表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/99

さあわたしを食べなさい

 この世界の美しさにはいつも驚かされるし、その危ういバランスはときに信じがたいものがある。とくに昆虫。彼らを見ていると訳がわからなくなってくる。ファーブルが進化論に否定的だったのも、頷けるほどだ。

 そんなことは関係なく、朝から眠気と頭痛がものすごいことになっていて、一日中ほぼ眠っていた。夕方くらいからは雨が降っていたようだ。気圧と体調。おれはいまだにこの2つの事象に因果関係があるとは信じられないのだが、それでもおれの身体はなんらかの影響を受けていると思われる結果を出している。

 そして夜、突然、Wi-Fiが飛ばなくなり、インターネットに繋がっていないということが判明した。マンションのエントランスの電気も消えているし、オートロックも機能していない。地デジもCATVも映らない。この建物になにかが起きているのは確かなようだ。しかし、おれになにができるだろうか。せいぜい管理会社に連絡を入れるくらいだ。自動音声に、緊急事態なら繋ぎますけど? そう言われて、おれは電話を切った。緊急事態ってほどではない。すべては気圧のせいだ。そうなんだろう。

 そういったわけで、今夜はiPhoneから螺旋状の少年だ。ちまちまとフリック入力で文章を書いていると、悟りが開きそうになるが、そんなことで悟りが開けたら苦労はない。皮肉としての比喩表現、それも極めてありきたりものを思わず書いてしまうほどに焦れているおれだが、これぞ手癖としての文章、手のひらサイズのフィールドでは飛躍も魔術も期待できそうにない。諦念のなかで、戸惑いながらも文章を書き続けるおれを観察しながら、ひとまず進めていこう。


 加速がきかないならば、状況に対応して順応して、のんびり散歩気分で文章を綴ることにしよう。憂鬱というほどではないが、この頭痛には辟易させられる。外の暗闇が雨音と混じり合い、街灯の光も普段よりは遠慮がちな光線を放つ。こんな夜にはなにもしないのが一番いいのであるけど、さっきまでしこたま眠ってしまったので、寝ようという気にはならず、それでも寝ようとすればいつでも眠りに入れるくらいの眠気があることに驚愕する。まだ眠れるって本気か? ほぼ一日中眠っていたと言うのに? 強制的にシャットアウトをくらったような眠りの中で、現実意識と夢の間の曖昧さ、夢と現実がリンクする中、iPhoneを便器に落としそうになって慌てて飛び起きる。真実は手からiPhoneが滑り落ちただけだった。iPhoneが枕に横たわっていた。そして尿意に気づいた。そんなささやかな夢との繋がり。どうせ夢と繋がるなら、もっと突飛に景気良くいって欲しいものだけど、所詮はおれなんてこんなものだ。自分の限界というか、小物臭さを実感しながら、便所に行くかどうか散々迷った挙句に、結局はのそのそとベッドから這い出して便所へ向かったものだ。便所に行く。たったそれだけのことを覚悟するのに、おれはいったいどれだけの時間を掛けただろうか。そんなことを繰り返して生きてきた気がする。時は金なり、それが真理であるなら、おれの時の使い方は貴族そのものだ。実は昔からそう思っていた。おれは貧乏な家に生まれて、貧乏のまま生きてきた。落ちぶれたわけではなく、一貫して貧民だったのだが、なぜか金持ち気分なのだ。つまりは持つ者の余裕。そういった気品的なものを生まれながらに持っていたおかげで、おれはこんな文章を書けるようになったのではないか。そういったひとつの仮説であり、雨が降りしきる夜のぼやけた幻燈である。


 オール阪神に似ている川口市出身の我が県の知事に、クルド人問題で門田隆将という名うてのクソ野郎が川口市に行ってみろと絡んでいたが、おまえこそ行ったことがあるのか、と問いたい。川口には、あがた森魚も住んでいるという。あがた森魚はまったく関係ないけれど、クルド人問題とかいう問題でもない問題、入管の姿勢の問題という問題点はあるが、それはクルド人に限ったことではない、つまりは平常運転中の日本のごく一部分に火をつけて遊んでいるクソどもは、クルド人は出ていけと騒いでいる貴様らの方であるということを、おれ如きがいくら訴えても聞く耳などは持っちゃあくれんだろうが、それでもクソ野郎どもには簡単に踊らされる連中が結構な数で存在すること、それがおれの心を萎えさせる。

 正直に言えばいい。外国人が怖いんだ、と。理由はないけど怖いんだ、と。理屈じゃないんだ、と。外国人がなにもしなくても、ただそこにいるだけで怖くて怖くてたまらないんだと、そう正直に言えばいい。

 本来、理屈などないところに無理やり理屈をつけるから、認知は歪み、現実を直視できなくなり、いつまで経っても恐怖を克服できない弱虫のままなんだ。弱虫どもの集団ヒステリーに晒されているマイノリティの恐怖を考えようともしない、弱者たち。

 教えておいてやるがね、相手は熊や虎じゃない。人間だぞ。人間って知っているか。この機会に知った方がいい。なぜならおまえたちも人間だからだ。卑小な精神と貧弱な知性の持ち主ではあるが、それでも人間なんだ。おまえたちのようなクズどもであろうと、基本的人権は保証されているし、されなければいけない。おまえらがクズであるという理由だけでおまえらの人権が無視されるようなことはあってはならない。そして、それはどのような理由でもだ。あってはならないことが堂々と行われているから、おれは怒っているんだ。ドュノワライミーン? まあ、わからんだろうな。どこがわからないのか、わからん。なにがわからんのか、わからん。


 クルド人出ていけと言っていた人間が、その口で想像力と多様性について語り出すという酷い光景を、おれは見たことがある。ワッタファック! いったいなにがどうなっている? 教えてくれ、おまえの頭の中でなにが起こっているのかを。おまえの中でどう整合性がとれているのか。

 やつらが手強いわけだよ。やつらの中にルールという概念はない。規則性などはシカト、感情のみでなにかを撒き散らす。そのくせやつらは、ルールを守れ、ルールが絶対だとわめくわけだ。あまりにも不合理、あまりにも不条理、頭の中がねじ式なんだ。イシャはどこだ! なるほどポキン、金太郎。青林堂もいまや変わり果てた姿で醜態を晒すだけ。諸行無常。あまりにも無常。無情。無惨。


 事実などはどうでもいい、気持ちよくなれるなら。事実などは知りたくない、自分が小さく見えるから。そういった姿勢で生きてゆくきみたちが、きみたちはどう生きるか、を観に映画館に殺到したのかと考えると、宮崎駿って偉いよな、そうしみじみと思う。きみたちのような人間が存在することを知りながら、それでも創り続けるわけだから。普通の人間なら癇癪起こして、やってらんねえよってなるよ。

 なにしろ続けることだ。絶望感に打ちひしがれても、やけのやんぱち起こしても、それでもこれしかない、と戻ってくることのできる場所。それがおれにとっては文章を書くという行為だったということだ。何度弾かれようと、跳ね返されようと、辛抱強く、打ち続けるだけだ。穿ち続けるだけだ。そのうちなにかが起こるだろう。例えそのことをおれが知り得ないとしても。たったひとりでも、なにかを考えるきっかけになれば。希望を持って書き続けるだけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ