痛風に苦しむ英雄たち
久しぶりのガチスパ。みぞおちを思い切り膝で貫かれた。内蔵がひっくり返ったような衝撃で呼吸が止まる。コンマ数秒は我慢したけど、すぐに心が折れてリングに膝をついた。強烈な吐き気と、おれはどうしてこんなことをしているんだという疑問。なぜかはわからないけど、立ち上がり、ファイティングポーズをとる。もう戦意など吹き飛んでいるのに。おれは負けを認めているのに。いますぐここから逃げ出したいのに。それでもおれは前へと足を踏み出す。身体が、精神が、おれ自身が、嫌がっているのに、どうしておれは向かっていくんだ。いま、おれを動かしているのは、いったいなんなんだ。そりゃあんた、格好つけたいからだよ。曲がりなりにも一度は戦闘態勢をとったんだ。おめおめと逃げ帰っちゃあ示しがつかんだろう。示す? なにを? そりゃおまえ、おれが阿部千代だってことをだよ。阿部千代がこうでありたいと考える阿部千代から阿部千代が逃げ出そうとするのを必死で食い止めるんだ。おれはいつだって崖っぷちなんだ。もしもう一歩下がったら、奈落の底へと真っ逆さまだぜ。そうなっちまったら、もう誰もおれを救い出せやしないよ。おれ自身でさえもな。誰だってそうはなりたくないだろう。だからおれは立ち上がり、偽物のファイティングポーズを作るんだ。一歩、もう一歩と前へ踏み出すんだ。それはおれのもっとも嫌う嘘なのかもしれない。欺瞞的行動なのかも。それでも実際におれは戦っている。嘘を真実に変えるために。追い込まれた時は根性を出すしかない。それしか持ち合わせがないときに、根性を出し渋るわけにはいかないさ。なに、減るものじゃない。さあ、もう一歩前に。身体的な苦痛など一過性のものだ。けれど逃げるべきでないときに逃げた事実は永遠におれを苦しめるだろう。ここにいるすべての他人が忘れたって、おれだけは忘れてくれるものか。おれは性格が悪いんだ。人が一番気にしているところを突っつく天才なんだぜ。
そんなわけで二日間くらいおれが使い物にならなかった。当然、文章なんて書けるわけがなかった。いまだって身体はバキバキ、全身に亀裂が入っているみたいだ。ハロー、みんな。調子はどうだい。おれはバッコバコにやられたい放題。相対的には最下位に終わった練習再開。でもおれは無問題。蒸し鶏に乗せる大盛りのシャンツァイ。それが本日の我が家の晩餐。
久しぶりにとんずらマイクロフォンが現れたね。どうしても松本人志に関する諸問題について一言もの申したくなっちゃったみたい。相変わらず大上段に構えた割に的外れでええ格好しいのクソッたれた文章だけど、まだとんずらしていないことについては褒めてやる。逃げずに耐えてよく頑張った! 感動した! ただ、自分の思い込みを、さも松本人志と週間文春側の真の思惑のように書いてしまうのはどうなんでしょうね。おまえが批判しているソーシャルメディアの一員におまえ自身がいるっていう自覚と客観的な姿勢がまるっと抜けていませんか? それとさ、この諸問題に関して、松本人志個人と週刊文春の対立って事象だけにフォーカスするのって、問題を単純化、矮小化しているとしか思えないんだけど。いや結論が愚かな大衆が悪いってことになっているにせよですよ。吉本興業の、クールジャパン政策で政府から助成金を貰っている企業としての姿勢には一言も触れていないってのは、そりゃないんじゃないですか? あと周りの芸人のムーヴとかさ。で、とんずらが松本人志失脚の原因になったと看做しているソーシャルメディアには、松本人志を擁護する人たちや週刊文春を批判している人たちだって山ほどいますからね。まるでソーシャルメディアが松本バッシング一色のように書くのって、印象操作以外のなにものでもないんじゃありません? それに別に大衆がどうこうじゃないでしょう、松本人志が活動休止に追い込まれたのって。どっちかと言うと大衆がまだどう反応していいのかわからないくらいの状況で、松本人志出演のTV番組からスポンサー企業がサーッと引いていったのが原因だろう。まあいいですけどね。とんずらくんがなにを主張しようと。おれはとんずらくんが帰ってきてくれたのが嬉しいから。今度は消すなよ。絶対に消すなよ。みなさんもとんずらくんの文章を読んであげましょう。ポイントをいっぱい入れてあげてください。松本人志の諸問題に関して、いまだかつて誰も指摘したことがない方向からのアプローチを試み、松本人志が何と戦っているのかを教えてくれる文章です。おれは嬉しくて3回読みました。逃げずに耐えてよく頑張っている! 感動した! 今回ばかりは絶対に消すんじゃねえぞ。
さて、意地悪はもう止めにしておこう。大上段に構えているわかった風なヤツを虐めるのはやぶさかでないけど、虐めはやっぱり根本的に善なる行為ではない。せめて弱い者を虐めるような、クソ野郎の中のクソ野郎にはならないようにしよう。目の前で行われる上品とは言えない椅子取りゲーム。みな、自分の居場所をかすめ取ろうと必死の形相だ。おれは昔からその手のゲームにはてんで興味がなかった。だって居場所ならいつだってある。おれがその時点でいる場所がおれの居場所だよ。隣の芝生はいつだって人糞だらけ。悪臭ふんぷんのその場所に、なぜみなが行きたがるのか、おれにはさっぱりわからない。蜃気楼でできたヒエラルキーの中における自分のポジションを怖い物みたさで覗き込む。そんなことをして一体なにになるんだ。まずは自分の足下を掃除することから始めてはいかがか。そこに腰を据えて、考え事ができる環境を整備することから。でも下手な考え休むに似たり。考えるよりも感じて行動せよ、そうやってなにかに急き立てられる。幻の中で幻想を相手に社交ダンス。そして夜はひとりベッドで眠る。馬鹿らしい。おれなら恋を理由に仕事を休んで、一晩中愛し合うね。それ以上に素敵な過ごし方っておれは知らない。どうやってコストを軽減するかに頭を悩ませるよりも、どう豊かになるかの方が重要じゃないか。コストカット、コストカットでおれたちはどうなった? 個人の仕事量と責任だけが増えていき、恋の熱でばっくれることさえ許されない。コストカットという病が国全体を覆い、組織の構成員であらずんば人にあらず、そんな価値観と病が真正面から衝突して、人々はお互いを見下し合う。痛みを伴う改革、身を斬る改革。身を斬って痛みを訴えているのはいったい誰だ? コストカットをして浮いた分はいったいどこに行っているんだ? いいかげんにしとけよ、コラ。そう言って凄んでみたら、味方のはずの人たちに後ろから刺される始末。いじめられっ子が身を挺していじめっ子を守るんだ。そして自分より弱い者を見つけていじめ出す……。どうしろってんだよこんな状況で。馬鹿らしい。心の底から馬鹿らしいと思うぜ。いじめっ子にならなければ、一人前と認められない社会。クソだよ。これがクソじゃなくてなにがクソなんだ。
ファック野郎たちは今日も自己啓発で忙しい。そのうち素手で便所掃除をしかねないぜ。イカれてるんだ、なにもかもが。非理性的で合理的でもないことが、理性的で合理的で生産性があることだと、信じられている。まるでカルトだね。きみがもし日本カルトの一員なら、早く足を洗った方がいい。まあ、そんな簡単に抜け出せないのが、カルトたるゆえんなんだけどね。好きにしてくれや。おれはなるべく関わりたくないよ。関わりたくないんだけど、敵対せざるを得ない状況になったら、戦うしかないんだろうなって諦めにも似た覚悟。いつも心にポイントゼロを。おれは、おれとして戦うしかない。それしか方法はないんだ。わかってくれるかな?