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シニカルモンスターを狩り尽くせ

 清濁併せ呑む。できない相談だな。おれは自分を傷つけるような真似はしたくない。おまえらは勝手にミネラルウォーターと下水のブレンドでも飲んでラリっていればいい。そのまま腹を下したっておれには関係のないことだが、そこらに下痢便を撒き散らすのだけはやめてもらいたいものだな。そういう下品極まりないやつを見つけてしまったら、おれは直接おまえに文句をつけにいくぜ。よもや文句はあるまいな?

 安全圏でふんぞり返っているつもりか知らないが、人の痛みに考えを巡らせることのできない恥ずかしい連中に、肌の傷みってやつを教えてやらないとな。かきまわすぜ。引っかきまわすぜ。諦めてはいるが、拳振りまわすぜ。クラゲのように骨のない人間ども、おべっか使い野郎ども、自分ファーストで、まるで忍耐力のない情けない自分たちのありよう以外、なにも言うべき言葉を持たないやつには、有刺鉄線を巻き付けたNOを突きつけてやるぜ。せいぜいイライラしているがいい。


 目覚めて、まずしたことはクソ野郎に唾を吐きかけることだった。そんなエンガチョな一日の始まりだって、ここいらじゃ当たり前のようにある。そんな目覚めをした男の名前は阿部千代といい、なにを隠そうおれのことだった。ウェイク・ミー・ジャスト・テイク・ミー。雨は午後には上がるだろう。重い腰を上げて、今日は家の外へと出掛けよう。おれの目は否応なしに人間社会に向けられることになり、目の当たりにしたことに対して、おれはどうしても反応を示さずにはいられない。そういうことになるだろう、否応なしに。嫌よ嫌よも好きのうちだって? 前時代的な寝言を抜かすな。嫌なものは嫌だから嫌なんだ。そんなことは、昔っからそうで、なにも変わっちゃいないんだ。抑えつけようとするのをやめろ。汚い手で触るな。醜い魂を晒すな。人の怒りを嗤うな。抗う者の邪魔をするな。物言う弱者がそんなに気に喰わんか。その暗い情熱の源泉はどこにあるんだ。

 邪悪極まる一般市民たちよ。貴様らに宣戦布告だ。おれの脳内はお花畑だが、狂い咲いているのはパンジーやチューリップではないぜ。おれの脳はウツボカズラ、ハエトリグサ モウセンゴケ等の獰猛なやつの生息地だ。クソの周りをぶんぶん飛び回るギンバエどもを捕食する。雉も鳴かずば撃たれまい。キチガイじみた奇声を発するときはご用心あれ。暗闇の中で阿部千代がバックスタブを狙っているぜ。


 テーマだジャンルだ、プロットだキャラクターだとやかましいぜ。自分自身をセルアウトして、それでおまえになにが残るんだ。感動だ表現だのなんだのっていうけど金と肩書きしか頭にないのは文章に出ますからね。これで食おうと考えていない文章は純度が高いんだ。賞賛、金銭、あとからついてくるものは結果論だろう。生臭いものが先行しているから文章が濁るんだ。おまえ自身が濁るんだ。

 おれの文章は文学であって文学ではない。この国でイメージされる文学のステレオタイプは相当にダサい。純文学なんていう言葉がすべてを表している。文学って言葉自体からして良くないね。いかにコマーシャリズムと距離を置くか。文章を書くということを追求するか。文章を書くということはどういうことなのか。言葉と言葉を繋ぎ合わせた結果、想起されるビジョンではないイメージ。言葉で殴りつけ、言葉で狂わせる。自分がどこにいるのか、どんな存在なのか、自分の立脚する場所がいかに脆く危ういか、虚構を炙り出し、現実を揺るがせる。

 そんなことをしている間に、外は春になったり、雪が降ったりしているのだが、そんなことはまったくどうでもいいことだ。暑ければ汗をかくし、寒ければくしゃみをするだけさ。文章として書けば、すべては虚構色に染まるし、おれの目の前の現実自体が虚飾まみれなのだから、なにが事実でなにが虚構なのか? そんな問題は端っから問題にならないということだ。かといって、虚構を許容するのかどうかというところなのだが、許容せざるを得ない部分があることは事実としてあるが、この中の事実というものは現象としての事実ではなく意味としての事実なので、勘違いしないように気をつけて生きたい。結局は生きていくしかないのだから。仮に自死を選ぶとしても、その瞬間までは生きなければならない。死のう、そう思っただけで死ねるのなら、おれはもう何千回死んでいることか。いや、死のうと思っただけで死ねるとしても、死は一度きりだ。そして、死のうと思っただけでは死ねないのだから、死を選ぶには相当量の気力が入り用だ。躁鬱の人間が自殺をするのも、ほとんどが躁状態の時だ。エネルギーに満ちあふれた状態での前向きな選択としての死。その疾走感。


 S氏から返事がきた。想定どおりになにも伝わっていない。牛のクソにも段々があるんで、黒人とアジアンが五寸かい論理には彼の歪んだ価値観が表れていておもしろい。彼には差別が不幸自慢大会のように見えているのかもしれないね。まったくクソッタレな話である。まあ別にいいんだ。そういう人だって知っているし。フィフィの動画で、ほえ~って感心してしまうような人だし。ただ、見てるよ、すぐ刺すよ。そう伝えたかっただけだからね。

 そんなどうでもいいことは放っておいて、先を急ごう。おれは今日からお散歩マンになるんだ。なまった身体に活を入れるんだ。イメージどおりに動く身体を取り戻すんだ。その結果、おれの文章は身体性すら帯びていくことになるだろう。自分の能力にはまったくの疑いを持っていない。心配することなどなにもないんだ。おれが参戦しているレースには、自分自身しか競争相手がいない。その競争を、公正に、厳格に、いたずら心と悦びを持って、走り抜くんだ。おれの作る文章領域においては、おれの前には誰もいないし、後ろにだってそうだ。もちろん横に並ぶような存在もいやしない。おれは人と群れずにひとりでいようという健康で賢明な精神をいつだって持ち合わせている。そのおかげで、ある程度は満足のいく文章が書けるようになった。けれどまだまだ手は緩めない。まだまだだ。まだまだ、ぜんぜん足りないんだ。


 おれは今を生きる。若者だろうが同世代だろうが上の世代だろうが、ほとんどのやつがクソ野郎だ。それが真理だ。おれがいくつになろうと、老害だなんて言わせやしないぜ。おれが害なのは年を食ったせいじゃない。はじめからおれはクソ野郎どもにとっての害なんだ。そして、その害っぷりは磨きがかかる一方だ。なぜならおれがそうなろうとしているからだ。そうであろうという自覚を持って、そんな生き方を選んでいる。おれからの被害に遭われた方々においては、大変ざまあみろと中指を立てながら心より申し上げます。

 さてと。この虚ろな空っぽの穴の中で遊ぶのはそろそろ切り上げて、歩きに行くとするか。気づけばこんな時間じゃないか。ずいぶんとのんびりしたもんだ。最近は我を忘れて夢中で文章を書くというわけにもいかなくてね。あっちに行ったりこっちに行ったり、落ち着きのない文章だとは思うけど、考えてみればいつだってそうだったし、おれはそういう文章を書くのも読むのも好きなんだ。だからなにも問題はない。文章を書き続けていられる間は、おれは絶好調だということだ。その合間に、クソ野郎どもにちょっかいをかけたり、かけなかったり、外を出歩いたり、小鳥のさえずりに耳を傾けたり。そんなふうに生きていく。ここで生まれたもんで。

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