表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/99

気づいた時には遅かった

 例えばジャンプができないアクションゲームがあると、プレイヤーはなぜジャンプができないんだ、と怒るけど、普通に考えて我々は普段ジャンプをすることがあまりない。ジャンプをする状況はかなり限られているということだ。ましてや生死のかかったのっぴきならない状態にいるやつが、突然なんの脈絡もなくぴょんぴょん飛び跳ねて無駄に体力を消耗したり隙を晒したりするだろうか。あなたたちはジャンプを過大評価し過ぎだ。二段ジャンプなんてものもある。ああ、二段ジャンプができたらあそこに届くのにな、っていうシチュエーションがあなたに訪れたことがあるだろうか。そもそも、二段ジャンプってなんだ。どういう理屈だ。だが二段ジャンプが最初から用意されている場合はいいとしても、なんらかの形で二段ジャンプを習得するゲームがあったりするけど、そんな瞬間は世界が広がったように思えてとても気持ちいい。いろいろな場所で二段ジャンプを試したくなる。いけるかな。いけそうだな。しかし、そこには元々足場が設定されていないらしく、見えない壁に阻まれて、奈落の底へと落ちてゆく。あ、死んだ。と思いきや滝の途中に岩場があって、隠しエリアに通じる洞穴がぽっかり口を開けているのだった。味な真似をしやがる。おれはいいように手のひらで転がされたというわけだ。だが二段ジャンプの謎は謎のまま、目の前にごろりと転がっている。謎は謎のまま謎としてあるからこそ謎でいられるのさ。二段ジャンプはそうとでも言いたげな顔をして、こちらを見ている。それでわかった。二段ジャンプは、螺旋状の少年だったのだ。


 ずっと迷っていることがある。下らない迷いだ。あまりにも下らないものだから、おれ自身もその迷いに気づくのに時間が掛かった。螺旋状の少年のジャンルをエッセイから純文学に移そうかどうしようか。そういう迷いだ。もとよりおれはエッセイなどというものを書いているつもりはない。むしろエッセイというものへの明確な敵意を表明している。嫌いなんだ。下手くそな化粧を施した平凡極まる自意識を見せつけてくる文章が。嫌なんだ。そういう連中が自分をエッセイストだと言ってのけている風景が。そして、おれもその一員として見られていたら。そう考えるとやるせない気持ちでいっぱいになって、胸が張り裂けそうだよ。潜在的民族主義者や凡庸な悪、精神ドーピング中毒者や退屈な道化者、スピ者に権威主義的クレーマー、冷笑ワナビ……そういった魑魅魍魎どものサロンと化しているこのエッセイジャンルは、はっきりいって地獄だ。もちろんスケールは極小ではあるけど、地獄に貴賤はない。地獄は地獄なんだぜ。

 とはいえだ。純文学っていうのも微妙だ。螺旋状の少年が純文学へとジャンルを移すことを、椎名へきるがアーティスト宣言をしたような感じにとられてしまいそうだ。そもそも純文学ってなんなんだ。まあ定義として曖昧なのはいいとしても、響きがダサい。ダサすぎる。もうちょっと、こう、なんかないですか、そう言いたくなるね。純文学に対して言いたいことはもっとたくさんあるんだけど、まあいいですわ。純文学ね。結構じゃないですか。しかし、そこに投稿されているものを読んでみると……純文学ってなんだろう、ってまたそこに戻ってしまいますね。いや、人様が必死で書いたものにケチをつけたいわけではないのですが、なにコレ? どこが純なのかな。まったく純化されていない。まるで結婚式の二次会の余興を見せられているような感覚になってしまうのだけど、アマチュアいうんはそこまで免罪符になるんですかいのう。わしゃ理解できん。カープのスタメン四番松山くらい理解できん。

 そこでだ。おれは貴殿らに感想を申し込む。貴殿らというのは、あなたたち、螺旋状の少年を読んでいるあなたたちですね。螺旋状の少年はエッセイジャンルに居座るべきか、純文学へと移るべきか。どう思いますか。どうでもいい、という感想でも結構だ。なにか少しでも思うところがあれば、あなたのその考えを聞いてみたい。螺旋状の少年はログインせずとも感想が残せるようにしてある。ぜひおれをがっかりさせないよう、頑張って行動に移してほしい。


 しかし、無反応であっても、おれはがっかりしたりはしないだろう。どちらにせよ、どうでもいい話ではあるのだから。ただ自分の中に閉じこもっているだけでは、螺旋状とはいえないのではないか。そう考えただけだ。おれはおれの中に一石を投じてみた。マンネリズムに陥る前に、聞き耳を立て、波紋を立て、発生した波形の行方を観察してみようと思い、それを実行しただけだ。もちろん計画性があったわけではない。ジャンプという単語が、おれの迷いを浮かび上がらせた。跳びたいんだね。でも着地点がわからないんだね。もしかしたら、二段ジャンプなら到達できるのかも。そんな感じだ。つまりは二段目のジャンプ、それが感想申し込みという発想だということだ。おれにも予想できない跳躍。これが醍醐味だ。もちろんそれがすべてというわけではないけれど、たまにはきみを微笑ませる冗談を言ってみたって、罰は当たらないだろうさ。おれは人を爆笑の渦にたたき込むよりも、にやっと口元をほころばせる方が好きなんだ。人を食ったようなど真ん中のスローカーヴで見逃し三振をとってやりたいっていう、子どもっぽいサーヴィス精神の発露だとでも思ってくれたまえ。


 そしてまた、ジャンプだ。今度は銀河の果てまで。ワームホールが歪み、加速が光速を超えてすべてがスローモーションになる。光を置いてきぼりにするのは、いつだって快感であると同時に恐怖でもある。許されないことをしているという背徳感すら覚えるのは、おれが迷信まみれの旧世代の人間だからだ。光こそ神の顕現であると信じていた時代は、そう遠い昔のことではない。それでも、クルーの大半はすでに新世代の人間に移り変わっていた。彼らはジャンプに対してなんの感慨も抱かない。それは当然のことだ。彼らがまだ小さい頃には既にジャンプ技術が確立されていたのだから。だがおれからすると、彼らもまた、おれには理解できない迷信をその身体に叩き込まれているように感じる。所詮、肉体に縛られている以上は迷信からは逃れられないのかもしれない。自分たちがなにか意味のあることをしているという迷信。銀河の果てのアステロイド帯、その中の自転周期30分弱の小さい岩を削りに行く。こんなことに一体なんの意味があるというのだろうか。これからずっと、こんなことをするためだけにおれたち人類はいちいち光を追い越すのだろうか。

 かつては世界が途方もなく広がったように思えた。しかし、ジャンプを繰り返すうちに気づく。所詮はなにかの手のひらの上で飛び跳ねているだけだと。そしてこの身体に縛り付けられている以上は、こんな感覚から抜け出せないのだろうと。銀河の果てにいようと、部屋のソファで寝転がっていようと、そこに大きな違いはない。おれはここに存在している。ただそれだけのことなのだから。おれはずっと、一生、この場所に存在し続ける。おれがジャンプしているわけではない。おれ以外のすべてがジャンプしているのだ。おれが移動しているわけではない。世界が移動しているのだ。世界とはなんだ。おれとはなんだ。

 ジャンプが終わり、拘束ベルトが外れ、自由に動けるようになる。窓から沈黙の世界を覗く。そこに、いた。螺旋状の少年が。おれを見つめていた。おれは手を振った。螺旋状の少年は微笑み、手を振り返してくる。彼はなにかをおれに伝えようとしている。口元が動いている。

 え、せい、から……ぬ、け、だ、せ……? なんのことだろう。おれが首を傾げると、螺旋状の少年は既に消えていた。衛星から抜け出せ? 彼がなにをおれに伝えたいのかはわからなかったが、なんとなく従ってみようと思い、さっそく軌道計算に取りかかった。そんなおれを、新世代のクルー連中は胡乱な目つきで眺めている。連中には後で教えてやらなければならない。こんなこと、ここいらではよくあることさ、とね。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 純文学でいいと思いますよ。本作は実際にあった事よりも、作家の内面の描写が多いから。 エッセイジャンルよりも表現に対する懐が深いですよ、純文学は。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ