転校生のような赤い顔
強烈な眠気に殴られながら、文章を書き始める。最近はずっとこうだ。日付が変わるか変わらないかって頃にいったん眠くなる。実際もう半分以上は眠っている。そして午前1時頃に突然なんの脈絡もなく眠気が晴れ、山間の谷に虹が架かる。そこからはもう眠気知らずのビンビン。一晩中ヨーデルの練習をするんだ。声をひっくり返して、戻して、ひっくり返して、戻して。そんな運動を高速でヨレヨレヨレヨレとやっていると、孤独が紛れる。日本人ながらドイツでヨーデル歌手として大活躍する石井さんがおれのヒーローだ。日本で言うと、ジェロがめちゃくちゃ売れたみたいなものなのだろうか。いや石井さんは、あんな企画物のイミテーションではない。本人の喉だけでのし上がったリアル・ヨーデル・マスターだ。と言うか、ヨーデルってスイスじゃないの? そう思った方も多かろう。バルログに引っ張られてスペインだと思っている方もいるかもしれない。でも考えてもみろって。ドイツといったらソーセージだろう。ヨーレヨレヨレヨレ、ヨールロレイッヒー。ヨーデルは難しいが、コツを掴んでくるとマジで楽しい。おれはこんな文章を書きながら、最近はヨーデルなんだ。
唐突にエッセイから純文学へとリハウスしてきました。嵐の転校生、螺旋状の少年です。素敵な文章をたくさん書いて、風、巻き起こしていきたいね。ただ、まあアクセスは減るだろうな。それはもう承知の上だ。別にアクセス数で勝負をしているわけじゃない。おれは文章そのもので勝負しているんだ。ジムを移籍しようが今までどおりに文章を書き続けるだけだ。文章で殴りつけるだけだ。
しかし、不思議なものでいつものように書こうとしても、なぜだか意識をしてしまうのですね。発表するジャンルを変えただけだというのに。そんなものはクソどうでもいいことだというのに。これも、おれが一個の人間たる証左よ。たった何クリックかで、精神状態ががらりと変わってしまう。ジャンル、肩書き、属性……そんなものはどうだっていいんだって。ただ、エッセイだけは勘弁マジ。そう思っただけさ。純文学の方が幾分マシ。そういう個人的なフィーリングの問題なんだ。でも螺旋状の少年はストーリーテリングをしないんだ。ミスタ・ストーリーブックとの出会いを求めている方はここらでサヨナラだ。こんな感じのライティングが延々と続く。脳内音読者のための、ビートの効いた文章。単語とタンゴ。屈折した文節。重奏的な文章。ショウアップは抑え気味に。だけど、今夜はちょっと派手にやってる。無駄な気取りが入ってる。そろそろ落ち着きたいね。でも一度ついた勢いは、なかなか収まってくれやしないのさ。
いつも以上のスピードで、転がり続ける螺旋状の少年。エッセイから脱出できたのがそんなに嬉しいのかい。違う。そうではない。本当に浮き足立っているんだ。緊張とまではいかないが、なんだか変な感じだよ。まあじきに慣れるさ。初めての引っ越しを経験した飼いネコだって、最初はそこいらをふんふん嗅ぎ回って落ち着かない仕草を見せるけど、三日も経てば腹を見せながら弓なりに反り返っているものだよ。
そのとき、螺旋状の少年と目が合って、おれは思わず顔を赤くしてうつむいてしまった。彼はなにも言わず、にやにやと意地悪な笑みを浮かべてこちらを見つめている。あの硝子のような眼で。ちくしょう、見透かされているんだ。ネコのことなんて普段は絶対に書いたりしないのに、ちょっと好感を持たれようと思って。そういう邪な狙いを、ぜんぶ見透かされちまっているんだ。
そういうわけだから、おれはもう二度とネコのことを話題に出したりはしないだろう。
ああそうだ。おれはネコが好きだよ。日めくり猫、猫の手帖が普通にある家庭で育ち、おはよう!スパンク、ホワッツマイケル、みかん絵日記、アタゴオル物語、ルドルフとイッパイアッテナ、100万回生きたねこ……この辺は当然押さえてあるし、チポーは猫、なんていうおそらくは誰も知らない古の少年チャンピオンの読み切りマンガのことだって覚えているし、冷蔵庫のマグネットだってすべて猫で揃えているし、内田百閒の「ノラや」だって通読していますよ。それに柊あおいの例のマンガだって、もちろんフェイバリットですからね。はっきり言って、そんじょそこらのやつには負けないくらいネコが好きな自信はあるぜ。
だが、ここ最近のネコの出世具合は異常だ。どいつもこいつも、ネコ、ネコ、ネコ。まったく古代エジプトじゃないんだから。あ、諸星大二郎のマンガにも猫パニックっていう印象深い短編があるね。栞と紙魚子シリーズでもネコのボリスが大活躍だしな。それにしても、ちょっと皆さんネコが好き過ぎるのではないですか。あげるエサだって、ちょっと前まで安い猫缶とカリカリのローテだったのが、いまじゃロイヤルカナンが標準装備だもんな。いかれてますよ。ねこぱんちとかいうネコだけのアンソロジーコミック雑誌まである始末だよ。ちょっとおれには理解できない風潮だね。まあ、キャッ党忍伝てやんでえ、までいくとネコとかあんまり関係なくなるよな、ネコ目スラッシュ。そんなわけだから、反逆児たるおれはこの世の中の風潮に抗って、もうネコのことなど書かないと、強くそう誓うのであった。
ぬるいね。どうにもぬるい。電子レンジで一瞬だけ温めた、ネコにあげるミルク並のぬるさの文章だ。しかし、もう書いてしまったからには仕方がない。認めよう。今日のおれはとち狂っている。だが諸君。これが阿部千代の文章だと、螺旋状の少年だと、そう思っては欲しくない。と言ってみたって、おそらくはいつもの人が読むのだろうし、それに他人の目などを気にしている場合ではないんだよ。おれはおれの書くべき文章を追求して、ただ書き続けるだけなんだ。いっときの恥などは技ありの上手捻りで土俵に沈めてやるのさ。そして心を鎮めて、息を深くつき、万雷の拍手を背に浴びながら、廃業しちまった兄弟子の可愛がりに思いを馳せるんだ。ほら、もう恥ずかしくない。ぜんぜん恥ずかしくないし、ネコのことだって本当は別にそこまで好きではない。そういうことだから。
おれという男は、本当にかわいいやつというか、正直で一本気な信頼のおける人間だと思うよ。だって投稿するジャンルを変えただけで、ここまで調子を狂わすやつが、小説家になろうに存在しただろうか。自分でも驚くほど、なにを書いていいのやら、さっぱりわからなくなってしまうのだから。人間という生き物は本当に気分で生きているのだなと改めて実感しましたよ。そんな状態にしては、まあ愉快でお茶目な文章を書けたのではないかと。これは好感度爆上がり間違いないのではないかと。別にそんなつもりはないんだけどな、マジで。ま、今回は螺旋状の少年リブートVol.1ってことで。これくらいで許してくださいや。
「転校初日だもん、緊張くらいするさ」
螺旋状の少年はそう囁いて、いっそう強く吹いた風の中に消えていった。ちょうど、風に巻かれた砂埃が左目の中に入り込んでしまって、激しい痛みに混乱している間の出来事だった。おれはそのまましばらくそこで、涙が溢れる左目をしばたかせていた。螺旋状の少年とはそれきりだった。
家に帰って、鏡を覗くと左目が真っ赤に充血していて、それはもう見事なもんだった。風は止むことを知らず、笛の音のような音を響かせていて、なんだか雨の予感がする。ベランダの網戸がかたかたと揺れ、なんだか気が散るので雨戸を閉めた。特に集中を要するわけでもなかったのだけど、なんとなく。




