唐突に悩みだす冷蔵庫
コンクリートジャングル。目覚めの一発はスペシャルズだった。コンクリートジャングルって最初に言い出したのは誰なんだ。危険がいっぱいのコンクリートジャングル。だがな、東京なんて砂漠だぞ。サソリとガラガラヘビの死の世界だぞ。だけど、あなたがそばにいれば辛くはないの。前川清がムードたっぷりとそんなふうなことを歌ったその次の年に、イングランドではスペシャルズが活動を開始したんだ。これはまったくのおれの勘なんだが、スペシャルズは、内山田洋とクールファイブに相当の影響を受けているに違いない。スカとロックステディにパンクのアティチュードをミックスし、隠し味にムード歌謡を一滴垂らした……そんな風に考えると、なんだかしっくりくる。
ちょっと前にダッドスニーカー、つまりは親父が履いているような野暮ったい感じのデザインのスニーカーが流行ったことを思い出して欲しい。いまは日本の80年代シティポップが世界中のヴァイナルマニアの間で大人気だが、かつてはグループサウンズ周辺のサウンドがジャパニーズ・ガレージだとかいって局地的に流行ったように、ムード歌謡、ひいては演歌が掘り起こされる日もそう遠くはないだろう。いまのうちにチェックしておきな。おれ的には新沼謙治がくるんじゃないかと、そう予想しているんだが。
薄い知識で適当なことばかりを書いていると自分が嫌になってくる。さすがに上の文章は消そうかと思ったけど、それでも残す。消したいけど残す。一回、マウスをクリックしながら文章にガーッと色つける行為、アレなんて言うの? ドラッグ? それでいいや、一度ドラッグをキメたんだけど、寸前で消去を思いとどまる。書いてしまったものはしょうがない。そうだ。クソみたいな文章であっても、おれから出てきた言葉だ。一度消してしまったら二度と蘇ることはない。消してしまった文章はどこに行くんだ? それにしてもドラッグとはね。いいね。空を見上げてごらん。ルーシーが巨大なダイヤモンドに空手チョップをくらわせているよ。
そんな光景を見ることができるのなら、多少危ない橋くらいは渡ってみたいけど、おれは高所恐怖症ってほどではないのだが、苦手なんだ。高いところが。なにしろ一度、派手に空を飛んだことがあるんでね。その時に引力の威力ってのは嫌ってくらい身体に刻みつけられたってわけだ。あれ以来、観覧車すら乗れなくなっちまった。でも、宮島のロープウェイには、なし崩し的に乗るハメに。あれは地獄だった。ようやく終わったと思ったら、ただの中継駅で、戻るも地獄進むも地獄みたいな状況に自分が立たされていると理解したときの絶望。わかりますか。そもそも宮島ってわかりますか。おれは観光地に詳しくないから、行くまで知らなかったけど結構有名みたいですよ。海に鳥居が建ってるんですよ。鳥居って建つもの? それとも立つもの? 瀬戸内の海には普通にエイが泳いでいました。そんな旅の思い出。鹿。
今日は酒を飲まなければならない。いったい誰が想像しただろうか。おれが酒を飲みに行くことに対して軽く憂鬱な気分になってしまうなんて。酒なんて大したものじゃない。酒が飲めるからなんだってんだ。しかし、おれはアルコール飲料を起因とする大脳皮質の抑制の解放および交感神経系の高ぶりを利用したコミュニケーションにあまりにも慣れすぎてしまった。夜の喧騒。明滅するネオンサインを跳ね返す水たまり。魅力的な女たち。それを狙うガラの悪い男たち。爆発的な笑い声。歓声。嬌声。自然発生的な合唱。ぶつかるジョッキ。突発的に起こる乱闘騒ぎ。
部分部分を切り取って言葉にしてみればなんともロマンチックだが、その実態はあまりにも幼稚で、たわけていて、実際におれがそんな風景の一部だった頃の印象的な記憶といったら、頭痛を抱えながら冷たい路上に転がっていたり、ところ構わず嘔吐していたりするようなものだ。それは飲み方が悪いって? その通り。だけどそれ以外の飲み方なんて知らなかった。身体に巣食った虚しさを紛らわせるための空騒ぎしか。そんな飲み方が身体に染みついていたおれは、一般的な感性から言わせると、酒癖が悪いってやつだったらしい。ああ、そうだったのかもしれないね。その頃は文章を書いていなかった。いつも、言葉にならない言葉が、頭の中を四六時中渦巻いていたんだ。なにもカラッポ頭にアルコールを注ぎ込んでいたわけではなくて、その逆さ。鬱屈や怒りでぱんぱんになって破裂寸前だったんだ。これが言い訳になるかはわからないが、理解してくれるやつとはのんびりと酒が飲めそうだ。
ふらふらと立ち泳ぎのような文章を書いているのはいつものことだ。それでも少しは進んでいかなければならない。哀れぶっているわけでもなければ、感傷に浸っているわけでもないぜ。いまのおれの優先順位は酒より文章だってだけのことだ。こいつがもたらす酔いは滑らかで、迷惑な破壊衝動だって言葉に変換してしまえば、読めるものになる。なによりひとりで酔っていても人恋しくならないどころか、ひとりが愛おしくなってくるんだからね。
おれが思うに、悲しい酔っ払いどもはくだを巻いてないで、みんな文章を書くべきなんだ。壊滅的な被害を被っている内蔵を休めることができるし、自分自身から出てくる言葉がきみ自身を救ってくれるかもしれない。絶望は素敵な文章を書くぜ。絶望を知らないやつの文章なんて読むに値しない。絶望しきったやつの書く文章も厄介極まりないけどね。踏みとどまることが大事なんだ。絶望の淵まで追い詰められてもなお、そこで踏みとどまることが。泣こうが喚こうが、最後の最後まで自分を見つめ続けることが。絶望を観察することが。
さて、変なところに迷い込んでしまった。そろそろ書き終わりたいんだ。だって13時30分には試合開始だ。その前に晩の買い物を済ませてしまいたい。そんな状況だというのに、おれはずいぶんとのんびりしている。つまり、今日のおれはなぜか文章に苦戦しているということだ。文章を書きたいことと、書きたいものがあるっていうのは、まったく違うことだからね。苦しむ部分もきっと違うんだろう。おれはただ、文章を書きたいだけ。書き続けたいだけ。そして書き終えた文章をクソ野郎の鼻先に突きつけたいだけ。おまえたちをおびやかしたいだけ。それだけでおれは満足なんだ。さっぱりわからん、そんなアホみたいな顔をしているおまえたちを想像するだけで笑えてくるんだ。
そうだ! 忘れていた。ヘルベチカベチベチさん、サンキューソーマッチ! トゥーマッチなプレゼントにオブリガード。ほらな。これですよ。わかる人にはわかるんだよな。怠け者ども、続け、続け! おれを盛り上げんかい。気持ちよくしてみんかい。ただあまり派手にはしてほしくない。意識してしまうから。メジャーリーグの試合で突発的に起こるウェーブ、そんな感じできみたち自身が楽しみながら、おれを盛り上げてくれればいい。調子こいているように見えるか? まったく見当違いだね。こういうことを書くと、おまえらインケツ野郎はムカつくだろう? 眉をひそめるだろう? それがいいんだよ。おれだって、散々ムカつかされているんだから、たまにはいいじゃないか。おあいこってことでよ。綺麗事は抜きにしようや。自分に嘘をつき続けるのはもうやめて、そろそろおれのことを認めたらどうだい? それともプライドが許さない? ケツ舐め仲間に怒られちゃう? まあ勝手にするさ。おれには関係のないことだよ。




