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いかれたベイビー

 今日もおれが寝ている間に一日が終わってしまった。もうニュースすら追いたくない。世の中でなにが起こっているのか、きっとなにもかもが起こっていた。おれはなぜか疲れていて、どうしようもなく満たされない気持ちを抱えて、今夜もコンピューターの電源をつける。おれもまた一種のゾンビーだ。今夜という夜を一生に刻みつけようと、今夜しか書くことのできない文章を書こうとするんだ。けれど、それはまたこんなふうに始まって、いつもと同じように途切れる……。文章を書くという、ただそれだけのために、文章を書くことに対して、いささか疲れを感じている。連続試合出場にこだわる野球選手のように、継続だけを目的とし、それが繋がっただけで満足しているおれは、いったいなんなんだ。ああ、よくないよ、よくないね。そんなふうに考えるのはまったくよくない。じゃあこんなふうに考えてみよう。おれがいなくなった世界のことを。すべての営みは滞りなく続いている。相変わらず憎しみあったり罵りあったり睨みあったり、合間に笑って、新聞は刷られるしゴミ収集車は指定の曜日に来るだろう。でも、そこにはおれがいない。おれが歩いているべき道にも、この部屋にも、そしてコンピューターの前にも。おれの文章が新しく書かれることのない世界。確かにそいつはとってもよくない世界だ。彩りもクソもない世界だ。おれにとってはね。おれだけにとってはね。つまりそういうことだよ。おれが今日も文章を書いているのは。へとへとに疲れながらも文章を書いているのは。


 もちろんこの世の中の人間のほとんどが疲れているだろう。そういうふうにシステムを組んであるのだから。いまのところそのシステムの外にいるおれだって疲れているくらいだ。システム内に組み込まれている人たちの疲れを想像すると震えてしまうね。でも仕方のない部分だってあるよ。システムの外の世界は恐ろしい荒野だと信じ込んでいるのだから。一度でもその荒野に出てしまったらケツの毛まで毟られてしまうって、そう思い込んでいるんだから。そんなのは迷信だよ。システムの中も外も、そこまでの変わりはないよ。どっちもケツの毛を毟ったり毟られたりの荒野だよ。おれみたいに生まれつき体毛が薄いやつは大変だ。少しでも毟られちまったら、つんつるてんになってしまうんだ。逃げ回るだけだよ。それくらいしかできることがない。

 景気の良い話をとんと聞かなくなった。聞こえてくるのは辛気くさいことばかり。貧乏人同士は相変わらず仲が悪い。気の済むまで足を引っ張り合っていればいい。一生気が済むことなどないだろうけどな。すべてが狂っているのは間違いのないところだ。健全なエネルギーが失われてしまった。皆、自分の無力さを呪いながら、無気力に陥っている。あるいは、擬似的な向精神薬を摂取して、病的なポジティヴで自分に鞭を打っているか。浅いスピリチュアルと陰謀論に絡め取られてしまえば、キチガイまではあと数歩の距離だ。みせかけのオーガニック。被害妄想で塗り固められた民族主義。反権威的なものへのアレルギー。世の中を偽物と本物、敵と味方に二分化するための甘い毒薬はよりどりみどりだ。おれはそのすべてが嫌いだ。そんなようなものに耽溺する甘えん坊どもにはうんざりだ。イカレ野郎どもには、本当にうんざりなんだよ。

 新型コロナのワクチンにはナノマシンが入っていて5G電波で操られてしまうって、アメリカの一部の連中が騒いでいたのを見て、さすがアメリカ馬鹿のスケールがデカい、そう感心していたものだが、ほどなくしてこの日本でも似たようなことを言い出す連中が湧き出して、馬鹿に国境はないんだと感動していたのも束の間、いまではもう新型コロナ関連の陰謀だけでも無数のヴァリエーションが派生してしっちゃかめっちゃか、誰がキチガイで誰がまともなのか見た目ではもう判断がつかない。信じたくないよ。この世界には与太レベルの話にマジになってしまうヤツの割合がこんなに多かったのかってことを。当たり前が当たり前でなくなり、不安による妄想的ヒステリーが少しずつ少しずつ世界を覆いつつある。確かにこれはディストピアかもしれない。しかしずいぶんと間抜けなディストピアだ。いや。もともとおれが見誤っていただけなのかもしれない。なにも見えていなかったのだ。アホは強い。アホはエネルギッシュで、自分を疑うということを知らない。アホが一丸となれば誰も敵わない。どれだけアホな主張だろうが、中身を確認することなく信用してしまう。これからはアホの時代だ。手放しでそう認めてしまえば、誰もが安らかに眠れることだろう。どうもおれは眠れそうにない。


 だからもう、夢の中に閉じこもってしまおうという、現実的ではない希望を胸に抱きつつ毎夜文章を書き続ける。現実的ではない理由は、おれがまだ現実に期待をしているからに他ならない。これよりもひどい状況にはならないだろう。いくらなんでも今が底だろう。だが考えてもみたまえ。そんな期待は幾度も裏切られた。これからも裏切られるに違いない。期待をしても無駄だ。人間社会は機能不全に陥っている。長い間、ずうっとだ。歴史を積み重ね、研究に研究を重ねて、辿り着いた境地がいまだということだ。代が換わってしまえば、どんな悲劇だって簡単に忘れることができるんだ。むしろ記憶をすり替えることだってお手のものだ。繰り返すだろう。死に絶えるまでずっと。繰り返すことだろう。そこに善悪はない、そういうものなのだと、そう割り切ってしまった方がラクだし、知的に見えるのでは? ええ、でもそんな人間だってきっとなにかを信じている。なにかを信じてしまったから、また違うなにかを信じるはめになってしまった。人は他人を愛することはできるけど、人類全体を愛することは難しい。博愛主義者はキチガイだと罵られて石を投げつけられる運命にある。


 人間には夢が必要だ。リアリティを凌駕する夢が。そうでないと途端に現実に押し潰されて、歪んだ血液袋になってしまう。精神が死んでしまった血液袋たちは、夢見るものを指差して嗤うだろう。屈辱を与えようとするだろう。おまえも現実に押し潰されてしまえと強要してくるだろう。みじめな血液袋たちは、夢見るものこそがみじめな生き物なのだと言わずにいられない。だってそんなの不公平だろう? それが不細工な血液袋たちの言い分だ。現実に押し潰されてこそ一人前だと、大人だと、そう言うのだ。シカトだよそんなもん。いい加減にしやがれってんだよ。なぜ連中のみじめさを引き取ってやらなければならない。てめえらのケツはてめえらで拭きな。その汚いケツをこっちに向けるな。失せな。二度も言わせるなよ。おれの前から、失、せ、や、が、れ、ってんだ!

 おれは夢のような夢の中で引きこもる。もちろん色々なものとトレードオフだが、そんなもの端っから興味なんてないから問題なしだ。呪いの装備の強制デバフは精神バフで相殺だ。これでメリットだけ受用できるって寸法だ。こんなテクニックは初歩の初歩だぜ。人間にはどうしても夢が必要なんだ。夢の中にいるから、今夜みたいな夜を何度だって乗り越えることができる。こんな文章を繰り返し書き続けることができるんだ。月が昇り、星は巡り、もうすぐ夜が明ける。それまでには勝負は決しているはずだ。いったいなんの勝負かって? なんとなくただ言ってみただけさ!

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