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パンチラインのまぼろし

 趣味・ウインドウショッピング。趣味・人間観察。こういうことを自己申告するやつは、中身がすっからかんのくせして、なぜか自分が他人よりも上位の存在であると信じている、というおれの偏見の発露から、この文章は始まる。始まりが終わり、終わりが始まる。始まるはずのないことが始まることも、今では珍しいことでもない。始まりはいつもこんな感じ、探り探りで闇雲に始まっていくのだった。


 こういう言葉遊びを特定のテンションでやると、なにかを言っている気になれる。実際はご存知の通り。ただ、言葉をいじくり回していると、ひとつひとつの言葉の柔軟さ、芳醇さ、ひとつの言葉に宿る数え切れないほどの意味性が垣間見えて、単純に楽しいので、意味のないお遊びだと断ずることもない。しかし、その遊びの中にはおれの意思的なものは一切入っていないのだった。……本当にそうだろうか? おれはたまに、自分の書いた文章に感銘を受けたりもする。本当にその通りだな、と思ったりする。このおれが書いたなんて信じられないくらい、切れ味の鋭いことを書いてあったり、なかったり、でもそれは日によって印象がまったく違ってくるので、やっぱり気分、その日のムードの問題なのかもしれない。

 おれは誠実に文章を書いているのか、それとも不誠実に文章を書いているのか。どちらも正解であり、どちらも不正解。結局のところ文章を書いている瞬間のおれがなにを考えていたのかなんて記憶に残らないのだから、後から書かれた文章を読んでみて、その瞬間のおれの気分が判定を下すだけだ。それくらいの勝手は許されているはずだろう。なにしろおれが書いた文章なのだから。……本当にそうだろうか?

 さすがのおれも自分の書いた文章をそこまで本気になって読み込むことはしない。自分の書いた文章なんていつも斜め読みだ。それはそうだろう。自分の書いた文章にマジになって丁寧に読もうとする、理解しようとするなんて、馬鹿げたことに違いない。でも、まあ、アストラル界を漂流するエーテル体が、トランス状態のおれに文章を書かせていると、そう言い張ることもできる。なにしろ言うだけならおれの自由だ。一行先はいつだって開かれている。どの角度で突入を試みようと、なにも死にはしないさ。


 だが死すらも、開かれているのだから、死にはしないと軽口を叩くのだって命がけだ。死は確実に訪れる。その確実に対して、どれだけのリアリティを感じるかどうかは、人それぞれだろうが、ちょっと目を離した隙におれはこの文章がどの地点を漂っているのかさっぱりわからなくなってしまった。でもそれでいいのだ。なにがどう、いいのかを言葉で表すのは難しいが、それを難しいと言ってはお終いだ。なんのために文章を書いているのかわからなくなってしまう。ではなんのために書いている? それはわからないけど。だろう? だと思ったよ。難しいものは難しいでいいじゃないか。不可能と言っているわけでもないのだし。別に不可能と言ったって問題ないと思うけれどね。ところで、ウインドウショッピングって、どのへんにショッピングの要素があるんだ? ただの冷やかしだろう。元古着屋の店員から言わせてもらうと、買う気のないやつってわかるし、結構あれムカつくからね。なにかお探しですか? とか、よかったら着てみます? とかさ、いちいち声掛けられるとウザいじゃないですか。あれはわざとだから。ウザいのわかっててやってるから。さっさと出てけ、そう言っているわけです。買いそうなやつには、もう少し慎重に接するよ。だから、きみがもし、服屋の店員がいちいち声を掛けてきてウザいと感じる人だったら、きみは服屋の店員に舐められていると考えて問題ない。まったく問題ない。店員なんてシカトで大丈夫。一瞥もくれないでいい。連中の、よかったら着てみてくださいね、なんて声掛けは、なんの感情も意味も入っていない、呻き声みたいなものだと考えて問題ない。まったく問題ない。主体はきみだし、主導権もきみにあるということを、ちゃんとわからせてやるんだ。でも、お客様は神様ではないからな。そこは勘違いしないように。あんまり横柄な態度をとられちまうと、店員だってしまいにゃキレるぜ。


 まあ、なんにしろ、おれはいったいなにを書いているのか。それを簡単に察せられるわけにはいかない。煙に巻いて、巻いて、巻いて、巻き込んで、そこからが本当の始まりだ。はじまりはいつも雨。不動明の親友、飛鳥了はそう歌った。飛鳥了は慣れた手つきで、紙で草をくるくると巻き込んでジョイントを量産していた。とあるディスコでのワンシーンだ。おれはそれを物欲しげな顔で見ていた。おれはジョイントでじゅうぶんだった。飛鳥了は満足いかなかったらしい。結局、あんなことになってしまった。突然キャラが豹変し、ショットガンを持ち出してきた。それはそれで人生だ。始まりは終わり、終わりは始まり。

 ショットガンをジャキンッ、とやるのは全人類の憧れであり、雨上がりには傘であの動作をやるやつが後を立たないが、そこに水を差してくるのがガンマニアだ。おっ、ポンプアクションですか。使用済みの弾薬を排出して新しい弾薬を薬室に装填しているわけですね。ポンプアクションの利点は、なんといっても素早いところですよね。再装填するとき、トリガーから手をはなす必要がないから。これが例えばボルトアクションなら……。

 わかった、わかった。おれが悪かった。勘弁してくれ。ガンマニアの面倒くささは異常だ。だからおれは小説の中に銃火器を出さない。連中に目をつけられたら、たまらないからだ。フォールアウト3のwikiは読み応え抜群の楽しい読み物だけど、銃火器の項目だけ異様な発達を遂げている。そういうのを目にする度に、こいつらとだけは関わり合いになりたくないな、そう思う。気に喰わないとかではない。単純に生物としての強さを感じてしまうからだ。畏怖と言ってもいい。やつらを怒らせてしまったら、手がつけられないような、なんだかそんな気がする。だけどそのまま手を出さずに放っておいたら、勝手に仲間割れを始めそうな脆さも感じなくはない。それってなんだか狂戦士って感じで、ある意味クールだ。


 読点の使い方に悩み出したら、文章を書くことに疲れてきたサインだ。気力がみなぎっているときは、そんなことを気にもしない。すべては自然の流れのまま、悩むことも考えることもなく、ただ適切な場所、あるいは好みの場所に、読点は打たれるだろう。しかし、一度気にしてしまうと、もう止まらない。もう、止まらない。とか、書いたりする。とか書いたりする。なんでもいいだろう。好きに打てよ。そうもいかない。はっきり言って、変な場所に読点が打ってあると、本当に変だ。

 さて、ここでクイズだ。いまこの文章を書いているおれは、どっちの状態だと思う? 自然に読点が打てているのか、それとも読点の使い方に悩んでいるのか。ここではっと気づいた。馬鹿は読点と言われても、なんの話をしているのかわからない。わからないならわからないで、ググるなりなんなりすればいいのに、そういうことをしないのが馬鹿の馬鹿たるゆえんなんだ。知らないことは恥ずかしいことではない。さすがに読点を知らないのはちょっと恥ずかしいけど、知っているつもりのやつだって、ドクテンと読んでいるやつが中にはいるからね。おれだ。おれがそうだ。つい最近までドクテンだと思い込んでいた。句読点はクトウテンと読んでいたのにも関わらずだ。

 おれほどの男だってそういう思い違いをするし、現在進行形できっと他にもしているんだ。知らないこと、わからないこと、間違えること、なんにも恥ずかしいことじゃない。だから、きみが仮に馬鹿だとしたって、別に恥じる必要はないと思うよ。でもまあ、そんなことをいちいち恥じていたら、馬鹿のままでいられるわけがない。そういう意味では馬鹿って強いよ。馬鹿であれ、とかよく言うけどさ、そういうことだよね。おれは絶対に嫌だけどな。馬鹿になんてなりたくねえよ。

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