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午前3時の頭をぱーんっ

 さて、ここ小説家になろうにおいて、午前3時の番長として君臨してきた螺旋状の少年であるが、そろそろ投稿時間がばらける予定だ。引き止めてくれるな、午前3時の怪人たちよ。おれにだっていろいろと事情がある。ある日突然、螺旋状の少年は午前3時から消えるだろう。泣くな、午前3時の変人たちよ。投稿時間が変わろうとも、午前3時のスピリットは永遠だ。そうだろう? 友よ。そうだろうとも。

 ネバーランドはちっともネバーではなかった。小世界は崩壊の運命に向かって一直線だ。ロストボーイズというギャング団の頭領であるピーターパンは、敵対する相手の手をばっさりと斬り落として、ワニに食わせるサイコ野郎だった。

 おれたちの安寧の地はどこにあるのか。確かに午前3時の居心地は悪くなかった。しかしネバーランドはちっともネバーではなかったのだった。近いうちに螺旋状の少年は、螺旋状に神出鬼没の少年と化す。友よ。探してくれ。螺旋状の少年の足跡を辿ってくれ。友よ。見つけてくれ。螺旋状の少年とのかくれんぼに付き合ってくれ。友よ。安心してくれ。螺旋状の少年はいつだってここにいる。そうだろう? 友よ。そうだろうとも。


 好きにしてって言ったらどうします? 消えてくれ。そう言うね。あまり細かいことをごちゃごちゃ言いたくはないが、文章を書いている最中に目に飛び込んできて気が散ってしまうことがあるのは勘弁してほしいところではある。もちろんそんなもんは気にならないくらいコンセントレーションが高まっているときだってあるのだけど、ふとひと息ついて、蜂蜜状の粘体を両手に溜めて顔を上気させている女子のイラストレーションが目に飛び込んでくる瞬間、台無しになるものってあるよ。

 改めて聞くけど、好きにしてって言ったらどうします? じゃあ抱きたい。結局はそこに行き着くのだった。なにもかもを取っ払って、見栄も恥も自尊心も捨てたのなら。それがなければ人類は滅びてしまう。フィジカルの結びつきが、メンタルの最後の砦ということもよくあることだった。確かに刹那的な快感だけでなく、他人に身体を受け容れてもらえるということは特別な体験ではある。しかし、そればかりを追い求めていると、やがては虚無に取り込まれてしまい、なにをしているのか、なぜしているのか、そこらへんのところがよくわからなくなってくる。むしろそういった角度からの衝撃には想定以上の脆さを孕んでいるともいえて、メンタルの砦とするにはいささか心許ない行為だと断定しても言い過ぎではないだろう。やはり期間限定のフィジカルの結びつきは、お互いフェアプレーの精神で挑みたい。じゃないと、病む。もしくは、こじれる。好きにしてって言ったらどうします? 男目線で言わせてもらえば、こんなことを言ってくる女性は、はっきり狂っている。見栄と恥と自尊心と理性と良心を捨てなければ、そういう結論になる。だが、これが小説や映画、その他フィクションの中の話であれば、抱くのがリアリティなんだろう。よくわからない理屈や力学が働いてそうなる。そういった辛気くさいものは、すべて滅んでほしい。それがおれのささやかな個人的な想いだ。


 ささやかな願いはささやかな願いのまま、願った本人にすら、いつかは忘れ去られる。ささやかたる所以だ。では壮大な願いはというと、壮大すぎて個人の手に負えるようなしろものではないのだった。願いや祈りが混線して、大多数がその塊をほぐそうともせず、ノイズを受信してはエウレカ! そう叫んで風呂から飛び出し、水着に着替えてナイトプールに飛び込み、コバルトブルーのカクテルに真っ赤なチェリーを浮かべて満悦している。ダークライトを浴びて浮かび輝く鼻筋のシリコンの噂話に尾ひれ背びれがつき、月光に照らされた飛び跳ねるシルエットはピラニアのようだった。

 多摩川にはピラニアが多数生息していて、溺れた子どもを食い尽くすという噂話は現在も健在なのだろうか。テトラポットの間は水流が複雑怪奇なものになっているから、そこに落ちたらあっという間に飲み込まれて、テトラポットと水流とテトラポットですりおろされてしまうという。その話は本当なのか。試してみようという気にはならない。しかし、そんなに危険なら、テトラポット地帯の周りに柵などが設けられていないのはなぜだろう。いくつかの言葉から連想される疑問ならいくらでも作れる。でもそんな遊びを楽しんでいるのは、もしかするとおれだけなのでは? これを読んでいる人間は? 退屈な文章を書いているつもりはない。が、安易におもしろがれるような文章をサーヴィスする気にはどうしてもなれない。もし、この文章を楽しめない人間がいるのなら、その人間はアホ、あるいはこのような文章のからくりを見破っている、できるやつだ。おれは両方の種類の人間に、この文章を読んで欲しくないと思っている。アホはアホだから嫌いだし、できるやつにはこのような文章を読ませるに忍びない。


 メトロポリタンミュージアムの歌詞の、トランペットのケース、トランクがわりにして出発だ、っていうところ、トランが重なるのがすごく気になるっていうか、トランペットのケースの前の歌詞が、ヴァイオリンのケース、なのになんで急にトランで重ねるんだろう? 歌ってみても、聴いてみてもすごく違和感があるのだけど、この話、通じていますか。まあでもそれを差し引いても、メトロポリタンミュージアムはいい歌ですよ。みんなのうたの中では一番好きかもしれない。あとはキャベツUFOとか、まっくら森の歌とかが好きだね。こうやって書いてみると、おれは子どもの頃から夜の住人だった、もしくは夜に対してすごく憧れを持っていたということがわかるね。小六まで夜9時には寝ていたけどね。そういやおれは君が代って子どもの頃から聴いたことがなくて、でも国歌ってどんなんだろうって気になるから、どうにかして聴きたいなって思っていたのだけど、真夜中のNHKで流れるよっていう情報をどこかからゲットして、そういうところでも真夜中っていうもののイメージが膨らんでいったね。まあ初めて中学生くらいのときに君が代を聴いたときには、なんだこりゃって思ったけどね。これって歌なの? みたいな。いまだに変な歌って思うよ。いや歌としてだよ。政治的な意図はこの文章の中にはないですからね。単純に歌として、なんか変じゃない? っていう。特に終わり方とか、すごく変じゃないですか。まあぁぁでぇぇ。って最後にそこまでテンション下げていくのかっていう驚きがあったよね。こういう昔の記憶を文章に書くということをしているときは、おれの文章が雑になることにきみは気づいているだろうか。つまり集中力が切れているってことなんですよね。言葉が出てこないから、昔の記憶に頼るんだけど、文章で説明っていうのがおれは嫌いっていうか、面倒くさいよね。だからどうしても雑になってしまいますね。描写を書くのが嫌いなのもそういうところだよね。描写は読むのも嫌いだけどね。ラヴクラフトぐらい偏執的に風景をねちっこく描写してくれると、ああこの人はこういうのを書くのが好きなんだな、じゃあいっちょ読んで想像してやろうかなって気になるけど、読んでるそっちもつまらないだろうけど書いてるこっちもつまらないんですよ、みたいなさ。小説ってこういうものだから仕方ないじゃないですか、みたいな姿勢で書かれている描写は、すべて滅んでほしい。それがおれのささやかな個人的な想いだ。

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