道なりにまっすぐと言われたから
阿部千代の千代は、亀川千代の千代。その亀川千代が亡くなった。人は死ぬ。そりゃそうだ。早いも遅いもない。それもそうだ。それはそうなのだが、悲しいものは悲しい。もちろん、ただおれが悲しいだけだ。おれの悲しみと亀川千代の死は、関係があるようで関係がない。ひとつの死と、ひとつの悲しみと。おれができることも、するべきことも、なにもない。あるわけがないじゃないか。R.I.P.とか、合掌……とか。そんなようなことを書いているやつは全員クソだ。なにもかもを冒涜する痴れ犬どもめ。
さて、小説を書くような心持ちで文章を書こう。結局はそれが小説だ。起承転結、序破急、守破離、セットアップ、インサイティング・インシデント、ターニングポイント、セントラル・クエスチョン、いろいろあるよね。いろいろあるけど、どうでもいいよね。人間工学に則って作られた、どれだけ足に優しいスニーカーだって、デザインがダサかったら履く気になりゃしないよ。どんなにソールが薄くて固くて、衝撃が直に足裏を遅ってくるような攻撃的なスニーカーでも、デザインがクールだったらそっちを履くだろう。実用性だけがすべてじゃない。人間はパンのみにて生くるにあらず。そうだ。人間はワインも飲むし、コカインだって吸うんだ。メントスコーラで黒い噴水を作るし、ペットボトルロケットだって勢いよく飛ばすし、おでんをツンツンしたりもするし、寿司だって醤油差しだってペロペロすることもある、そんな馬鹿馬鹿しい連中だよ。孤独な死にぞこないの大群。そいつらがみんな、室内に籠もって一日じゅうなにをしているのか、考えたことがあるかい? 考えるだけで怖ろしいぜ。連中はな、おれも含めてだ――ただ、ぼさっと座っているんだ。どうしようかなあ、なんて、どうしようもないことを、ただ脳の表層部分で考えるでもなく考えているんだ。どうしようかなあ、を反芻し続けているんだ。どうしようかなあ、もなにもないもんだ。ただただ怠け者の死神を待ちわびているだけなのだから。それまでの隙間を埋めようと、あれこれとしょうもないことをやっている。しょうもないことさえやらないやつもいる。おれといえば、こんな文章を書いている。小説を書くような心持ちでもって。
あんた、いつまでこんなことをしているつもりだい? いつまでも。状況が許す限り、いつまでもだよ。わかっている。状況は突然、変わる。大抵の場合、気づいた時にはすでにもうとっくに状況が変わっていた後で、状況が変わっていることがおれに伝わる頃には、もうどうしようもないって気分にさせられることとなる。なんでそんなことが予想できるのかっていうと、長年の経験ってやつだね。予想できているのに、なぜそんな状況を回避しようとしないのかって? いい質問だ。だけどその質問には答えたくないね。ノーコメント。ただひとつヒントをあげよう。大事なことは、まだ大丈夫、そういうことなんだ。それだけが大事なことなんだ。それ以外に大事なことなんてなにもない。おれのようなやつにとってはね。なんだっていいし、どうだっていいけど、許すことはできないことはある。到底看過できないことは確かにある。醜いやつらがおよぼす被害には黙ってなどいられない。被害者はおれだ。おれなんです。おれの心が傷ついたんです。落とし前をつけてもらおう。嫌な気分になってもらおう。だけど、なぜだろう。嫌な気分になっているのはおれの方ばかりな気がする。連中は余裕のよっちゃん平気の平左で毒を垂れ流し続ける。そんなことをしないでくれ、そう頼んだって、そんなことをするんじゃねえ、そう怒ったって、連中は知らん顔で、それどころかこちらを嘲笑って挑発してくるものだから、とても憎たらしい。年々、そういうやつらが目につくようになっている。もちろん、おれが意識的にそっちに目を向けているということも理由としてあるかもしれないけれど、そうとも言い切れないのは邪悪なヴァイブスが立ちのぼるさまをそこかしこで確認できるからだ。よりわかりづらく狡猾に、悪意の縄張りは着実に広がりを見せている。善意の仮面を被って。耳障りのいい物語を用意して。相対化と矮小化のブルドーザーで、のっぺりと大地をならしつける。マージナルな人々を踏み潰しながら。
この谷には汚染された霧が満ちている。息苦しさにあっぷあっぷしながら、それでもおれたちは生きていかなければならない。そう思い込んでいる。ここで生まれただけだ。たったのそれだけだ。まあ、おれはその中でもちょっと怠け者かもしれない。ここは考えなければならん。ここが考えどころだ。すべてまとめて考えるんだ。散らばっている片鱗を繋ぎ合わせて、でっち上げてみよう。すべてはユダヤのせい。すべてはDSのせい。フリーメイソンはもう流行りではないのかな? しかし闇の支配者層はヒントを残すのが好きだ。まるで解かれるのを待っているパズルだ。案外イタズラ好きの気のいい連中なんじゃないか? なにがしたいのかさっぱりわからん。だってもう支配しているんだろう。もういいじゃないか。これ以上無駄に動いてどうしたいってんだ?
おい、もうよせ。よせってば。やつらに目をつけられる。なんたっておっかない連中なんだぜ。天気も事件も天災も、なんだって好き放題にいじくり放題だ。いや、だからそこまでできるのなら、秘密を暴こうとするやつらを片っ端から殺してまわってしまえばいいのでは? そもそも秘密にする必要だってないのでは? もういいだろう。表に出てきたって。こそこそ隠れる必要がどこにあるんだ。回りくどいことをする必要がどこに。だから、よせって。そういうもんなんだよ。そういう風に決まっているの。あらゆることにルールがあって、そこから外れることは許されないんだよ。支配者って言ったってラクじゃないよ。なにも遊んでいるわけではないんだからね。
みんな大変なんだ。おれはそんなの嫌だな。気楽に生きていたいよ。そんなささやかな願いも、ここいらじゃ一番の贅沢品だ。エントリーし続けなければならない。金を払って、自分を削って。アホらしいSMプレイに付き合ってやらなければ、おまんまの食い上げだ。
おれは眠たくなってきた。まるでクソみたいな文章を書いている。これまでだって何度も何度もそう思った。しかし今日の文章はいままでで一等のクソかもしれない。そういう意味では、おれは成し遂げてしまったのかも。ついにクソの金字塔をおっ立ててしまったのかも。言葉は繋がらず、陰気で勢いもなく、ただただ気が滅入っていくだけの文章。こんな気分になるためにおれは文章を書いているのか。それとも文章を書いていれば、こんな気分は避けて通れないものなのか。なにかがいつかのおれを邪魔している。そのなにかはなにか。いつかはいつか。いま、ここ、この現在地。こんな辺鄙なところから、また歩き出さなければならないっていうのか。
ああ。それでもいいぜ。だってそれしか手はないんだろう。それならもう、そうするしかない。それなら、そうするだけでしょう。それが望みであるのならば。神様はおれをおれとしてお作りになられた。ならばそれを信じて、なんだっていいから文章を書き続けよう。小説を書くように。まるで小説を書いているかのように。おれの書く小説は続く。どこまでも、どこまでも。誰にも見えなくなるまで、誰にも相手にされなくなるまで、書き続けてやろうじゃないか。




