やつら、まるで飢えた獣のように
馬鹿につける薬はないというが、馬鹿になれるものは薬に限らずなんだって揃っている。馬鹿になれ。好きに生きよう。常識をぶち破れ。あらゆる文脈で語られているこのようなコピーを素直に信じたって馬鹿を見るだけだ。ありとあらゆるものは大抵の場合において不誠実で無責任、そんな聞こえのいい甘言に耳を貸している場合ではない。きみにはきみだけの人生があるはずだし、おれにはおれの生き方がある。そこに殉じることができるかどうかが勝負の分かれ目だ。なにもかもを否定したいわけではない。しかし否定せざるを得ないものがこの世界には溢れている。おれはおれの名において、ほぼすべてを否定する。きっとおれは否定するために生まれてきたに違いない。そういう役目を請け負っているのだ。多くの人に愛される役目ではないのは承知している。それでも良い部分だってあるんだよ。おれは決して手酷く裏切られたりはしない。裏切りがあるとすればそれは甘く優しい裏切りだ。ただ唯一、恐れているのはおれ自身からの裏切り。これは怖いね。おれがおれを裏切ったなら、おれはおれを許すことはできない。仮に、もし、そんなことになってしまったら、裏切り者には永遠の眠りについてもらうことになるだろう。
ちくしょう。おれの体内に渦巻く怒りの炎は根深くどす黒く、飛影が繰り出す邪王炎殺黒龍波のように爆裂だ。おれだって邪眼のひとつやふたつ、この身に宿してみたかった。それが無理なら人差し指から弾丸くらい出たっていいようなものなのに、神様は人間を人間としてお作りになられた。結局おれはおれの怒りを飼い慣らす必要に駆られ、こうしてこのような文章を書くはめに陥っている。おかげでだいぶ冷静になった。指先から弾丸は出ない無改造人間のままだが、指先で言葉を放つ修行を積んだ結果、いままさにその言葉がきみたちの脳細胞を食い破っているという状態のいま、ここ、現在地がある。救いようのない馬鹿の脳内には謎の寄生虫が巣食っていて、すぐに言霊とか言い出すからおれは困っている。言葉には力がある……? いや、ないよ、そんなものは。言葉を操る人間の指先に力があるんだ。言葉そのものは、ただの触媒だ。おれのエナジーソースをエンチャントした言葉が放たれ、その言葉を受け止めた誰かのエナジーの指向性が最終的なジャッジをくだす。つまりはこの言葉を燃やすか否か。世界がそれを選択するんだ。もし燃やす場合は華氏451でこんがり頼むよ。ついでにおれも燃やしておいてくれよ。根深い、どす黒い、怒りとともに。人生で一度くらいは真っ黒な消し炭になりたいって、丁度そう考えていたところだったんだ。真っ白な灰に燃え尽きたいなんて贅沢は言わない。どうせおれの肺はヤニでまっくろけっけだよ。こんな文章を書いていたっていつまでたってもハイになれやしないさ。つまりこれこそが言霊なんて存在しない、するはずがない、なによりの証拠ってことなんだ。
ヘアスタイルがキマっているかどうかが最重要事項で、結果如何ではその日の気分が最悪に落ち込むこともあった。ガンギマリの日は、それはもう上機嫌の無敵気分で、キャットストリートのど真ん中を胸を張って闊歩したものだった。逆にどうしても、思い通りにキマってくれない、ドライヤーから放出される熱風にも頑固に耐える前髪のへたり具合に直面した日なんかには、遮光カーテンを閉め切った部屋の中、灯もつけずに日がな一日、ゲームボーイアドバンスのベストプレープロ野球のリーグ戦をしこしこと進行させていたのだが、そんな自分とはもうサヨナラ、グッバイ、アスタ・ラ・ヴィスタ。
10本以上所持していたエース・コームも、折れてしまったりなくしてしまったり、まったりとしてコクのあるココナツの香りの油性ポマードの缶を洗面所に積み上げていた日々も過ぎ去ってしまって、木製アパートのフローリング床に市松模様に敷き詰めていたツートーンのタイル、ラットフィンクのポスター、ティキの置物、レパード柄の毛布……そんなようなもの全部、次元の狭間に吸い込まれてしまって、いまはもうなにもかもがおれの前から消え失せてしまった。
おれの髪の毛はすっかりと伸びて、後ろで束ねてお団子にするのが最近のよそゆきのヘアスタイル。つい先日、飲み屋で便所に入ろうとしたら、若い男に「ちょっと、違うよ!」って声を掛けられたから、ちょっとビビらせてやろうと振り返って、なに? なにが違うの? 声を落としてそう言ったら、若い男は息を呑んでから、すいませんとかなんとか小さい声でもにょもにょと呟いていた。ということがあって、相変わらずおれは実際にあったことを文章で説明するのが超下手くそだな、と思いながらも、つまりはおれは後ろ姿で女性に間違われたというわけだ。しかしまあ、ちょっとダボッとしたパーカーを着ていたにせよ、間違えるかね? 体格とかでわかるだろう。
そんなおれは最近YouTubeでかわいい女の子の髪のまとめ方動画なんかを視聴して、いろんなお団子の作り方を研究しているのだけど、彼女たちのお洒落への創意工夫と遊び心には本気で頭が下がる思いだ。このリスペクトだけを伝えたくて、ヘアスタイルのことを書き始めたのだけど、あっちへこっちへ散々寄り道した挙げ句に、最終目的に差し掛かるころには息切れしていて、一番伝えたいことをさらっと書き流すという、いつものおれの文章スタイル。
やっぱりおれには目的などなにもないままに書き飛ばす方が性に合っている。が、手癖だけに甘んじ続けるわけにはいかない。珍しく書きたいことが見つかったってのにこの体たらくでいいのか。いいわけがない。素直に反省して先を急ぐことにする。
なんだかしらけてしまった。速度メーターの針が急激に左に振れていくのを目で追いながら、それでもアクセルを踏みつける気にはならなかった。後続車から猛烈なパッシングとバッシングを浴びても、まるで気にせず螺旋状の少年はその場で妙な表情をしたまま固まっていた。もうどうでもええんじゃ。そう言いたげな表情だった。先生、足が取り替えられるもんなら、取り替えたいんじゃ……。頭を抱えこんで泣き崩れるのだった。
まさか、と思いましたよ。あと少し、ほんの少しだけやる気を出せば、いや、やる気なんか出さなくたって、惰性でも慣性でもなんでもいいから、進みさえすればトップでゴールができる状況ですよ。こういうことは練習では度々あったんです。たとえ快走を見せたとしたって、それが納得いかなければ彼はこうなってしまうんです。でも、ここはモナコですよ? そんなことを言っている場合じゃない。頼むから走ってくれ、アクセルを踏んでくれ、そう拝み倒しましたよ。なんとかなだめすかして、ようやく走り出してくれた時にはホッとしましたが、時すでに遅しといった趣でもありました。とっくにリタイア扱いとなっていたのですから。
前田智徳ウィキペディア・DJ螺旋状の少年コラージュミックス。なぜこんなものを突然おれが書き出したのかはわからない。だが前田智徳のウィキペディアは全人類に読んでほしい文学作品だ。真偽なんてどうでもいい。おれは読むたびに鼻の奥がツンとくる。不器用な完璧主義者。彼にもし野球の才能がなければ、おれのような人間になっていたに違いない。それは言い過ぎだ。おれなんかと一緒にするな。こんな文章で彼の名前を出すことすら本当は嫌なんだ。だったら書かなければいいのに、書いてしまったのだから後の祭りだ。後夜祭という意味ではない。文字通り、ソイヤッ、ソイヤッ、そういう意味だ。YOSAKOIへの憎しみを抱いて今夜は眠るとしよう……。




