ることなく、虚無に取り込まれることなく、ぎりぎりの地点で踏みとどまっていた。そこで戦い続けていた。なぜなんだと問い詰め続けていた。真似しようったって真似できることではない。


 おれはこれまでの人生を、投げ飛ばされたり蹴っ飛ばされたりして過ごしてきた。舐められて無視されて、笑われ続けた。なぜだろう?

 どこに行ったって、気に喰わない連中が幅を利かしていて、本来そこにあるべき悦びを台無しにしていた。偽物どもはすべてを台無しにしていく。悪貨が良貨のやる気を失わせるのだ。汚物を賞賛し、価値を歪め、相場を荒らし、その果てがこの惨状だ。ほとんどすべての人間が馬鹿になってしまった。なにが美しいかよりも、なにが儲かるか。自分自身がどこにいるべきかということはまったく考えず、土地の海の色が赤いか青いかの方が気になって仕方がない。

 興味をそそられるものがまったくないとは言わない。それらはいつの時代にも確実に存在する。良心ある人間の数は多くはないものの、少なくもないはずだ。だがクソがあまりにも多い。多すぎる。増殖のスピードが異常だ。普通と出会うためには、そびえ立つクソの山を掘り起こさねばならないのだ。こんなに惨めで悲しいことってあるか。あるのだからしょうがない。だがそんな状況に順応するわけにはいかない。ほんの少しも気を許してはいけない。

 クソはクソだと正直に言おう。おためごかしはもうやめてくれ。そこまでして善い人に見られたいのか? それとも、あんたらはマジでやっているって言うのか? 本気で、正気を保っていると、本心でそう信じ込んでいるっていうことなのか?

 いったいなにがどうしたというんだ。死よりももっとたちの悪いものが蔓延している。貧しさよりもさらにみすぼらしいものに取り囲まれている。あまりにもお手軽に気持ちよくなってしまっている人間を見るのはとても気持ち悪い。嫌な気持ちになる。塞ぎ込んでしまいたくなる。それでも残った人間性を振り絞ってこんな文章を書いてみる。外は雨が降っている。なにもかもが濡れていた。湿気った空気がまとわりつく。だけど今日は頭が痛くない。おれはなんだか浮ついていて、言葉が手につかない感覚を拭い去ることができないのだった。


 と、こんなことをぐちぐち言ってみたって、悪いのはおれだということはわかっている。勝手に意識に入り込んでくるなにもかもがクソなのも、おれがそのことにうんざりしているのも、おれの問題なんだ。おれのせいなんだ、すべてが。だから他人に責任を押しつけるような真似はしない方がいい。

 どう見えようが、どう考えようが、どう感じようが、意識の後始末はおれ自身でしなければならない。てめえのケツはてめえで拭く。当たり前のことだ。気に喰わない連中がいるのなら、連中を打ち破ってしまえばいい。連中の手に渡ったものを奪い返してしまえばいい。おれは哀れな負け犬の味方などはしたくない。みすぼらしくても、情けなくても、際の際まで追い詰められていても、それでもなお、負けなどは死んでも認めない。そういう意地っ張りがいい。おれが張りたいのは、そういう存在にだ。


 天気との折り合いが悪く、洗濯物が溜まっていく一方だった。生き続けるということはそういうことでもあった。そしておれは結構な間をモニターとのにらめっこに費やしているのだった。なにかが停滞している。どこかで詰まっている。もうとっくに言葉で埋められているはずの場所がまっさらのままおれを笑わせようとしてくる。笑えるわけがない。しかし、おれの表情に乏しい顔では相手のことを笑わせることもできず、退屈な勝負は平行線のままだ。

 おい、もしかしてこのまま永遠に続けるつもりじゃないよな? 永遠かどうかは知らないが、いや永遠なんてやつが来る前におれの方がくたばってしまうだろうが、それでもこのにらめっこはもうしばらく続くだろうな。どうしていつもここに戻ってきてしまうのだろう。やっと抜け出すことができたと安心してみても、たちまちのうちに追いつかれてしまう。ついさっきまで新鮮な水で溢れていたはずの泉が、見るも無惨に干からびて、なんだか腐った臭いがする。濡れた屁のような臭いだ。漁港に転がっているポリバケツがのような臭いだ。鼻孔にこびりついて二度と取れない気がするような。そんな臭いだ。


 おれが置かれているこの不快は文章を書けないことから生じているものなのか。それとも文章を書いていることから生じているものなのか。あの手この手を尽くしてなにも書かないということを書き続けてきたおれへの罰なのだと、そういうことなのか。

 物語らない物語は、なかなか御しがたい。思わせぶりな態度で誘惑してくるくせに、次の瞬間には軽蔑を隠そうともしない目つきをぶつけてくる。おれはころころ手玉にとられて、足を取られて、手につかない言葉を見事にお手玉してしまい、電光掲示板にEのランプがともる。大きなため息が漏れる。情けないやら恥ずかしいやら居たたまれないやら、そのなれの果てが、いまのおれだ。ただぼけっと座って雨音を聞いている。もうすべてをご破算にしてしまってもいいのではないか? ここでおれが消えたりしたって、誰も残念に思わないだろう。べつに思ってほしいわけじゃない。

 人間、どこまでカラッポでいられるのだろうか。この世界にはおれくらいにカラッポな人間で溢れているだろう? 連中に訊いてみたい。あんたらはなにを救いとして生きているのか。是非とも参考にしてみたい。

 おれは台所に行って、煙草に火をつけて、ふかした。ぱっ、ぱっ、ぱっ、と火と煙が上がった。

 眉をひそめてみた。口を歪めてみた。鼻だけで煙を吐いてみた。なにもかもわかっているような顔をしてみた。肩をすくめてから、ウインクをしてみた。ひとり、鼻で笑ってみた。煙草をもみ消して、またここに戻ってきた。今日何度目だろう? ここに戻ってくるのは。気分は晴れなかった。晴れることを期待しているわけでもなかった。

 なにもかもが湿気っている。形を保ってはいるがぐじょぐじょの状態でもうどうしようもない。こんな日がある。どう過ごしていたって、こんな日がやってくる。

 あまりいい一日ではない。まったくいい一日じゃない。こういう時にこそ脳のやつに働いてほしいところなのに、勝手にゴールデンウィークを決め込みやがったようだ。本当に使えない。

 どうにかこうにか、ここまで這ってきた。まったく酷い目に遭った。もうごめんだ。うんざりだ。静かでなにもない日。よくわからないけど負けちまった日。地球がまるまる燃えている。知ってはいたが、やっぱりここは地獄だったんだ。どんな手を使ってでもおまえを苦しめてやるぞ、そういうねちっこい執念を感じる。信じられん。なんて話だ。

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