濃霧の森へようこそ
文章を書こうとしたって、どうにもこうにも上手くない。言葉が自然に勝手に湧き出ているような経験をした身からすると、はっきり言ってここ何日かのおれが陥っているこの状況は、こんなことやってられるかと叫んでモニターを拳でぶち抜く、それくらいの癇癪をおこしてしまいそうなくらいにストレスフルだ。
どうやらおれはまた文章の森の中で迷ってしまったようだ。定期的に迷うよね。迷いに迷って、いつの間にか抜け出しているよね。いつものことだけど、二度ともう元には戻れないのではないかって不安でたまらないよね。そして実際、元に戻ったことなんてないよね。つまり、いつだっておれは迷子だということだ。自分を迷子だと認識しているか、していないか。ただそれだけのこと。
森の中で迷わないようにとパンくずを落としていったって、そんなことは意味がないからやめておきな。落としたそばから小鳥たちが食べていってしまうから。それならば自分で食べた方がいい。パンは食べるためにある。そして、もう気づいたかい? この森は刻一刻と景観を変え続ける。迷うなというのがどだい無理な話なんだ。こんな気持ちはもう味わいたくないと? とても良い方法がある。文章を書くなんてことからきっぱりと足を洗うことだ。文章を書きさえしなければ、おれの生は愛情に満ちている。いろいろな人がおれを気にかけて、愛情をたっぷり注いでくれる。だから愛情を知らない寂しい人間のふりはしたくない。愛情はいいね。とっても素敵だ。
でもそれとこれとは別なんだ。文章を書くことでもたらされる興奮。増幅していく幸福。それらを味わってしまったんだ。このまま降伏するわけにはいかないだろう。重複を恐れてはいけない。おそらくおれは必要以上に着飾ろうとしている。この森で迷うときはいつだってそうだ。格好つけるなとは言わない。格好つけていない文章なんて読む価値がない。必要以上に。こいつがポイントなんだ。ポイント狙いのボクシングはあくびを誘う。ピンポイントを撃ち抜いて、意識ごと刈り取ってやれ。鵜の目鷹の目で狙いをすまして、呼吸を整えて、孤独を味方につけて、虚空をぶち抜いてやれ。おれならできる。
自己を啓発。おれくらいになるとこれくらいは自力でやる。そのへんの雑魚が夢中になって読んでいる精神論ポルノなどは必要としないんだ。そんなものを読んでいると魂が腐る。そりゃあもう見事なほどに。それで満足しているやつを、くさすつもりはないけれど、事実は事実だ。そんなものに金を払うのなら、無料で螺旋状の少年を読んだ方がいいに決まっている。当たり前の話だ。自己啓発書の作者が下品なポルノ本執筆に懸けている情熱と、おれが書いている文章にぶつけている情熱を比べてみてほしい。文章が発している熱量の違いを。
比べた結果、それでもポルノが良いと言うのだったら、おれはもう知らない。あなたにはセンスがない。ありとあらゆるセンスが欠落している。それが悪いことだとは言わないよ。そういう人間がたくさんいることは知っているし。むしろそういう人間の方が普通ヅラして歩いているし。あなたはそっちなのでしょう。そっち側にいることに感謝して、日々を過ごせばいいと思う。あなたたちが世の中を回している。そのことにプライドを持って生きていればいい。おれはあなた方に感謝はしないが、これっぽっちも感謝の気持ちは持っていないが、あなたたちがいないと、この世の中は回らないということは理解している。その上で、言わせてもらう。この世は地獄だ。あなた方を悪く言うつもりはない。事実は事実だ。事実として地獄なんだ。
そう。ここでおれは思い出すのだが、おれは絵を描いているわけではない。おれは文章を書いているんだ。SF小説は絵だねぇ、そうどこかの大家が言ったそうだが、おれはその意見には全面的に賛同できない。言葉を繋ぎ合わせる。ビジョンとは関係のない次元、精神領域とでもいうような次元、言語を媒介として内面的な知覚を刺激することでのみ浮かび上がる、それは決して絵ではない、おれは強くそう信じている。不定形ではあるが強固。自由自在だが不自由。あやふやではあるがあからさま。そのような性質をもつ言葉というツールで語る。三次元世界には飽きてしまった怠け者たちよ。まだまだ世界は秘密を隠している。見えていない世界をひた隠しにしている。それは、あるんだ。いまもきっと、目の前に。いや、それはもしかするときみ自身。きみこそが螺旋状の少年。一緒に少年を探そう。生き別れたきみを。次元の狭間で軽やかに踊っている彼を。硝子のような眼で、ずっときみを見つめているぼくを。
地獄を抜け出す鍵は、螺旋状の少年が持っているよ。町人Aがそう言っていた。何べん話しかけたって同じことを言うのだから、きっとそうなのだろう。彼がどうしても伝えたかった情報だ。それ以外の言葉を発することには意味がない、そう結論づけた彼の気持ちを汲んでやらなければならない。しかし彼は螺旋状の少年がどこにいるのかは教えてくれなかった。それはもちろん、彼だってそんなことは知らないから。知っていたらもちろん教えてくれる。彼はそういう人間だ。知っていること以外は話さない。となると、だ。もしかしたら、彼が……?
ハッとした。グッときた。すべてが繋がり、巨大な正三角形を形成した。そのあと、おれは町中を探した。あらゆる場所で聞き込みをした。特に酒場は念入りに。常連になるくらいの勢いで。酒場で出会った怪しそうなやつは尾行した。そいつの家の前でしばらく張り込んでみたが、そいつはただの売人だということがわかった。結論はこうだ。町人Aなどという人間は存在しない。考えてみれば当たり前のことだった。だって、町人Aだぜ? そんな馬鹿な話があるものか。そして、あることに気づいた。彼が、いやおれは彼としているが、彼がどんなやつだったのか、男だったのか女だったのか、成年だったのか幼年だったのか、それどころか人間だったのかすらも、彼、あるいは彼女、あるいはそいつにまつわるおれのすべての記憶があやふやだということに。バッカモーン、そいつが螺旋状の少年だ! なんて、おれはみだりに結論を出したりはしない。おれの頭が単に狂っていただけなのかもしれないし。それに、そいつが螺旋状の少年だったとしたって、どうだと言うのだろう? そいつは消えてしまったし、もしかしたら最初からいなかったのかもしれないし、重ねて言うがおれの頭がおかしくなっていたのかもしれないし。可能性だけならいくらでも思いつくことができる。いちいちそんなことはやらないが。そんなことをしたってしょうがない。一生を可能性をひねり出すことだけに費やすつもりか? もちろんそんなつもりはない。
だが。おれの精神安定のために、説を二つに絞ろう。ひとつ。町人Aは螺旋状の少年だった。もうひとつ。おれの頭は狂っている。さあ、どっちだ! わかるもんか。勘違いをするなよ。結論づけるために二つに絞ったわけではない。あれこれ考えないようにするために二つに絞ったんだ。これ以上あれこれ考えたら、おれの頭は爆発してしまうよ。それでもおれはこの二通りの説を延々と考え続けるに違いない。そういう人生だ。運命に導かれ、こんなところまで来てしまったんだ。
いまではすっかり顔馴染みになった面々と酒場で駄弁る。女将をはじめ、気のいいやつばかりだ。見知らぬやつが入店してきた途端、会話を止めて一斉にジロッと眺めたりもしない。そんなことをする酒場だったらそもそもおれが入っていけるわけがない。すごくいい店だ。食い物もうまいし、酒も気が利いたものを出す。そのせいだ。今日のおれは、ちと飲み過ぎた。視界が歪み、足はもつれる。滲んだ月明かりが青白く通りを……もう限界だ。そう思うと同時に、おれは盛大に嘔吐した。飛び出してきた吐瀉物が螺旋状だったのはおれの気のせいだろうか? なにしろ酔っていたので、そのあとのことはよく覚えていない。




