スーパーバッド
自警団が女性団員を募集していた。夜回りには連れて行かないらしい。事務作業とかをやってもらうらしい。若い男性団員との出会いもあるかもしれませんよ! だってよ。本当に心の底から腐りきっている、見るべきところが一切ない連中、どう生きればそこまでの汚らわしい精神性を手に入れることができるのか、教えてほしいくらいだが、こういうやつらをぶん殴ると、おれが犯罪者になるんだよな。嬉々として嫌がらせをする連中を遠目で見ているしかない歯がゆさ。悔しさと虚しさ。それでも一度はこっちから嫌がらせをしてやろうと、夜の川口に降り立つ。いったいおれはなにをしているんだろう? そんな疑問は当然あるよ。そんな疑問が頭の中をぐるぐる渦巻いているよ。それでも、迷うならやっちまえ。どうせおれの疑問なんて、外面の問題だ。本気で考えてみろって。その疑問はおれの本心からの疑問か? 単に指差されて馬鹿にされるのがおっかないだけだろう? 悪者と看做されるのが嫌なだけだろう? くされ自己保身なんてファックなんだよ。最初からおれは悪者じゃないか。悪者として、悪者の風上にも置けない連中に、一発お見舞いしてやろうじゃないか。単純にムカついているんだ。このムカつきを宥めるには、ムカつく連中の歪んだ顔が必要なんだ。クソ野郎どもめ! クソ野郎ども! 狩ってやる! クソ野郎ども!
多段ヒットなんて現実には存在しない。そのかわり、非常に軽い一撃でも、普通に痛い。相手がどんなに粋がっていようと、痛みに慣れていないやつなら軽い一発で、簡単に戦意を奪うことができる。痛みは、精神に効く。ただ痛みに慣れているやつ、暴力に慣れているやつなら、一撃で致命傷を与えなければいけない。急所をそれなりのパワーで叩いて、意識ごと刈り取らなければならない。でも、自警団にはそんな根性入ったやつはいないだろう、という決めつけのもと、ハンマーは装備の選択から外れた。雑魚連中相手にスタンをとる必要もないだろうしな。となると、やっぱり双剣かな。でも狩猟笛の有機的な見た目でビビらせるっていうのもいいかもしれない。自分強化で移動速度アップを発動させれば、抜刀中の移動速度はなかなかのものになるから、移動もラクだ。ただ、見た目がね。ちょっとキモいよね。
これでようやく三分の一か。いや、こっちの話だ。残りの2000はどうするんだ? いや、こっちの話なんだ。コーヒーを飲み過ぎて、お腹がガボガボ。もうすこし経ったら、カフェイン過剰摂取で気分が悪くなるに違いない。こんなふうに、おれは自分の寿命を積極的に削りにいくのさ。だってもう飽きたんだ。余生を過ごすのもラクじゃないよ。でも、どうでもいいからって言って、刑務所の中で監視されながら生きるのは、やっぱり嫌なんだ。一応、妻帯者なんでね。彼女は犯罪とか逸脱した行為が大嫌いなんだ。信号無視すら躊躇するくらい。そんな人間がなんでおれなんかと? そう思うだろう。それが人間の不思議なところであり、人生の複雑怪奇なところなんだ。
まあ、余生と言ったって、いまでは60歳くらいじゃ老人とは言えなくなってしまった。普通に動くし、頭も働くよね。80歳過ぎてからくらいじゃないか、ようやくホゲホゲしてくるのは。
酒と女の20代。ビデオゲームの30代。さあ、40代はどんな? いまのところは、これだね。文章。文章を書くことが、おれの中でこんなに大きく膨らんでくるなんて考えもしなかった。だけどやっぱりおれがやることは、なにかがズレている。今日書いているこの文章だって、なんだこりゃって感じだろう? おれはこの、なんだこりゃって感じが好きなんだよ。これがおれのスタンダードなんだよ。おれはもう自分を変えることはできないから、この文章を読んでいるそこのあなたが変わってくれ。おれに影響を受けて、おれ色に染まってくれ。頼むよ。おれだって、基本は認められたいよ。だったらウケるものを書けって、それはマジで嫌なんですね。嫌と無理がおれの前に立ちはだかっているんだよ。だからおれが変わるよりも、あなたが変わることが重要なんです。あなた! あなたがおれの頼みの綱なんですよ。生まれ変わってください。立ち上がれ、あなた!
すこしは小説っぽいことも書くか。さらに二年が過ぎた。人生はつづく。
水曜日は、はごろもフーズ。ぽちゃーんと水滴が落ちて、波紋がおれの煩悶を呼び覚ます。
「はやく来てくれ、ゴクウー!」
ゴクウは来なかった。いや、ある意味、来た。人身御供に捧げられて、神の名の許に焼かれ、解体され、それぞれの皿に取り分けられた。赤みがかった断面から肉汁がしたたっていた。おれは涙を流しながら、ゴクウの一部であったそれを、口に運んだ。そうしなければならなかったのだ。神に捧げられた者は残らず食さなければならない。宴に参加したからには、そうしなければならない。たとえ異邦人であったとしてもだ。泣いているのはおれだけだった。おれ以外の連中はみな笑顔で、在りし日のゴクウの思い出を語り合うのだった。皆、心からゴクウを愛しているのだ。
これが手塚治虫だったら、おれは光線銃でこいつらを皆殺しにしているだろう。バシュッ、バシュッ! 宴は一瞬で地獄絵図と化すだろう。
「なぜ……?」
おれといい感じになっていた、あのこはそう言って息絶えるだろう。で、例の鳥がきて、おれは焼け死ぬか、永遠に孤独の中で苦しむか。どっちにしろ、ろくなことにならないだろう。
これが藤子・F・不二雄だったら、宴が執り行われるのを呆然として見送り、傷心のまま地球に帰ったあと、泣きながらビーフステーキを食べるだろう。あれ、食べられなかったんだっけ?
これが藤子・A・不二雄だったら、舌を出しながら「ンマーイ!」と叫んで、チューダーで乾杯するだろう。松葉のラーメンを出前で頼むだろう。愛を知りそめすだろう。
さて、ではおれはどうしたのだろうか。どうもこうもない。普通に食ったよ。美味いっちゃ美味いし、普通っちゃ普通。ちょっと炭臭かった。そんなもんだよ、実際の話。それからしばらく周りの連中とおしゃべりをして、適当なところで引き上げて、そしていまこんな文章を書いているってわけだ。
服についた焼き肉の匂い、というか煙の匂い。焼き肉の後のガムの味。みんな焼き肉好きだよな。好き過ぎるだろう、ってくらい好きだよな。おれはそうでもない。韓国料理として括るなら、参鶏湯の方がおれは好きだ。鶏から滲み出た黄色がかった油がスープに浮いて、ギラギラと光りを反射している光景がおれは好きなんだ。美味いし、滋養を食っている気になる。みるみるうちに元気になっていく、ような気がする。中華の医食同源思想が朝鮮半島まで伝わっているんだな、と感じる。実際のところは知らないよ。
おれはなにも知らないんだ。だけど知識の欠片みたいなものが、脳内を無数に彷徨っていて、それを勝手に組み合わせて文章を書いているんだけど、他の人はどうやって文章を書いているんだろう?
おれの文章って支離滅裂か? でもその場その場では、文章として理解できるだろう。ただ筋がないだけで。筋がないと、やっぱり不安になりますか。消化不良な気分になりますか。やっぱりストーリーって必要ですか。キャラクターとか、どんでん返しとか。伏線とか秘めた思惑とか、陰謀とか策略とか。裏切りとか復讐とか。暴力とか殺戮とか。恋愛とかセックスとか。
人間ってろくなもんじゃねえな。




