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意識状態プリミティヴ

 これは寝込まざるをえない。それくらいの発熱が、おれの身体を蝕んでいる。37度9分。平熱が37度とわりかし高いおれからしても9分の差は大きい。結構つらい。それでもこうしてコンピューターと向き合い、文章を書こうとしているおれの姿勢に、畏敬の念を示し感服するがよい。

 しかし平熱が高いおれも、血圧はめちゃくちゃ低いのだった。過ぎ去った年月により、若干の数値の上がりは見せているものの、それでも最高で100に届くかどうかといったところだ。平熱が高いのに血圧が低いとはどういうことなのだろう。

 お医者様なら、そこは気にするところではないのです、そう言うのかもしれないが、おれはお医者様ではないので気にするし、人体って不思議だな、そう思うだけだ。血圧の数値がなにを示そうとしているのかすら、おれはまったく理解していないものの、人体の不思議さについては、お医者様だって同意してくれるに違いない。

 いや、不思議なのは人間の身体だけではないのだ。生命そのものが不可思議であって、死と生を分かつものがなんなのかすら、我々はなにもわかっていない。


 わからなくていいことに、頭を悩ませて、なぜわからないのだと怒り狂っている。なにもかもが思うようにいかない。おれの身体を操っているおれは誰なんだ。他人からすると、おれの身体から出る感情表現や吐く言葉こそがおれなのだろう。しかし、おれの知覚するおれは、もっと奥のほう。別の次元から、おれの身体がくねくねと踊っているさまを見て、笑い転げている。おれの身体が苦悩しながら右往左往するさまを見て、心底嬉しそうにしている。なぜおれはおれを助けようとしないのか。それはあんた、おもしろいからだよ。なによりも楽しい見世物だからだよ。

 おれはおれからの今日の指令を辛抱強く待っていたが、待てど暮らせど伝令はこないものだから、こうして勝手に文章を書かせてもらっている。なぜ勝手な真似をした。あれほど言い含めておいたろう。勝手な真似をするなと。あとでそう怒られるに違いない。滅多打ちにされるに違いない。知ったことではない。なにもかも、知ったことではないんだ。肌を破く痛み。知ったことではない。骨に響く痛み。知ったことではない。ただし、歯の痛み。あればっかりはどうにも辛い。どうすることもできない。


 おれはいつだって、ほれぼれするほど魅力的な文章を書こうとしてきたし、その上で魅力的という概念すらも破壊しようという志を持って邁進してきた。それがありきたりな志だということを知りながらもだ。そんなありきたりすらも、おれには重すぎる荷であることを承知しながらだ。

 虚しく、気高い旅だった。決して果たされることはないと確信されている志を志と呼べるのだろうか。それこそが志なのだと言うこともできるのだろうか。おれの一歩は驚くほど重く、鈍かった。

 それでも、足跡を残してきたという自負があった。振り返ってみた。なにもなかった。笑ってしまった。砂嵐がおれを省みることなどはない。そんなことはわかりきっていたのに、いったいおれはなにをそんなに盲目的に信頼していたのだろう。

 おれはしばらくその場で立ち尽くしていた。おれはとうとう諦めたのか? いいや、ちっとも。こんなものは、諦める理由にすらならない。おれは諦める理由こそを探しているんだ。文章を書かなくてもいい道を探し求めているのだった。そしてまた一歩。いままでよりも更に更に鈍重な一歩を踏み出した。悪魔がおれを指差し笑っていた。おれもつられてすこし笑った。口元を歪めて鼻から吹き出した。だがこんなことは、諦める理由には到底ならないのだった。


 煙を吸ってハイを求めたって、アルコール飲料で酩酊したって、気持ちのいいことなどなにもない。ここは砂漠だ。それが砂漠だ。すぐにまた次の日がやってきて、この世の終わりの新たな始まりのような気分のまま、身体で起き上がって、吸い寄せられるがままコンピューターの前へと向かう。これが人間の活動だと言えるだろうか。だが砂漠ではこんなものだよ。

 結局、書きたいものを書きたいという欲求だけが、おれを衝き動かす。書きたいもの。情報としてはこれくらいしかないのが辛いところだ。もう少しヒントをください。具体的な情報をプリーズ。砂漠からの答えを期待しても無駄だ。そんなことはわかっているけれど、一日に一度は試してみる。なにかの気まぐれで答えが返ってくるかもしれないじゃないか。たとえそれが悪魔のイタズラであっても、幻聴や幻覚の類いであっても、おれにとっての救いになるのであれば、喜んで飛びつくさ。食らいついて、もう離しやしないよ。

 そんな気分になることはあっても、それがまやかしであることが理解した途端に、あっさりと手放す。ほぼほぼすべてのことはまやかし以外のなにものではない。おれの眺めている現実と、きみの眺めている現実には相当の差がある。それが同じ砂漠であったとしてもだ。おれには絶望と虚無の顕現でしかない砂漠にだって、ロマンと冒険を見出す者がいる。魅了される者がいる。

 遙か向こうにゆらゆらと揺れる武装した螺旋状の少年の大軍。おれはいつのまにか囲まれていたらしい。だが、おれはいつ、螺旋状の少年たちを敵に回したのだろう? それともおれを救出にきたのか? あんな大軍で? おれひとりのために? あまりにも大袈裟。おれにそんな価値はない。仕留める価値も、助ける価値も。

 つまり、あれらは幻だ。幻はいつだって実体を伴ってやってくる。だから、きっと多くの人が翻弄されてしまう。おれだってそうだ。幻と知っていながらも、螺旋状の少年の大軍へと歩き出す。もしかしたら、幻ではないかもしれないじゃないか。なにせ砂漠だ。幻であろうとなんだろうと、そこに大きな違いはない。


 熱に浮かされるがまま、適当に適当を重ねてここまで歩いてきたが、そろそろ限界だ。おれはもう、へたり込んでしまいたい。しっかりと研磨されて、つるつるしていて、ひんやりとしている、丸みがかった金属の塊に抱きついていたい。

 悪ふざけはそろそろおしまいだ。おれはそろそろ文章を書かなくてはならない。それが無理なら、さっさと眠ってしまいたい。骨がきしみ、眼が滲んでいる。手は震え、足は萎えていく。耳は遠く、口はだらしなく開けっぱなし。

 よだれが一筋、顎の山をつたい、胸の谷を流れていた。おれは流れるままにしていた。流されるままこんな場所にきていた。雨が降ってきそうだった。ツバメが低く飛んでいた。もうそんな季節? 嘘でしょう?

 桜の花もツツジの花も散って、スモーキーな緑の匂いがあたりを漂っていた。ツグミはすでに北へと旅立っていた。もうそんな季節なのか。嘘だろう。そう思った。本当はなにもかもわかっているのに。もういちいち時の流れのスピードに驚くのはよしたほうがいい。そんなことよりも、いまこの一瞬の永遠を捉えて、文章へと変換することに注力するべきだ。この瞬間に書かれるべき文章はそこまで多くはないのだから。この瞬間に書かれるべき文章は、この瞬間にしか存在しないのだから。なんということのない、退屈極まりない、そんな一瞬に書かれるべき文章などは。

 二度と思い出しはしないだろう。おれは今日この日を。語るべきことなどなにもない。しかし人生すべてがそんなもんだ。

 自伝を書こうとするやつの気が知れない。おれからすると、そこまでするか? そういう気持ちだ。だが人間はそこまでやるんだ。どこまでもやってしまうんだ。おれは自分の人生を総括するよりも、こんな退屈な日の欠片を、繰り返し繰り返し書きつけているほうがいい。

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