無限地獄のフラクタル
目覚めろ、そして捧げろ。おれはすべてを捧げよう。もはや執着すべきものなどはなにもない。すべてのセーブデータ、各種アカウント、溜まったっきりのポイント、コード化された履歴遍歴、すべては虚しく、おそろしく空だ。火を放ち、個人的なお炊き上げをしている。風はなく、煙がひとすじ天へと昇っていった。愛は幻、おれは幻を愛す。転がしたダイス、喜ばしいものであれ嘆かわしいものであれ、出目に従いましょうとも。それが天運なればこそ。天の意志なればこそ。
これほど破廉恥な騒音の前に立ったのははじめてだし、これほど眉唾ものの気分で目の前のものを眺めたのもはじめてだ。ひとつながりのソーセージ、一組のトランプデッキ、ひと山いくらのペーパーバック、一列に並んだセルロイド製フレンチカンカン娘。一切のことが日常茶飯事になり、可能性は閉ざされようとしている。新しい夜明け、黄金の夜明け、身体が光に包まれ、精神は湖よりも静か、そしておれはここに留まる。ここに留まり続ける。
純粋で幼稚な悪魔のビッチは成熟を拒否し、パンクとレゲエとダブを混ぜ合わせ、掠れた甘い声で噛みちぎるように歌った。不用意に近づけば、実際に噛みちぎられるほど獰猛なのに、彼女の歌はとても心地よく、宇宙的な浮遊感が呼び起こされる。そうだ。文章を書いている時はこんな音楽がいい。人が作るものでも、たまに素晴らしいものがある。消費しないことだ。受け入れて、味わって、繰り返して、蓄積することだ。素晴らしいものは咀嚼しづらい。キンキンに冷やしたビールのようなものはクソだ。味もへったくれもない。後味スッキリ、喉越しガン振り、振り返ってみたってなにも追いかけてきやしない。チェイサーにもなりゃしない。まったくどうしようもない。
そういったものたちを、おれは憎み、嫌悪する。限りなく無に近い小便に、申しわけ程度に添加された、人工香料、甘味料。テクノロジーの進化により、生態系はめちゃくちゃにされ、本来は生息できないような外来種が大威張りで創作論とかいう悪臭ふんぷんの息を吐き散らす。毒、沈黙、混乱、睡眠、各種状態異常がおれの脳を蝕んで、おれはこんな文章を書かざるを得ない羽目に陥っている。まったくどうしようもない。時世に順応せよ。嫌なこった。おまえらはまず口を閉じろ。まずはそこからはじめてみたらどうだ。
そんな、まさかね。そのまさかだ。おれはまだまだ文章を書くつもりだし、そしてこの文章は決して書き終わりはしないんだ。今日のおれは本調子ではないが、おれはもう二度と本調子に戻れない気がする。というよりも、おれの調子のピークは42年前で、それ以来調子は下がり続ける一方だ。自分の底なしっぷりには恐れ入るね。まだまだ底はあるぜ。裏技、奥の手、秘密兵器。おれの懐にはその種の物騒なやつをいろいろと仕込んである。神経性の毒をたっぷり塗り込んでね。
世界はポップという病に支配されていた。インターネットはその病がどれだけ人民に蔓延しているかを可視化した。それは絶望するのにじゅうぶん過ぎる光景だった。だがおれは自らポップス的なマスタリングをして、自分の魂をレイプするような真似はごめんだ。ガキが駄菓子に心惹かれるのは理解できるが、いい歳こいて駄菓子的なキッチュさに耽溺している連中の悪趣味さには反吐が出る。おれは自分の気が狂ってしまわないように、文章を書き続けなければならない。ありとあらゆる馬鹿げたことをキャンセルして、おれが書きたいと思う書き方で、そしておれが書かなければならないと感じた書き方で、文章を書き続けている。このとんでもなく醜悪な人生とやらを、自分自身に説明しようと、なんとか納得できる地点を探そうと、文章を書き続けているが、なんとなくわかってきた。納得などというものは存在しないということを。おれがおれである限りは。仮に納得したとしよう。その場合、おれの書く文章は途端に据わりが良くなり、そんな文章を書いた自分自身に失望し、おれはもう二度と文章を書くなどという大それたことを試みようとしないだろう。そんな時間があったら、おいしい料理を出すレストランに予約の電話をして、注文した料理を待っていた方がよっぽどマシだからだ。
あまりにも馬鹿らしいことがありすぎて、最近のおれは眠っていることが多い。起きているよりは眠っている方が、はっきりと素敵な体験だと感じられるようになった。眠る時間が惜しくて、三日間起きっぱなしで幻覚や幻聴と知り合いだったころとはえらい変わりようだが、根本的な部分はなにも変わっちゃいない。つまり、どっちが馬鹿らしいかが問題なんだ。以前は、眠っている方が馬鹿らしかった。それに、おれは自分のことをショートスリーパーだと思い込んでいた。平均睡眠時間が三時間ほどだったからだ。すべては勘違いだった。眠ろうとすればいくらでも眠れることがわかったし、意識を覚醒させておくのはまるで馬鹿らしいことだと気づいてしまった。ぐっすりと眠るのは最高の快感だ。今だって、つい先ほど起きたばかりなのに、もうすでに軽い眠気があって、おれはそれを歓迎しているんだ。
いつだって残された時間は限られている。昔も今も、いつだってだ。起きていようが、眠っていようがだ。だったら馬鹿らしくない方がいい。当たり前のことだ。
アリ・アップの歌声。誇り高き悪魔のビッチの歌声。決して飼い慣らされなかった女の歌声。彼女の歌声から、少しばかり推進力を貰おう。そして、飛ぼう。言葉を継ぎ接ぎして造った十三階段から、螺旋状に結わえられたロープを首に結びつけてダイヴだ。おれの身体は浮き上がり、ここにはもう二度と戻ってこない。すべては通過点、省みることなく、いちいち下を確かめることもしない。螺旋状のロープがたゆみ、そして伸びきるまでの間の時間、その瞬間にだけ、おれには自由が与えられている。その間に、こんな文章を書いてしまおう。こんな文章を書き続けよう。ご婦人や紳士がたと一緒に行儀よく座っているなんてまっぴらだ。おれは貧しい身なりで、咥え煙草で、道ばたに唾を吐きながら、蜃気楼に向かって歩いている方がいい。
人混みのある方角は避けるべきだ。人の流れに逆らって、なるべく誰もいないような道を選ぶ。おれにとっては厄介極まる存在でしかない人の群れ。そんな場所に行くだけで、おれは体調を悪くしてしまう。それでも、あの群衆が最終的には勝利を収めるのだ。連中の論理で、世の中は動き、連中の動向が、世の中は気になって仕方ない。だがそこには、ほんの少しの斬新さもないのだった。似たようなことが繰り返し、繰り返し、ひたすら繰り返し起こり続ける。毎日、記号のような冗談を言って笑い合う。しかし、それは心の底からの笑いではなく、至極単純な反応のようなものだ。生気のない画一的な笑い声が虚しく響く。ふざけているわけじゃない。信じられないことに連中は本気なんだ。おれはそれに気づいた時、あまりの空虚さにぞっとした。そして誓った。笑えない冗談に笑ってあげるのは、もう止そう。それは優しさではなく、相手に服従のサインをしたと同義だからだ。
それからというもの、おれは屈指の気むずかし屋として、どこに行っても忌避されるようになった。それでいい。それでいいんだ。ロープが伸びきるまで、あとどれくらいの時間が残っているのかもわからないのに、退屈なやつらに構ってなどいられない。だから、これでいい。これでいいんだ。




