失笑の響く楽園
もしもう一度人生をやり直せるとしても、同じような生を辿るだろうし、同じような絶望を味わうだろう。おれにとっての人生の可能性なんてそんなものだ。おれが自分自身である限り、なにをしようがなにをなそうが、いまのおれに収束してゆく。そんな気がする。おれは変わらず文章を書き続けるのだろうし、文章を書く時間を捻出するために、身体的な行動範囲を狭め続けるに違いない。おれの辿ってきた道に、不満や後悔はない。やり残したことも、置いてきたものも。初恋のあのひとへの恋心が一時的に成就したとして、いまのおれの隣にあのひとがいてくれるとは考えづらい。むしろ、たまにひとり思い出して苦い想いに軽く悶えているいまの方が、人目につかないように隠している宝物っぽくて素敵じゃないか。まったくロマンチストなおれだ。大変なナルシストでもあるし、先天的なエゴイストでもあり、そしてやっぱりロマンチストなんだ。ウエットな感情に振り回されながら、なんとか平常心を保って、こんなふうに文章を書いている。共感なんていらないよ。だけどおれは共感するよ。居場所を失ったマージナルな人たちに。弱音や悪態を吐きながら、それでも前へと歩き続ける人たちに。踏んづけられて、蹴飛ばされて、あざ笑われている人たちに。あんたたちが幸せかどうかはあんたたち次第だけど、あんたたちに攻撃を加える連中には、いつか目にもの見せてやりたいね。
だが具体的なプランを練る能力がおれには決定的に不足していた。プラプラと場当たり的に生きてきて、いまだに小説のプロットがどのようなものを指しているのかを理解できず、スケジュール帳を持ったこともなく、修学旅行のしおりに目を通したことのないおれには無理からぬことだった。いまだってここからどこに行こうか迷っているというわけではなく、いったいどこに行くつもりなのか? 惑っているのだった。
辛いんだ。こんなやり方しかできない自分が。それでもだ。このやり方しか知らないんだから、しょうがないよ。腹なんてとっくの昔に括ってるって。おれの骨は拾わなくたって結構だって。なにもかも結構だよ。お気遣いは結構だよ。お土産も記念品も贈り物も、すべてすべて、結構なんだよ。いらないものは貰いたくない。いらないものは欲しくない。いらないものは、絶対にいらないんだから。金? それはくれよ。
申し訳ないんだけど、必要なんだよね。いや、なにも貧乏人の金持ちごっこがしたいわけではないんだ。ただ単に金が欲しいんだよ。いや、おれが欲しいわけではないんだよ。おれの母親がさ、心配するんだよ。正月に久しぶりに会ったら、もうフガフガのお婆さんだよ。驚いたね。おれも現在進行形で老いている最中だけど、母親のそれは加速具合がただ事ではなかった。だけど韓国ドラマに嵌まっていて、韓国語を勉強中らしい。トイレにはハングル文字のあいうえお表みたいなものが貼ってあってね。おれはちゃんと座って小便をするから、ハングル文字のあいうえお表のようなものと相対して、なんだかおれもついにここまで来ちまったなあ、なんて感慨に耽っていたんだ。なにがどう、ついになのか、ここまでなのか、具体的なものはなにひとつないんだけど、あのときおれは、大人になった気がするよ。おれ? 42歳。あ、でもそのときはまだ41歳だったから。セーフ。母親は韓国ドラマに嵌まりながら、中国人の悪口を言うんだ。あまりにもナチュラルに差別するもんだから、おれも最初はふんふんなんて聞いていたんだけど、そのうちなんだかムカついてきてさ。中国人のマナーがいかに悪いかを熱弁するもんだから、いや、バブルの頃の日本人のマナーだってクソだったでしょう、エコノミックアニマルなんて言われて、世界中で嫌われていたじゃない。脂ぎったオヤジが群れをなして、韓国や東南アジアで女を買いまくってただろう、現地の人間からしたら、そんなヤツらがどのように見えていたのかな? クソなやつに国境はないよ。不愉快な人間だけを例に挙げて特定の国の憎悪を煽ろうとするのはフェアじゃないな。日本人だってクソ野郎ばかりじゃねえかよ! おれが思わず語気を荒げると、母親がちょっとおたついてね、そんな大袈裟な話をしているんじゃないのよ、なんて諭すように言ってくるもんだから、おれは悲しくなっちまった。なんだかおれもついにここまで来ちまったなあ、なんて悲しくなっちまったんだよ。わかるかい? おれはあのときに初めて大人になった気がするよ。おれ? 42歳。いや、でもそのときはまだ41歳だったから。セーフ。え、アウト? そりゃあないぜー。
なんだか気が滅入ってきた。調子が出ないにも程がある。本当は母親のことなんて書きたくないんだよ。どうでもいいとまでは言わないけど、いや、やっぱりどうでもいいだろう。もちろん彼女は立派な女性ですよ。金もそこそこ持ってる。たぶんね。知らないけどさ。興味もないよ。こんなことを書いているけど、おれを冷たい人間だなんて思わないで欲しいね。色々とあるでしょうよ。血族ってのはさ。おれだって、マフィア映画の連中みたいにいい歳した大人になっても、ママ、ママ、愛しているよ、ママ、なんて関係だったら素敵だろうなと思うよ。ごめん、嘘だ。マジで勘弁だ。だからなにを書いているんだって。こんなことを書いているとマザコンだと思われるんだろう。すべての男はマザコンっていうことが証明済みの事実みたいなあの感じ、なんとかなりませんかね。仲良くてもマザコン、憎み合ってもマザコン、なんとも思っていなくてもマザコン、どうしろっつうんだよ。普通に家族だよ。それじゃいかんのかい。フロイトか。ユングか。どうせあいつらのせいだろう。こんなことになっちまったのはよ。つうか、連中の言っていることを曲解して広めた馬鹿どものせいだろうな。男はみんなマザコンだからね。そう言っておけば知的に見えるってか? そんなわけがないだろう。個々人それぞれがそれぞれの母親に対する思いがあるだけだろう。すぐに相対化しようとするなよ。これを言っておけば間違いはないなんてことはないんだよ。ただし。ネトウヨはクソ。これはもう、間違いない。
さて。おれには文章を書く才能があるという前提で、そんなのは当たり前のこととして、おれは生きているわけだけど、もう少しおれはこの才能を効率よく有意義に使いたい。それなのに、おれが書く文章はこんな感じのばっかり。なにがどう間違っているのか。それとも間違っていないのか。おれはこの才能を持て余しているのか。それとも才能を無駄遣いしているのか。そんな考えても無駄なことは考えないに限るし、実際のところそこまでシリアスに考えているわけじゃないけど、ちらっとそんなふうに思うことはあるよね。あるよねって言われても困るよね。こういう前提からして人が不愉快になってしまうような話を唐突に始めるのが好きさ。でもこの話は冗談ではないんだ。文章を書けば書くほど、おれの才能は並ではないな、そう実感するよ。だからこそ、歯がゆいね。もう少しだけでも、おれ自身を満足させるような文章を書いてくれてもいいのではないかい? おれは阿部千代の文章に到底納得できないよ。こんなものなのか。そうなのか。期待したおれが間違っていたのか。それとも間違っていないのか。育成を間違えてしまったのかな。それはきっと間違えていると思う。間違いない。