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寡婦の息子を助けられなかったのは何故か

 子どもたちの午後は終わりを告げ、赤土色の午前に突入した。やかましい小鬼どもが占拠していたリビングはいまや静寂に包まれ、まるで違う表情、物憂げで考え深げな感じ……を見せていた。リビングデッド、生ける屍、おれは死んだように生きるのはごめんだ。

 また今日も文章を書き始める。イチからのスタート。新しい一行。書くことなどない。いまのところは。言葉の巡り合わせで前に進んでいくだけだ。どの言葉に従うのか。おれはすべての言葉に付き従おうとも。かつてはロマンチックだった文学……だが文学なんてもうクソだ。その上で文章を書くおれはなにを作ろうとしているのか。たったひとりのおれになにを作ることができるというのか。すべてだ。がんじがらめで繋がれたこの身体が、おれを圧迫している。解放しなければならない。嘘くさい現実にまつわる規律、その記述、その詐術、すべてにノーだ。天に唾吐き、返し矢と化した唾液、おれはそいつを華麗に捌き、文章を書くための自由を確保するため空間を見出す。言葉の奴隷、だが夢みるのは奴隷のない世界、奴隷が主人となり新しい法律を樹立する。そんな白昼夢を真面目な顔して文章に綴る自由がおれにはある。おれは死んだように生きていたくはない。

 どうしても奴隷を使役したいやつは、おれの前に立て。強烈な一発をお見舞いしてやる。目の前が真っ白に、あるいは赤黒く、一瞬ピカッと閃光のようにひらめいて、鼻の奥がツンと詰まる暗黒の感覚の中でしばらく泳ぎ回っていればいい。


 あまり、この世界は、とか、人間社会は、とか、そういう言葉を使いたくはない。なんだか馬鹿っぽいからだ。だが、これらの言葉抜きで文章を書くのはなかなか難しい。そんなことに気がついた土曜日。まだ風は冷たく、驚くほど寒い。意識が季節を先取りしようとしている。メジロが梅の花の蜜を吸っている。上の方でアカハラが澄んだ声でさえずっている。野鳥の存在がおれの心を和ませる。鳴き声が聞こえると、立ち止まって街路樹や電柱を見回すおれを、行きずりの人間が不審者を見る目で見るとも無しに見ていることを、おれは知っている。一度など双眼鏡を構えていたら、近くでわめき散らしていた選挙カーのマイクから、なに見てるんだろうクスクス、そんな嘲りが聞こえてきたことがある。なぜだろう。おれはカーッと頭に血が昇ってしまい、聞こえてるんだよこのやろう! そう叫んで、ダッシュで追いかけた。徐行していた選挙カーは、マンガにおける記号表現の汗を出すような感じで、速度を上げて逃げ去っていった。何年も前の春の麗らかな昼下がりの出来事だった。あまり不用意に人を笑わない方がいい。おれのように笑われることを好まない人間も中にはいる。


 またこれだ。いつだって話は過去へと流れていく。過去なんてどうだっていい。二度と訪れない、本当だったのか幻だったのか今では証明しようのない個人的体験のことなど文章にしてどうする。いや、論点が違う。おれがおれの個人的体験以外のことが書けるとでも思っているとしたら、そりゃ相当おめでたい頭をしているな。だがおれはなるべく現在進行形で書きたい。過去の話などはどうでもいいんだ。思い出すなら今日一日のことにしてくれ。

 朝、起きて、雨が降っていることを確認して、もう一度、寝た。起きたら夕方になっていて雨は上がっていた。急いで晩の買い物に行った。合間合間にゲームと喫煙を挟みつつ、飯を作って、飯を食って、今に至る。以上だ。これがおれの今日一日。これ以上でも、これ以下でもない。

 違うね。それはいんちきだ。嘘の文章だ。それはただ、おれのとった行動を端折って書いたに過ぎない。その間だってずっと思考していたのだろう。意識は流れていたのだろう。それを書きなさい。ヴァージニア・ウルフを見習いなさい。嫌だ! 彼女は結局、石を抱いて川に沈んでしまった。そうせざるを得ないほどの絶望を抱えてしまった。文章について、小説について、自分の頭、あるいは精神の中について、あんまり本気で考えすぎると気が狂ってしまう。無数に別れている道という道が、途切れ、消え、選択肢から外れ、最後には自ら死を選ぶ道しか残らなくなってしまう。どうしてもそうなってしまう、そうならざるを得ない、おれはそう思い込んでしまっている。


 しかしながら、小説家というやつらは固有名詞をよく知っている。いわゆる語彙が抱負ってやつだ。おれの感覚からすると、なんでもない台が、台としか表現しようのないものを、専用の固有名詞で書いてあったりするでしょう。ああいうのを見せつけられると、嫌だなあって思いますよ。いちいちそんなことを調べたくないなあ、って。そう思っちゃいますよ。だから描写って嫌いなんですよ。洋服の名称とか、生地がどうだとか、なんたら風の建築とか、位置関係とか、通りの名称とか、すべてどうでもいいんだよ。距離とかサイズとか、鼻の高さとか、まつげの長さとか、そんなことをいちいち考えながら生きていないんだよ、こっちは。大切なものはそこじゃないでしょう。ではどこなんだって聞かれても、わかるはずがないだろう。

 前に、雑誌の編集に携わっていた友人に、おれの書いたものを読んでもらったことがあるけど、この人たちはなにもない空間で会話してるの? って言われて、馬鹿なんじゃねえかコイツ、そう思ったことがあるよ。そんなわけないじゃん。普通にわかるじゃん。そんなことをいちいち説明しなきゃいけないわけ? どんなやつが、どこに居て、どんな服を着て、どんな表情をして、どんな体勢で、なにをしているのか。わかった、わかった、もういい。もう結構。そんなことに興味ない。興味ないことは書きたくない。どうせ書いたって誰も読みやしないよ。目を通すだけ、目で文字を追うだけだろう、どうでもいい描写なんてものは。どうせ頭に入っていきやしないよ。だったら書くだけ無駄じゃないか。でも納得できないらしいんだよ、それだと。小説にならないらしいんだ、そういう無駄なものがないと。もう面倒くさいったらない。だから、おれはもう普通の、普通と言われている形式の小説、そんなようなものを書くつもりは一切なくなった。


 言葉。文章。小説。難しいことを考えるのはやめた。考えなければいけないことはたくさんあるし、書かなければいけない文章だってあるはずだ。なにしろ書かなくてもいいことが書かれてある文章がこの世界には溢れている。この世界。またこの言葉を使ってしまった。安易に使いたくない言葉ナンバーワン。だけど思わず使ってしまう言葉ナンバーワン。世界。世界ってなんだよ。世界は、世界なんていうたったの一言で言い表せることのできるものではない。それでもすごく便利なんだ。世界。この世界。広い世界も狭い世界も、世界の一言で表現できるのだから、使わない手はないだろう。でも違和感があるのなら、その違和感を探り続けることが、文章を書く人間として最低限、保ち続けるべき姿勢でもある。

 きっとこれからも、おれは世界という言葉を使うだろう。しかし、おれが世界という言葉を使うとき、やはりその言葉に疑いは持ち続けるだろう。そもそも、おれはこの世界、おれを取り巻くこの世界、おれ自身がその一部をなしているこの世界を信じてなどいない。信じられるものなどはなにもない。信用に足る言葉などなにも。だっておれは螺旋状の少年の存在すら疑っているのだから。こういうことを書くと、必ず現れるのが、螺旋状の少年。彼の足音が聞こえる。夜道の足音が。地面を蹴飛ばし、高く高く舞い上がった彼の息吹が。

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