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誰も知らないグレイテスト・ヒッツ

 おれはいったいなにを書いているのだろうか。なにと戯れているのだろうか。とかなんとか、こんな書き出しは準備運動のようなもので大した意味などは持っていない。なにかを考えているようにみせかけて、実際に考えているのはなにかを書かなければいけないという強迫観念に似たなにか。でもその勝手に追い込まれている感じも悪くない。ノット・バッドってやつだ。

 そりゃ一行目からググッと人を惹きつける文章を書くやつもいるだろう。そういった文章を書くことを求められているやつもいるだろう。おれはどうだろう。知ったことじゃない。はったりめいた書き出し、結論先出し、印象に残る書き出し、大いに結構。でもその意図を読まれてしまうとなかなか恥ずかしい。不自然ではない文章を書くのは結構大変なんだ。おれにだってまあまあな量の文章を書いてきたって自負がある。余裕がある。経験に裏付けされたおれの勘が告げている。今日の文章の滑り出しはまあ悪くない。ノット・バッドってやつだ。


 所詮おれのスペックなんてたかが知れている。一部へっぽこちゃらっぽこなヤツも少なからずいるとは言え、やっぱりプロの小説家は桁が違う。感覚で書こうが、理屈で書こうが、おもしろかろうが、つまらなかろうが、フィジカル的な搭載スペックの違いを実感せざるを得ないくらいにはもの凄い連中だ。ましてや文学史に残るような連中なんてもう半端じゃない。勝負をしようなんて気にもならない。書き出しで殺されてしまうよ。

 つまり文章を書く人間としてのおれは、スペック勝負じゃ話にならない、もうはっきり言って半端者なわけだけど、じゃあそこでおれにしかないものっていったら、おれ個人の人格が辿ってきた経験、その記憶、によって培われた感覚しかない。そしておれが自分の武器として認識しているものは、その感覚を自信満々で大真面目に押し出すことのできる度胸ってわけだ。だってそれくらいしか手持ちがないからね。保険としての謙虚な姿勢なんて美徳でもなんでもなくて、ただ自分自身をスポイルするだけの悪手だってことだよ。それで謙虚なフリしたアマチュアの連中はすぐにスランプだとか筆を折る折らないだとか抜かすんだ。勘弁してくれよ。一流気取りもほどほどにしておけって。自分から神輿に勝手に乗り込んで、担いでくれる人がいない……ってそりゃ当たり前だろう。こういう連中と比べてもらえればわかると思うけど、おれはわりと謙虚で真面目な人間なんですよ。謙虚なフリをした傲慢な連中よりはずっとね。自分でこういうことを書かなければもっと説得力があるんだろうけど、こうやって主張しないと誰も気づいてくれないから悩ましいところですよ。不真面目な連中はさっさと消えてほしいね。目障りなんだ。寝入りばなの蚊みたいなもんなんだよ。


 多様性。表現の自由。はいはいはいはい。はいは1回でいいって言うけど、何回言ったってこっちの勝手だろう。抑えつけようとするんじゃないよ。汚いやり口だよな。反抗の芽をすぐに潰そうとしやがる。その前にてめえの命令の仕方に問題はなかったのか胸に手を当てて考えてほしいね。そっちがムカつくのはよくて、こっちがムカつくのは駄目ってそりゃないだろう。そうやって無理やり上下関係を見せつけるおまえらのやり方が昔から気に入らないぜ。おれは誰に怒っているのか。ええと、教師とかそういう大人たち。おれは42歳。そうだよ。なんか文句あるか。おれの恨みはしつこいんだよ。それはそれとして、教師の大変さ過酷さも理解しております。特にいまの時代の我が国の教師たちには同情を禁じ得ないですよ。みんな大変なんだよね。世の中を知らない42歳は勝手なことを言うだけ言うけどさ。それはそうなんだけど、だからといって嫌なものは嫌っていう気持ちは変えられないから。全方位に気を遣ってなんていられないから。それでもたまに良心が疼くこともあるから。そんな夜はなにを書いているのかわからなくなるから。

 けれども移ろいゆくもの、いずれ消えてゆくもの、そんなようなもの、不確かなものを繋ぎ止めておきたいから、写真を撮るのではなく、文章を書くことを選んだ。書き続けることを選んだ。


 そうやって綺麗な感じの文章で締めればすべてが有耶無耶になると思っているのか。そうだね。そう思っている部分があるのは認める。卑怯なテクニックの使い手だっていう自覚はある。でもこうやって手の内を明かすことによって、おれのとれる行動はどんどん狭まっていくわけで、真面目に文章を書こうとする意志は見えるでしょう。別に信頼される書き手になりたいとかそういうことではないのです。あなたがおれに信を置こうがどうしようが、それはおれの関知するところではない。自分が軽率で軽薄な人間だとは思いたくないから、戒めているだけなのです。流れるように文章を書いているときだって、違和感は拭えないものです。これはおれの文章なのか。これがおれの文章なのか。こういうことについて、おれがどれだけ悩み考えてきたことか。おれにしか書くことのできない文章は存在するのか。ある意味では存在するだろう。この文章がそれです。一言一句、まったく同じ文章を誰かが書いていたなどとは、とても思えない。しかしまたある意味では存在しないとも言える。それはおれの書いた文章が、あまりにもありふれた文章であるということだ。新鮮な驚きをもたらしてくれるような文章ではない。価値観を揺さぶるような文章ではない。そこをおれは問題視しているのです。この殻を破ろうといろいろと試してみましたが、どうにも手応えはない。それは当たり前のこと。おれが試すようなことは、確実に少なくない数の誰かが、おれよりも高いレベルでもって達成している。そのことを考えると、おれはもうしょげ返るしかなくなるけれど、そこから目を逸らすことなどできるわけがない。この壁にぶつかったことのないやつには、そもそも文章を書く資格がない。そういうやつが書いているのは、文章ではなくて、なにかを文章にコンバートしたものだ。代替品としての文章。いや、勘違いしないで欲しいけど、そういった文章がおれは憎いわけではない。羨ましいくらいだ。子どもは無邪気でいいねえ、そう言って縁側で笑う祖父母のような気持ち。きっとおれにもそうやって文章を書こうとしていた時代があった。だがおれはディグしてしまう。系譜を辿ろうとしてしまう。そういう気質なんだ。しょうがないんだ。おれも一種のオタクだから。そして知るわけだ。自分が軽い気持ちで入った山の恐るべき高さを。ラヴクラフトの提唱した宇宙的恐怖ってこんな感じなんじゃないかな。おれというひとりの人間のあまりのちっぽけさ。塵以下の存在感。それって存在しないのとほぼ一緒だ。そんなやつにいったいなにができるというんだ。

 それでも、なんです。書くわけですな。書こう、とするわけなんですな。文章を、小説を。それはプレイヤーとしてありたいと欲する、塵以下の存在感の五分の魂です。


 というわけだ。自分の書いた文章で落ち込んでいたら世話ないぜ。まあ今日はこういう日だったということだ。毎日文章を書いていればこういう日だって当然のようにあるさ。恥ずかしげもなくこういった文章を人に見せることのできるおれってやつはやっぱり大したもんだ。ああ、まだ読み返す気にはなれないけど、きっと今日の文章だって悪くはないはずだ。つまりはノット・バッドってやつだ。

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