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怒りのロードサイドランナー

 はあ。嫌だな。人と関わりたくないな。労働をしていると、たまに強烈な悪意をぶつけられる。その場合、おれはすみませんと言うべき立場に置かれているらしいので、すみませんと言ってみるのだけど、それで相手の機嫌が好転することはまずもってないのだった。おれは人間だからね。そりゃムカつくよ。一度のすみませんでは済みませんということらしいのだが、ではおれはどうしろと? いろいろと試してみたけど、一番いいのはすみませんと言い続けることだね。腹の底でうねる怒りをいったん無視して、すみませんすみません、ただそれだけを言い続ける。それ以外のことを口に出さない。それでもそれだけでは済みませんというのなら、もう知らないね。いいかい。おれが怒り返さないのは、生活を人質に取られているからだ。おまえが好きに怒りをおれにぶちまけられる理由なんてそれしかない。そのあたりのこと、もう少しよく考えてみるべきなのでは? おれが突然、もういいです、人質なんて好きにしてください、どうでもいいわ、そういう気分になったらあなたはどうするつもりなのかな。そして、おれはもちろんそういう気分になることを、オプションとしてちゃんと用意してある。逆ギレ? 逆じゃない、逆じゃない。すみませんで済まさなかったおまえが悪い。おまえは我慢しなくてよくて、おれは我慢しなければいけないって、そりゃないよな。ないんだよ、実際。ないものに従う必要がどこにある? 人質はおれがどうにかして違うルートで奪還するさ。あとはおまえをどう料理するか。すべてはそこに懸かっているのさ。最初っからそう決められていたのさ。


 実際、これくらいの覚悟と勢いを持ってやると、あまり咎められることもないのだった。遠慮がちにほんのり苦言を呈されるだけだ。それはそれでまあ結構なことだけど、おれはいささかくたびれてしまった。今日はもう帰ります。働く気分にはなれない。鼻息がおさまらない。手の震えが止まらない。必要以上に怒りを我慢した後遺症が出ている。急性怒り中毒だ。この状態は危険だ。どう危険なのかは……言わずともわかりますよね? ね? ね? ですよね。

 おれの書く、サラリーマン小説はここで途切れていた……。ここから社長と釣りにいく予定だったんだけどな。しかし、おれは釣りが苦手なのだった。いや、ま、そりゃ太公望のように釣り糸を垂らすだけの生活なんてのには憧れの気持ちがないわけではないが、そんな退屈なことをするくらいなら、こんな風に日々文章を書き続けるよ。どうせ同じようなものだろう。いや太公望がどんな人なのかは知りませんけどね。諸星大二郎のマンガでしか知りませんけどね。龍を釣ったんだろう? すごいよね。

 おれも龍を釣るほどではないが、まあなるべくハッピーにいきたい。龍を釣り上げることってハッピーなのか? そりゃとんでもなくハッピーでしょう。あやかりたいくらいハッピーだ。実際のところ、うじうじネガティヴな文章を書くことなんて誰でもできるからね。人間は基本がネガティヴだから、素直に文章を書いてしまうと自然にそうなる。それで、ネガティヴに徹すると、なにか色々考えてる、悩んでる風に見えるからね。安易なんだよ、ネガティヴって。

 あとは安易に自分を出したくないね。Twitterとかさ。やってるだけでダサいやつ確定だもんな。その人独自の謎めいた運用をしているのなら、まだいいけど、まあ大抵のやつはそこまで頭回らないよね。冷笑大喜利大会みたいなことをしていれば知的だと勘違いしている凡庸で平凡な連中ばっかりだ。そのような活動をしていて、なぜ気が狂ってしまわないのか不思議で仕方ないが、そういう生き物なんだろう。おっと、いけない、ハッピー、ハッピー。


 気を抜くとすぐ人の悪口を言うし、気合いを入れるとさらに辛辣な人の悪口を言ってしまうおれのような生き物もいる。生態系は複雑だ。そして生命が爆発する季節がついにやってきたというわけだ。真っ平らにならされた蛙の轢死体。やつらはどこに行こうとしたのだろう? そんな疑問を持ったなら、フロッガーをプレイするといい。路上で干からびているミミズ。ひしゃげたアオムシ。そんなことは構いやしない、繁殖にすべてを懸けている。生命の急行列車に乗り遅れるわけにはいかない。一本逃しただけでもうお終いだ。そういう執念と情熱が、小さい生き物たちにはある。それしかない、そう言ってもいい。そういうやつらを見ていると、おれは感動するし、羨ましくもなる。すべてを捧げるべきこと。人間にそんなものがあるだろうか?

 おれにとってはそれが文章を書くということ。それはさすがに言い過ぎだ。そこまでの強度をもって、文章を書いているわけではない。だからおれは駄目なんだ。人間くらいだろう、生命に直結しないことに生を捧げることのできるやつらなんて。せっかく人間に生まれてきたのだから、その特権を行使してみないか。そうは言うけどね、無理なものは無理だ。それは自分が勝手に無理だと決めつけているだけなのでは? ああそうだ。その通りだ。しかしだからと言ってどうだと言うのだろう?


 代償。要求されてしまう。どうしても。しかしだ。求道的な姿勢があるからといって、それで凄まじいものを作ることができるとも限らない。凄まじいものを作るのに、ある程度は求道的な姿勢が求められるのは確かだけど、それがすべてではないというところがミソなんだ。ではすべてが資質、才能で決められているのかというと、そうでもないのよね。だからどこにアクセスできるかだ。チャンネルを選ばなければいけない。あるいはチャンネルに選ばれなければいけない。理性を保ちながら、非理性的な世界と繋がる。矛盾を矛盾のまま、受け容れ、そして矛盾のまま解き放つ。あり得ないことも、あり得たことも、起こらなかったことも、起こるべきだったことも、すべて同一線上の出来事として、描く。

 危険で心細い旅だよ。たったひとりで、あなたは旅立たなければならない。無事に帰ってこられる保証もない。むしろ無事に帰ってきたと言い張るやつは、いんちき野郎だと決めつけて問題ない。あなたは無事では済まない。以前のあなたではいられない。今の自分が大好き? 欲張ってもいいことないぜ。すべてに失望してから出直しな。おれだって、まだ一歩も踏み出せていないんだから。そんな自分を許すことができないが、嫌いになんてなれやしない。なれやしないんだぜ。


 ふう。どうでもいいことを書くのは意外と大変だ。おれは日記を書きたいわけでもないし、私小説を書きたいわけでもない。もちろん、どうでもいいことを書きたいわけでもないのだが、このへんの塩梅が難しいところなんですよ、実はね。わかりますかね。わかりませんよね。おれも結構、バランスには気を遣っているのです。配分とか、あとはなんでしょう、配合とか? そういう感じの危ういバランスの上で成り立っていたり破綻していたりするのが、おれの書く文章なのですね。わかりますかね。どうでもいいですかね。一応、おれもこだわりの職人なのでね。すべて手作業でやってますから。ハンドメイドの一点物ですから。そんなことをほぼ毎日やっているわけですから。どう思います? どうも思いませんかね。それはあなたの精神が死にかけている証拠です。まあ、いまじゃそれが普通ですけどね。だから恥じる必要はないのと違いますか。おれはごめんですけどね。絶対に嫌ですけどね。だって、死んだように生きるなんて、私たちはまるで、まるで……ゆ、幽霊ではありませんか。

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