神秘の森で行方不明
おれは寒いよ、そして恐ろしいよ。そこで言葉は途切れ、しばらくの沈黙ののち、また紡がれる。ここは暗いよ、そして寒いよ。今回の断絶は意図したものだった。こういうリズムでいこうと決めたのだ。闇雲ではあるけれど、偶然どこかに接続するかもしれない。これは単なる勘だ。勘ではあるが、当てずっぽうというわけではなかった。経験に裏打ちされた職人の勘が働いたのだ。ただ確信が持てるほどではなかった。おれは職業的職人ではない。そういう意味では、微妙だった。そしてここに至り、失敗の気配が強まってきた。断絶が長すぎたのだ! 言葉は鮮度を失い、律動は調子を狂わせた。仕掛けるのがあまりにも遅かった。前で捌く意識を徹底するべきだった。意識。無意識から意識へと至る過程で、不純物が入り込んでしまったのだった。もちろんここで後戻りすることは可能だ。ルール違反にはあたらない。しかし、後戻りをすることで失うものが多すぎると判断した。判断したというよりも、当然のことのように、あらかじめ決まりきっていたことのように、またゼロから始めるよりは不純物を内包したまま、不純物すら利用するくらいの対応力があるところを見せつける方向に思い切り舵を切ったのだ。とはいえ、これといった策があるわけでもなかった。焼き直す。繰り返す。振り返る。螺旋状の少年が、そこにもいた。硝子のような目で見つめていた。
彼とは何度も会っているはずなのに、いつも初めて会ったような顔をする。と、そう彼に言われる。断絶が彼を見知らぬものへと変化させてしまう。何度繰り返したってアプローチの方法がわからなくなってしまう。それは決して記憶の問題ではない。断絶の問題なのだった。幾度も幾度も、断ち、絶たれたものは自然と修復不可能になってしまう。結局は違う角度でのアプローチを試みるしかなくなるのだ。それを面倒に思ったり、耐えられないと逃げ出していては、文章を書き続けることなどとてもできない。おれは物語ることはしない。できない。かといって、おれ個人のまま文章を書くことに関しては、ずっと疑問を感じていた。ときには嫌悪すら。それはまるっきり下らなくて、出鱈目で、偽物だった。そして圧倒的にお手軽だった。寒々しさと空恐ろしさを感じるほど軽かった。そんな文章を書き続けるわけにはいかない。階層を移動しなければ。そう意識しながらも、日々は断絶し、細切れにされて、振り出しに戻る。物語らずに持続させるためにはどう書けばいいのだろう。そんな考えから、ここ数日の螺旋状の少年はアブストラクト性を増し増しでお送りしている。別に芸術家ぶりたいわけではなく、いい格好をしているわけでもない。おれは文章を書いている。ただそれだけのことなんだ。
煙が目に沁みた。孤独が身に沁みた。いずれも風向きが変わったせいだった。しかしそれは表層的なものであって、決してメカニズムが大胆に変わったわけではない。そのような小手先の変化にさえ戸惑ってしまうほど、おれは固定化されていたのだ。それはとても恥ずべきことだ。彼の硝子のような目はすべてをお見通しだったというわけだ。いまおれは自分の足跡を一歩一歩丁寧に、逆に辿っている。なに、所詮は円環の中での出来事だ。進行方向がどちらであろうと、たいした問題ではない。状況や風景は変わり続けるけれど、中心点の位置は決して変わることはない。旋回に旋回を繰り返して、到達点を指差す。多数者が当たり前のように行っている不正に誑かされることなく、居丈高な馬鹿者の手の鳴る方におびき寄せられることなく。無礼者に中指を立てることも厭わずに。
つまり、おれは硝子のような目をした彼にずっと見張られているということだ。それだけを肝に銘じてさえいれば、どんな方向に旅立ったとしても、おれ自身のまま指一本欠けることなく無事に帰還できることだろう。とりあえずは、指針であり金字塔でもある、あの煙突を目指そう。それがどこにあるのかはわからないけれど。
そしておれはまだ魔術を信じ続けている。文章という領域の中で特定条件下においてのみ発動するスペリング。脳内音読者にだけ通じる魔術の存在を。速読者やノルマのように書物を読む者を、おれは心から軽蔑しているし、必要以上に物語をパーツに分けようとする不届き者たちにもファックオフだ。文章というものが持つ魔力を矮小化させ、自分の支配下におこうとしている侵略者ども。物語の大雑把な旨味成分だけを抽出して粗製濫造してやろうともくろむ簒奪者ども。正直なところ、こういう連中には本当に我慢ならない。美意識も美学もないのであれば、文章の森に足を踏み入れてほしくない。というよりも、そういうやつらは創作というものに、その嫌らしい手で触ってほしくない。貴様のようなやつのことだ、創作界隈の冷笑系熊野郎。
こういうやつらが存在するということを、おれは知りたくなかった。おれの邪悪な好奇心が創作界隈というものを覗き見するようそそのかし、結果おれの心の一部分を傷つけてしまった。神秘の森に住む妖精の血を引く仲間たちが、下品な侵略者連中に蹂躙されるのをただ黙って見ているのは、あまりにも悲しく辛い経験だった。おれがやつらにつけられた傷はあまりにも深く大きい。おれは連中を到底許すことはできない。しかしどうすればいいのだろう。やつらに一矢報いてやるには。やはり答えはこうだ。文章を書き続けるだけだ。結局のところ、それしかないのだ。
文章を書き続けるだけだ。この一文が怒りと憎しみで黒く燃えるおれの心を落ち着かせてくれた。温かい光で足下を照らし、おれの立ち位置を明確にしてくれた。連中は連中、おれはおれ、そう思わせてくれた。
これが魔術じゃなくてなんだというんだ。こういったスペルを発見していくことが重要であり、発見するにはやっぱり文章を書き続けるしかない。しかしながら、無意識に繰り返してきた一文がここまで強力なスペルだとは知らなかった。繰り返してきたからこそ魔力を持ったのか、元々の魔力がおれに繰り返させていたのか、そのあたりは今後の研究で次第に明らかになってくるだろう。
ひとりの魔術師として言わせてもらうが、おれほどのレベルを持ってしても文章という竜を完璧に手なずけるのは不可能なことだ。この文章の頭を書いているときには、まさかおれが魔術師だったとは想像だにしなかった。それくらい文章は予想のつかない動きをする相手だ。気を抜くことなどできない。だからこそ偽物の存在には腹が立ってしょうがない。ましてや連中のような野蛮で下品な侵略者、簒奪者どもは……。それでもおれは文章を書き続けるだけだ。だけなんだ。
それにしてもおれはどこに行くのだろうか。それはおれも知らないし、知る必要もない。そうは言っても少し不安になってきたのも事実だ。こんな調子を続けるのだろうか。いや、今の時点においても続けられているのだろうか。まあでも文章を書き続けるだけだな。……と、いくら便利だと言ってもこんな風に連発していると、スペルの魔力はあからさまに減ってゆくから注意が必要だ、ということが判明した。魔力のリチャージが必要だということか。ふむ。ここぞというときに使ってこそ効果を発揮するというわけだ。しかし、まあ考えてみればそれは当たり前のことだと言えるのだが、魔術師としてはあらゆる条件下で試してみないと納得できないのであった。そんなところで、魔術師は消える。また会おうぞ。




