重武装のハガキ職人
押し寄せる怒号のような暗黒にもみくちゃにされながら、それでも這々の体でここまで辿り着いた。この場所が完全に安全というわけでもないが、連中が陥ってしまっている地獄に比べれば、断然余裕のある立場にある。それが幸せなことなのかどうか、安易に断定はできないけれど、燦然と輝く金字塔、その溢れる光の恩恵のおこぼれに預かることはできるというわけだぜ。さて、体勢を立て直し、眼前に広がるこの悲惨な光景をスケッチしようか、それとも騒然とした喧騒に背を向け敢然とした態度で、歩き出すか。どちらにせよ、漫然と日々を見送る日々は終わりを告げたと、そういうことなんだ。
醜悪なウィルスは感染力を増し、腑抜けどもは喜び勇んでゾンビ―に成り下がる。連中をナンセンスだと吐いて捨てようとしたって、なにしろゾンビ―だ。狂気のスタンピードは悪辣な言葉にしか反応しない。頭をストンピングで踏み抜いて、ごりごりと執拗に踏みにじってやらないと、やつらは完全に死んではくれないが、一匹ずつ確実に処理する徒労とコスト、乱戦に巻き込まれて蹂躙されるリスク、それらに見合う報酬がない現状、ハンターどもの動きは鈍いままだ。
精神を武装せよ。邪神は完全に現代に狙いを定めた。邪神の甘言に翻弄されるか、それとも弾き返すか、今はまだ選ぶ余地がある。あとはもう、あなた次第だ。次に会う時、果たしてどうなっているか。幸運を祈っている。願わくば、あなたの脳髄を踏み潰したくはないものだ。
さて、今日もおれは籠の中で歌を歌う。鳥かごを愛するようになった鳥の歌を。ああ。ここでは飛ばなくたっていいし、餌にも困らない。殺されることもないし、実際問題、なにが不満なんだ? それでも開け放たれたら、飛び立つのだろう? 飛び立たないわけにはいかないだろう。なんのために歌う? なんのために飛ぶ? そういう生き物だからだろう。きっとそうなのだろう。しかし飛び立ったその瞬間に、狙いを定めていた猛禽のかぎ爪にがっちりとやられちまうかもしれない。そんなことだってあるさ。どんなことだって起こりうるさ。鳥かごのことを愛しているけれど、不満はなにもないけれど、それでもみすみすこのチャンスを逃すのかどうか、そいつはまったくの別問題だ。逡巡している時間はない。正解もない。なにもないのだ。最初からなにも。意味も価値もなにも。籠も愛もなにも。寵愛を受ける資格も。なにも。
ハァイ。お元気? あなたと知り合えてとても光栄。Xやってる? アカウントだけあるの? ポストしないの? なぜ? よくわからないけど、そういう人もいるのね。じゃあFacebookは? やってないの? なぜ? じゃあどうやってこれからあなたと親睦を深めていけばいいの? LINE? うーん……そこまで個人的なアレはちょっと。それにもうLINEなんて古いよ。誰もやってないよ。Facebookに登録してみて。わたしからメッセージ送るから。申請送るから承認お願いします。
SNS事情にまったく通じていないおれが、抽象的な知識と印象だけを頼りに、頑張って書いてみたこの文章のリアリティはどんなものでしょうか。もし良いなと思ったら、いいねボタンと高評価をお願いします。それと友達申請ありがとう。早速、承認しました。承認欲求は不治の病です。くれぐれも気をつけてください。
固い! 固いよ。硬いし、難いよ。あなたはもう少し、頭を柔らかくした方がいいと思ふ。柔軟な思考と嗜好を指向するために、お酢を一升、一気に飲み干すことをオススメします。押忍! あ、承認どうもありがとう。承認欲求は心の病。肝に銘じます。押忍!
私も雄であり、硬いなどと言われてしまうと、サブリミナル効果が発動して身体の一部がダイヤモンドのように硬化してしまいます。ナンチャッテ! 嘘です冗談ですごめんなさい。セクハラだと捉えないでいただきたく存じます。貴女のノリに合わせようとすると、どうしてもこうなってしまうのです。どうしてでしょう? それはさておき、身体を柔らかくするためにはお酢が有効という言説はまったくのデマゴーグですので、発言には気をつけていただきたく存じます。身体の柔軟性を高めるには、ストレッチを繰り返すしかありません。日々の積み重ねがなにより大事なのです。それよりいつ会えますか。当方、現在失業中ゆえ、あまり贅沢はできませんが、リーズナブルな値段で美味しいお酒と料理を出す店を知っているので、ご馳走します。それくらいの貯蓄はあります。あまり私を見くびらないでいただきたく存じます。ただホテル代はワリカンでお願いします。なーんて、ちょっと気が早いかな?? でもこういうことは、前もってハッキリさせておいた方がいいと思うのです。私も無駄なことはしたくないので……。とりあえず、具体的な日程の提示をお願いします。当方、現在失業中ゆえ、いつでも都合はつきますが、なるべく近日中を希望します。私も無駄なことはしたくないので……。
精神がオッサンのやつが書くような文章を書こうとするのは難しい。どうしてもおれの品の良さを隠すことができない。本物のオッサンが女性を誘う文章は、目を逸らしてしまいたくなるほど醜く下品で、あまりにも自分の欲望に正直だ。あまりにもあからさまなので、思わず感心してしまうほどだ。ノー知性。ノー品性。ノー戦略性。煩悩に脳を乗っ取られてバンザイアタックをするその姿は、まるで寄生虫に操られて入水自殺するカマキリのようだ。
そして一体おれはなにを書いているのかという問題に立ち返ってみよう。おれはなにを書いているのか。ああ、それを一言で表現するのは難しいが、今日のおれの書く文章には批判性があると思う。しかし、こういった事象の時代性を的確に捉えているかという点には疑問が残る。言ってみれば具体性のない、印象派の書く文章。その印象が時代遅れであることは大いにあり得る。だがしかし、オッサンの醜さというものは時代を軽く飛び越えるのではないか。おれはそんな気がして止まない。連中の身勝手さ、すがすがしいほどのクズっぷりは、たったの十年や二十年でアップデートされるほど柔なものではない。おれにはそう思えて仕方がないのだが、あなたはどうだろうか。
それからもう一度、おれはなにを書いているのかという問題を考えてみよう。なにを書いているのか。おれにだってもうよくわからないよ。ただひとつ言えることはある。小説家になろうにおいて、こんな文章を書いているのはおれだけだろうな、ということだ。いや、だからおれは凄いと主張したいわけではない。単純な事実としての話だ。
もちろんおれはそれなりに凄いのだが、それは誰も書いていないような文章を書いているから凄いわけではない。そこを勘違いしてもらっては困る。実際は別に困りはしないが。なにしろおれの凄さを認めているのは、現状おれくらいのものなので、そこに関しては思うところがないわけではないが、それをストレートに言葉にしてしまうのは野暮というものだろう。こうやって、あからさまに仄めかすくらいに留めておくとしよう。
支離滅裂とした中にも論理があり、文章として破綻しているわけでもなく、文章を書く確かな実力を示すことはできているのだから、もっとちゃんとしたものを書けばいいのに勿体ない、そう思っているそこのあなた! あなた、地獄に落ちるわよ。とは言え、ここだって地獄みたいなものだ。おれはいつだって脳なしゾンビ―に囲まれていて、連中の脳みそを吹っ飛ばしてやろうと、こういった文章をぶっ放すが、なにしろやつらは脳がないものだから、結局はいつも空振りに終わるんですね。最近は連中には脳がないどころか、実体すらないのではないか? そういった疑惑すら湧いてきて、いよいよおれにもカウントダウンが迫っているのかなって気がしないでもないが、それでも元気よく行こう。大丈夫だ。希望はある。おれが希望だ。




