カモメの城南さん
連続性は途切れるけれど、それでも持続している。記憶と記録。頼れるものはそれだけだ。個人的なものとなると記録は乏しく、ほぼ記憶に頼ることになるが、それだって曖昧で不完全なものであること。あることについて、いくら思い出そうとしたって断片しか浮上してこない。その断片をつなぎ合わせて、恣意的にエピソードとして統合したものが記憶であるとしたら、おれはなんと不安定な連続性の中にいるのだろうか。記憶が事実であったと証明するものはなにひとつ存在しない。ひょっとすると、ひょっとするんじゃないか。この記憶ってやつが、おれを苦悩させるのではないか。チンパンジーは、今しか存在しないと聞いたことがある。片腕を失ったチンパンジーは、そのことについて憂いたりしないという。片腕を失っていようが、その瞬間に目の前に食い物があれば、最大限の幸せを最大限に受け取ることができる。それはつまり、コンプレックスなど存在しないということだろう。もちろん、このチンパンジーの話だっておれの記憶の中の話なので、正確性は保証できない。そもそもが、おれに今しかなかったら、文章など書けやしない。その場の思いつきだろうがなんだろうが、連続性の果ての今でありその場であり、そしておれの意識は今よりもその先、この文章を書き終えた場所へと向いている。
さて。おれに主張したいことなどはない。結論も出やしないし、新しい価値観を提供したいわけでもない。ただ単に遊んでいるだけだ。子どもの砂遊びとなにも変わらない。行き当たりばったりで、山なり城なり街なりを、形成していく。そして自ら、破壊するのだ。だって自分が破壊しなければ、いずれ誰かが何かが破壊するに決まっている。保存しておくことなどはできない。再現することだって。
破壊する。破壊して、気が向いたらまた、遊び始めよう。何度でも繰り返してやろう。飽きるまでずっと……いや、飽きたってずっと。気が済むことなど想定していない。気が済むことなんてあるはずがない。連続性は途切れ、それでも持続している。
きっとなにもかもが間違って伝わるだろう。そんなことは織り込み済みだ。できることなら、おれの文章を読んで不愉快になる人間はいて欲しくないけれど、それは当然無理な話だ。おれは攻撃的で感情的な文章を書くことだってあるし、他人を罵ることも厭わない。けれども。おれが欲しいものは共感だなんてことは思ってもらいたくない。もらいたくないと言っても、思う人間がいるのだからしょうがないのだけど、それでもその部分だけは否定しておこう。これはおれの被害妄想かもしれない。それでもいい。おれは共感など決して求めていない。そんなものはクソだと思っている。
いつも、もやもやしていたんですけど、そのもやもやを言語化してもらった感じです。すっきりしました! ありがとうございます。
あんたの言う共感って、こういうのだろう? 勘弁してくれ。本当に勘弁してください。こんなの嫌がらせじゃないか。だってこれって、あなたとわたしは同類です、って言ってきてるってことでしょう。冗談でも言っていいことと悪いことがある。酷い侮辱だよ。あまりにも酷い。もしこんなコメントをおれがもらったらと考えるとぞっとするよ。きっとおれは深く傷ついてしまうに違いない。
いいかい? わかってないな。おれが必要以上に乱暴な言葉を使ったりするのは、こういう共感オバケに寄ってきて欲しくないからだよ。こういう連中は、いつだって共感してやろうと手ぐすね引いているんだから。よだれを垂らしてターゲットを待ち伏せているんだから。共感しかしないんだ。共感しかすることがないんだ。共感しないと気が済まないんだ。おれはよく断言するけれど、断言するときはむしろ共感されないように気を遣っているってことを、この機会に知っておいてもらいたいね。共感オバケは断言が好きだから。それがどんな性質のものであれ。おれの汚い言葉使いは、悪霊を寄せ付けない霊験あらたかな御札ってわけ。
わかりますでしょうか。わかっていただきたいのですが。きっとわかってもらえませんでしょうね。それはもちろんわかっております。ええ、仰るとおり、わたしは裸の王様でございます。しかしながら、わたしは服を着ていると主張したことは一度もございません。裸でなにが悪い。最初からそう言っています。脆弱なあなた方の論理でわたしが動いているわけではないこと、どうかご理解いただけますよう。無理だろうけどな。馬鹿だから。
馬鹿はどうせ馬鹿だからと舐めてかかりがちだけど、馬鹿より恐ろしい連中はいないんだ。だって最大勢力だからね。ネットリンチとかだって、馬鹿な連中が相変異を起こして獲物に一斉に襲いかかる現象だろう。ここで言う馬鹿ってのは頭の善し悪しはあまり関係がなくて、自分がひとつの個であるということの意識が薄い連中のことだよ。すぐに雰囲気に流されて、社会通念という共同幻想を振りかざして、そこから逸脱したと看做したものを攻撃しやがるんだ。こいつらの厄介なところは、自分自身の頭で考えていると、自分自身の意思で動いていると勘違いしているところなんだよね。本当はただ委ねているだけなのにね。
どうしてそんな希薄なアイデンティティで生きていけるんだろうか? どうして多数派になることに異様な拘りを見せるんだろうか? どうして自分に疑問を持たないのだろうか?
馬鹿が恐ろしいのはそれこそ歴史が証明しているのにね。いつも心にアウシュビッツを。凡庸な悪に深き眠りを。
主張したいことはないなどと書いておきながら、ばりばりに主張しているおれだけど、こんなことを書いたって誰にもなにも伝わらないことは確信しているから、気にしないで欲しい。ただひとりで盛り上がってしまっただけだ。おれは孤独が好きというわけではないけれど、文章を書くときだけは孤独でいたいね。賛同、評価がなくたって一向に構わない。いまはね。評価がつかないことに納得がいっていない時もあったけど、気づいたわけよ。小説家になろうに生息している連中のほとんどが、とんでもない馬鹿だってことに。はっきり言って、そんな連中には評価などしてもらいたくないね。おれはこの小説家になろうの一部のシステムが好きなだけさ。ここで文章を書いている理由はそれだけさ。おれはひとり、文章を書き続けるんだよ。いまはこんな形だけど、もしかしたらいつか小説になってくれるかもしれない。もう小説を書こうって気分で小説を書きたくないんだ。だってそんな小説なら、もうたくさんあるからね。おもしろい小説はもう世界中に溢れているだろう。小説らしい小説も、小説らしくない小説も。
いつも通りに文章がとっちらかってきた。息切れしてきたんだ。最近はこの3000字縛りもどうなのかなって気持ちになってきたよ。一定の文字数しか書けなくなるんじゃないかって。まあそれでもいいじゃないか。それで誰が困るってんだ。おれすらも困りゃしないよ。途切れ途切れの連続性を維持し続けているならば、それは螺旋状の少年というひとつの文章群であるって、そう言い張ってもいいだろう。いいも悪いもない。気に入ろうが気に入るまいが、文章を書き続けるんだろう。ただ文章が書けていればそれだけでいいんだろう。形式も内容も知ったことじゃないよ。勝手にすればいい。おれが納得していればそれで。おれが嫌でないのならばそれで。では今夜はこれで。