楽しかったです。二度と戻ってこないでください
文章を書くよ。こうやって最初に宣言しないと、どうにも調子が出ない。困ったものだ。まあ文章領域へのパスだと思いねえ。認証完了。ダイヴを許可します。ポータルがブインと開き、おれは慣れた足取りでそちらに飛び込みます。まいど。さて、ここからがおれの腕の見せ所さ。日本語をハックしてクラックして、エリアからまたエリア、繋ぎ合わせて、顕現させる本日限定ハンドメイドメシア、混雑する脳内食堂カフェテリア、すくいとる語彙と語意、故意に試す混ぜると危険、比肩しようがないのはしょうがない。
だっておれはフリーマン。LHC稼働実験からブラックメサ。ビッグ・ブラザーはおれを見ているが、完全シカトの強固なシングルシンク。語意を奪うニュースピークには騙されんぜ。おれの操る言語はスパイラルスピーク。いわば螺旋状に絡みつく巨大な蛇ってところさ。
ユートピア社会主義が実現不可能であることはもちろん理解しているが、そんな社会に心惹かれるのは現代を生きるひとりの人間として当たり前のことであると思うのだけど、理想を語ることすらも否定してくる連中はなにを恐れているのかさっぱりわかりません。あなたもわたしも同じ人間であり、そこになんの差がありましょうや? まあ強いて言うなら、あなたは権威に縋る愚かな臆病者で、わたしは独立したひとつの精神であるという違いがありますが、そんな僅かな差は超簡単に是正可能です。つまりはあなたの顔面が変形するくらい執拗に殴りつければ、万事解決、オールオッケーであります。あなたの流す血は、わたしの流す涙、あなたの痛みは、私の手の痛みでもありますゆえ、あなたはわたしであり、わたしはあなたであり、おれがあいつであいつがおれで、おれおまえが大好きだ、この世の中で誰よりもあなたが好き、さよならおれ! さよならあたし! という感動的なラストもスマホがあったら台無しですね。速攻でやりとりできちゃいますからね。
直感を信じることだ。しかし直感などは滅多に働くものではない。適当と直感の違いとは? 直感は信じることのできるものだ。根拠はないが確信の持てるものだ。適当は適当だ。確信もクソもない。どうなったってどうでもいいのだ。となると、だ。おれには直感などというものが働いた瞬間は一度もなく、すべては適当でやってきたということになる。しかし、だ。適当に生きていこうという、その第一歩が、まさに直感によるものだとしたらどうだろう? つまり、だ。直感を信じるというのは、言い換えれば自分を信じるということであるし、自分に責任を持つということなのだ。自分から逃げないこと、負けないこと、投げ出さないこと。まあ、ロシア産フェナカイトを媒介としたドリームワークに頼るのもひとつの手ではあるだろうけど、おれはやっぱり裸一貫ステゴロで、内面宇宙の謎に迫っていきたい。
その際には脳波でウェブを編み上げ、精神的な地震性微動の中において、ときにはくつろぎ、ときには情熱的に、ときには他のことをしたり、なにもしなかったりして、精神臨界点への到達を目標に定めて、世界をぐらぐらと揺さぶる網を投影したい。網の最初の結節点、慈しみ深く溢れる新鮮な泉の底の方でのたうつ巨大なナマズが吐く泡のように考え、理解し、そしていよいよ実践に移るときなのだと精神は浮き立つ。揺れながら浮上していく泡のひとつひとつが世界であり、おれ自身であるという、錯覚がかすめればしめたものだ。フラクタル的に広がるロマネスコ農家のシャツの柄もまたフラクタル図形であること、その瞬間を、その手で掴み取れ!
文章を書くという活動はやはり良い。なにを書いたっていいんだから。それはもう心の赴くまま、なんて陳腐な言い回しでは足りないくらいの、圧倒的な自由がここにはある。言葉と言葉の組み合わせは、無限大の可能性だ。思いつくだけ試す価値はある。だっておれはなにも言おうとしていないから。なにもかもが許されているってわけ。ここに伝えたいことを一滴、たった一滴垂らすだけで、言葉は制限され、押し潰され、万有性引力の証明完了となる。しかし、おれはそんな証明には加担したくはないという蛮勇を証明したいのだ。
ある四月の二日の出来事。飛行機雲が空を真っ二つに割った。その割れ目、つまりはスリットは一繋ぎの梵語、つまりはデーヴァナーガリーで記されたサンスクリットだ。そのことに気づいたのも、目撃したのも、おそらくは世界中でおれだけだったのだが、ではなぜ、誰の意志で、この文字は記されたのだろう。そして言葉の意味は。おれにはわからなかった。だってサンスクリットなんて理解できるわけがない。だけど、デザインとして格好いいなあ、そういう感想を抱きながら空を見上げていたのだった。もし、おれが空の文字を解読できていたのなら、世界の趨勢は一瞬でめちゃくちゃになっていたと思うし、それは真女神転生3で、仲魔がスキルになにかを起こそうとしているのと似ていて、おれにとって良い結果も最悪の結果も内包しているわけで、つまりはいつもの世界の活動とほぼ一緒だったってことだ。
雨が降っていた。とても寒かった。
おれは上の文章を意識的によく書くのだが、これはヤプーズの、大天使のように、という曲の歌い出しをサンプリングしたものである。という阿部千代文章豆知識を披露してみたのだが、需要があれば他の豆知識も披露していきたい。なにしろおれだけの独占知識だ。しかしおれだけで独占するのは忍びない。もしかしたら、おれのような文章を書きたいと憧れを持っているチヨキッズだっているかもしれないだろう? いや、いるね。絶対にいると思う。そんなチヨキッズのためなんだよ。おれがたまに自分の文章の元ネタを披露するのは。チヨキッズに言っておきたいのは、おれだって最初からこんな文章を書いていたわけではないこと、そしてこんな文章を書いても銭にはならないこと、だけど気持ちは良いよ! そういうことだね。チヨキッズってモダンチョキチョキズみたいだ。頭がジャングルですよ。
と、いうところで、ポータルがブインと開き、おれはまたここに戻ってきたのだった。文章領域は、あまり長く滞在すると疲れてしまうのでね。メンタルもそうだけど、フィジカルにもくるんです。ですから、おれは昨日からお散歩マンになったわけですが、見事に身体が痛いであります。歩くだけで筋肉痛というこの事実だけで、おれがいかに慢性的な運動不足に陥っているのかがわかろうというものだ。しかし、おれはこのままでは終わらんぜよ。スポーツマン金太郎と呼ばれたこのおれだ。あ、勘違いしないでくださいね。サラリーマン金太郎の元ネタが、寺田ヒロオ先生のスポーツマン金太郎ですからね。日本初のスポーツマンガですからね。年若い人間さんにはサラリーマン金太郎すらピンとこないであろうという懸念はあるが、高橋克典でぇす。っていう物真似をおれは高校生の頃によく披露していたのだが、似ている似ていないの前に、物真似で名乗るってどうなの? という意見を頂戴いたしましたが、名乗るのは物真似の基本だろう、というスタンスを崩さず、いまでも主にガールズバー等を主戦場にして、ローラの物真似とかしているよ。ローラ……わかんない! ってね。いや、だって本当になにもわからないからね。生きるってわからないことだらけだから。ちなみに、ローラは本当にお洒落で素敵な女性で、おれはとても好きですよ。




