とりわけ酷い一日は続く
さてと。螺旋状の少年もそれなりの量になってきたけど、それでなにか変わったかと言うと、なにも変わっていないようだ。しつこいようだが、なにしろ螺旋状なもので。同じようなところをぐるぐると周り続けているだけに思える。周りながら、はたして上昇しているのか下降しているのか、それ自体は大した問題じゃない。だがなにかに少しずつ近づいているような気がしている。あるいは遠ざかっているのかも。まあこれも大した問題ではないな。ただ少年みたいなひたむきさで文章を書き続けるだけだ。自分が少年の心を持っている、なんてみっともないことは言わないし、これっぽっちも思っちゃいない。だって実際の少年も男も大した違いはないだろう。大抵の場合において、醜くて度し難い。それでも、文字としての、少年。少年。そう書くと、なんだかそわそわしてくる。まるで自分がいつかの少年だったような気さえしてくる。理由のわからない悲しみを誰にも言えず、同じ道をぐるぐるとひとりで歩き続けている少年だったような気が。吹き抜ける風の街の中を、放課後の薄曇りの線路沿いを、ヒヨドリさえずる休日のあぜ道を、螺旋状の少年が今もずっと歩き続けているような気が。
そして落ちてゆく。眠りの中へ身体ごと沈んでゆく。うねる闇の中、まだ書かれていない文章、いずれ書かれるべき文章、いままさに書いている文章が、波のように押し寄せては引いて。おれは波に翻弄されるがまま、あっちこっちへごろごろ転がって、呼吸も満足にできずに苦しいけれど、それでも笑ってしまうんだ。ああ、そうか。こんな風に文章を書けばいいのか。すべてがわかった気になって、ついになにかを掴んだ、そんな気分で転がりながら、この手で掴んだものを離すまいと、二度と離すまいと、だけど開かなくともわかっていた。それはただの手のだ。おれの手がそこにあるだけだ。無数の手がうねうねと蠢いているだけだ。そこで初めて気づいた。おれは悪い夢を見ているんだ。覚めることのない夢を。夢、を。
気分は気分。所詮は気分だ。ただの気分だ。気分だけで文章が書けるわけじゃない。思えば気分に騙され続けた人生だった。進んで騙されていた人生だった。フロントガラスを滴が伝う。雨が降っていた。外はとても寒そうだった。滴と滴が繋がり、さらに先の滴を巻き込み、さあここからと言ったところで、突然ワイパーが物憂げな声とともに、すべてを薙いだ。落ち込んでいるわけにはいかなかったし、落ち込む必要性も見つからなかった。それでも、落ち込む時は落ち込む。それが気分ってやつだ。
普段は呆れるほどよく回る舌だ。思いつくのが先か、言葉として吐き出すのが先か。まるでそういう競争をしているように。言葉を選ぶなんて悠長なことはしていられない。とにかく言葉を。最速で、最短で。言葉を選んでいないのに、おれは最適解を導くことができるのだった。自分のこの才能に気づいたのは、つい最近のことだ。喋る。たったこれだけのことが、なかなか上手くできないやつのなんと多いことか。だがあまりにも喋りの上手いやつは信用されない。それはよくわかる。おれもそんなやつは信用しない。信用されたいから喋るのではない。楽しませることができるから喋る。道化師のジレンマをご存知だろうか。もの悲しいジョークだ。おれがいま題名を思いついた。内容は明かさない。翻訳済みのバットマンのどこかでジョーカーが披露している。興味があれば探せばいい。興味がなければ忘れればいい。例え見つけたとしても、元から知っていたとしても、おそらくあなたは、ふうん、で済ませる、済ませた、はず。
おれも、ジョーカーも、深刻な場面、最適解ではなく正解こそが求められる場面では言葉が出てこない。考え込む。言葉を選ぶ。そして放つ。笑えないジョークを。おそらく故意に。ありえたかもしれない未来、とても魅力的な未来、救いとしか言いようのない未来。それらを自らの手で叩き壊す。つまらない人生だ。意地を通して掻き回すくらいが丁度良い。
ここまで書いて、道化師のジレンマが出てくるのはバットマンではないし、ジョーカーが披露したジョークでもなかったことを思い出した。つまりおれの書いた文章は台無しになったと言うことだ。それはそれで、悪くない気分だ。視点を変えれば人生はありふれた奇跡の連続だ。そもそもおれの存在自体が、大いなる偶然が招いた結果であると考えるならば、玉突きの行方をもうしばらく眺めていようという気分にさせてくれる。
今日はずいぶんと深く長く潜っているな。意外と息が続くものだ。それでも深海にはほど遠い。気が遠くなるほど遠い。深く暗い底の方、当然財宝などは眠っていないだろうけど、見たことのない気味の悪い生き物はいるに違いない。長く潜れば潜るほど、現実感が薄れてゆく。文章と現実の境界を曖昧にしようというのがおれの試みだったはずなのだが、いつしかおれはそれを忘れていたようだ。いや、息を止めるのを恐れているだけ。覚悟が決まるのを先延ばしにしているだけ。いつまでだって先延ばしたいんだ本当は。ただ静かに暮らしたいんだ。それがおれの望みだ。だが希望と欲望がぶつかり合ったとき、どちらを優先させるべきだろうか。おれの場合は欲望だった。欲望を欲望して、やっとここまできたんだ。やっとと言うほどやっとでもないけれど。所詮はローラーコースターに乗って軌道上を動いているだけだからね。
どこかで途切れた音がした。たぶん現状の自分の客観視を試みたときには、すでに水面から顔を出していたに違いない。というわけだ。すっかり気が抜けてしまった。もうすっかりいつもの感じで、眼球の鈍い痛みがただただ不快。今日の昼食はなにを食べただろうか。まったくなにも覚えていない。朝食はいつも一緒だから覚えるとかそういう問題じゃない。そして覚えていないわけではなく、昼食をとっていないことを思い出す。まったく。こんな文章を押しつけられてどうしろってんだ。たっぷりと時間をとって、集中して文章を書くと、こんな退屈なものを書き上げる男が存在するということが、よくわかった。
やる気をなくして、2時間ほど寝た。そのあと久しぶりに地球防衛軍6。ウイングダイバーで怪生物どもをぼてくりまわしていたら、たったいま死んだ、おれに殺されたばかりのクルールの死体とばっちり目が合ってしまって、なんだか虚しくなって止めた。それでまたコンピューターの前に戻り、こうやって文章を書くことを再開すると、楽しいとも楽しくないとも言うことのできる、この独特の気分が戻ってきて嬉しくなりはするが、かといってなにを書いていいのかわからないので、おれの逐一を知らせる、奇妙な文章をきみにプレゼントだ。逐一というほど細かくはないけれど、事細かに書かれたっていい迷惑だろう。もちろんおれだってそんなものは書きたくないし。
観客のことをまったく考えずに文章を書くことは難しい。いや、それ自体は非常に簡単なのだが、その上で他人が読んでおもしろいと思えるような文章を書くことが難しいということだ。うん? おれなんか変なことを言っているな。他人というか、おれが読者に回ったときにおもしろいと思える文章? なにかが違う気がする……。おれの意思をそのまま言葉で書いているつもりなんだけど、なにも書いていないに等しいと感じるこれ。これは一体なんだ。なに気分なんだ。自己不信。あるいは。




