不信心のフェティシズム
そんなわけで、阿部千代は今日もモニターに向き合いキーボードに怪しく指を這わすのだった。いろいろあるが、投げ出したりはしない。おれはまだまだ皮の被った小僧だ。これから一皮も二皮も剥けてしんぜよう。ずる剥けで睨みを利かせてやろう。当局徹底マークの中、暴れんボウイとして名を馳せてみせよう。でもいまはまだ皮のなか。すやすやとお昼寝中。
みて、この寝顔。まるで天使みたいよ。ああ、まったくだ。でもかわいい見た目に気を許してはいけないよ。この子は猛毒の牙を隠し持っている。そんな気がする。そんな気がしてならないんだ。なんだか悪い予感がするよ。ぼくの思い過ごしであってほしいが……。
彼の懸念は当たらずとも遠からずと言ったところだった。確かに阿部千代は猛毒の牙を持っていた。でもむやみやたらと噛みついたりはしなかった。そんなに賢くはなかったが、いろいろなことがわかっていた。いつでも陽気に笑っていて、ほとんどのことには寛容だった。だがその笑顔が問題だった。猛毒の牙を見せつけるようなその笑顔は、見た者の血を凍りつかせた。
季節は巡り巡って、阿部千代の周りには誰も寄りつかなくなっていた。それでも阿部千代はいつだって陽気で、笑顔を絶やさなかった。牙からは神経性の猛毒が滴り落ちていた。それは阿部千代の涙なんだと言う人もいる。実際のところはどうだったのか。それはおれにもよくわからない。
時としてなんの前触れもないことがある。瞬間のうちになにかが変わってしまう。時が進んでいると感じるのはそんな時だ。ほんの少し前まではこうではなかったのに。そう考えたい気持ちはよくわかる。だって実際にそうだったのだから。だけど、どう考えてみたって目の前の現実は何事もなかったかのように続いていくのだった。あの時こうしていれば。あの時ああしていなければ。こうはならなかったかもしれない。わかる。わかるよ。でも実際に、あの時はこうしていなかったし、あの時はああしていたんだ。それが現実ってやつなんだ。それが現実の残酷なところなんだ。現実がおれたちに罪の意識を植え付ける。罪の意識が芽生えてしまったら、もうどうにもなりゃしない。その苦しみを癒やす方法は誰にもわからない。
偶然なのか必然なのかはよくわからない。時としてなんの前触れもなく、一瞬のうちになにかが起こってしまう。現実の前では、起こってしまったことの前では、人間はあまりにも無力で、薄っぺらい紙切れみたいな存在だ。
毎日の運試し。いつだって可能性はゼロじゃない。運で生かされ、運に殺される。かりそめの生。確実なことなんてなにもない。だからといって不誠実に生きるわけにもいかない。まったく、生きるってことは重労働以外のなにものでもない。あらゆるものがすり減ってゆく。どうしてこんなにふざけたことがまかりとおっているのだろう? 生物が生物を食う。食われた生物は死ぬ。ちょっともうよくわからない。あまりにも悲しすぎる。
で、このレースの終着点は? 仮にレースが未来永劫継続されていたとしても、太陽の衰えとともにタイムアップだ。ぜんぶ死ぬ。地球上のあらゆる生命が死ぬ。そして、膨張した太陽に飲み込まれ、地球は消滅する。もう本当によくわからない。おれたちは謎のレースを強いられている。うんざりだ。やってられるか。でもやるしかない。神は人間をお造りになられた。なんのためにかは知らないが。
まるで小学生の作文だ。そんなことはない。小学生はもっと聞こえのいい文章を書く。自分を良い子に見せるような文章を書く。やつらは狡猾だ。クソみたいな大人がなにに満足するかをよく知っている。ガキどもは作文なんぞに本心を晒すような間抜けな真似は絶対にしない。そんなことをしたってなんにもなりゃしないからだ。
おれは中学生の時に税金の作文でよくわからない賞を取ったことがある。わざわざ役所まで呼ばれて賞状を受け取った。このおれが税金の作文でだぞ? 冗談にもならないが、この話には裏がある。
ある日、宿題として出された税金に関しての作文の情報をどこからか聞きつけた母親が、おれに作文を書けと凄んできた。有無を言わさない勢いでだ。当時の彼女の悩みの種は、学業に一切興味を示さないバカ息子の内申点だったのだ。せめて高校だけは行ってくれ、それが彼女の切なる願いだった。マジで目が血走っていた。クソ田舎で猿のようになってしまった息子の将来を案じて引き取ったはいいが、想像を超える猿っぷりに逆上していた。
もちろんおれはまともに作文を書くつもりなんてなかった。怖くて言えなかったが、母親が書けばいいのに、そう思ったくらいだ。提出くらいはしてあげるのに、そう思ったのだが、怖くて言えなかった。
そして、そのときにこれを参考にしろ、手渡されたのが「作文の書き方」みたいな本だ。仕方なくおれはその本をパラパラっとやった。そして見つけた。例文ってやつだ。こいつは使える。丸パクしようと思った。
どんなテーマの例文だったのかは覚えていないが、主要な単語をすべて税金に変えて、なんとなく意味が通るようにカスタマイズを施して一瞬で書き上げた。その製作過程を見張っていた母親は、まあこいつがいちから自分で書くよりマシか、そう考えたかどうかはわからないが、不正を黙認した。彼女はおれが宿題さえ提出してくれれば、ただそれだけで良かったのだった。
で、その作文が見事一等賞に輝いた。そんなもんなんだ。学校で書かされる作文なんて、マジでくだらない。なにしろ大人の機嫌をとる文章を書かなければならない。そこに文章を書く悦びは存在しない。ブルシットだ。
母親同伴で行った役所の表彰式には、おれより下の評価を受けた連中もいた。みんなメガネを掛けていて、暗そうなやつらだった。おれがこいつらの仲間だと思われるのはしゃくだったが、なにしろ母親が喜んでいたので、しょうがない。おれは彼女の喜びに水を差さぬように、態度よく努めたのだった。
まあ、不正を知りながらも無邪気に喜んでしまうおれの母親もいいツラの皮だが、そこはわかってやってほしい。おれは猿だったんだ。中学生男子が身につけているべき一般常識をまったく知らなかったんだ。そんな息子が他人に褒められたんだ。そりゃ、はしゃぐだろう。それくらいは勘弁してやってくれ。
結果的にこれが最初で最後の母親孝行になったのだった。おれはなんとなく、そうなるだろうなとわかってはいたが、彼女はどうだったろう。まあ彼女も馬鹿じゃない。そんなことくらいはわかっていたのかもしれない。だからあんなに喜んでいたのかもしれない。だってこんなチャンスはそうそうない。千載一遇ってやつだ。喜んでおくべき時に喜んでおかなければ損だ。そう判断していたって不思議ではない。
おれだっていつも悪態をついているわけじゃない。たまにはこういう心温まるエピソードだって披露してしまう。そしてまた今日も一日凌げたってわけだ。そろそろ螺旋状の少年も佳境に入ってきたという感がある。いつまでもダラダラと続けることは可能だが、ダラダラと続けたって別にいいのだが、そろそろって感じが日に日に成長しつつある。おれはそういうものから目を逸らすことができない性質なんだ。
さて。おれは螺旋状の少年と、どうケリをつけようか。どのようにケリをつけるべきか。どうもこうもない。ただ文章を書くだけだ。その瞬間その瞬間に飛び出てきた言葉を、ただ書きつけるだけだ。それだけのことなんだ。




