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深淵を突き進め

 あるべき姿、象られた像。たったいま作られた、そう見紛うほど。ある日の静止画像が頭から離れてくれず、ちらつきもなく、細部まではっきりと。そのくせ目を凝らせばピントが合わずおぼろげ。像が動き出すことは決してなく、せいぜい背景が風で揺れるくらいのものだ。もう二度とある日には戻れない。年月が経てば経つほど、揺るがせない現実。いまというこの瞬間は永遠に続くというのに。過去も未来もなく、いまという場所に閉じ込められて、おれは写真を撮るより、文章を書くことを選ぶ。だって写真はなんだか嘘くさい。仮にデタラメしか書いていないとしたって、言葉は真実を語ることができる。もちろん、その逆だって。そして、見たことのない懐かしい風景、経験したことのないある日の思い出、あるべき姿、象られた像。世界を語るために、言葉という別世界にアクセスする。スペルを唱え、感覚を刺激する。やがて弾けて消える日々の泡を言葉として記録する。現実を経由した幻想のスペクトルを繋ぎ合わせ、文章として刻みつける。


 輝いている。きらめいている。彼女のTシャツがはためいている。

 安っぽい夏の浜辺のイメージが頭からちらついて離れない。おれの頭は早くも夏なんだけど、問題はおれは女性とふたりで海になど行ったことがないということだ。別に問題というほどのことでもないが、問題という言葉を使うのがおれは好きなんだ。どうでもいいことでも問題にしてしまうんだ。おれが思うのは、故郷らしき故郷のないおれに募る郷愁の想いは、いったいどうやって解放すればいいのかってこと。そんなくだらないことを考えていないで、尻に火をつけてブーストかけろよ。それはそうなんだ。それはそうなんだが。なんだかそんな気にならないね。胸やけのような胸が詰まっているような、そんな感じ。誰もわからないかもしれないけど、おれは悲しいんだ。だからこんな文章を書いているんだ。


 ああ。おれが負け犬だろうが飼い犬だろうがなんだっていいよ。すべてが馬鹿らしくて虚しくて、なにもかもが通り過ぎてゆく。正直どうしたらいいのかわからない。面倒だから、すべてを承諾してしまおうか、なんて考えている最中に腹が鳴った。どんな気分でも腹は減る。おれがもし、小説を書くとしたら現代ってやつを舞台にはしたくないね。携帯電話ってやつが邪魔だ。こいつがあらゆる起点になってしまいそうだ。そのとき、おれのスマホが鳴った。みたいな感じにね。実際のところ、こいつは結構色々な起点になりやがるんだよ。大抵はろくでもないことの起点として、震えたり、鳴ったり、大騒ぎさ。いまじゃ玄関のチャイムよりもまずは携帯電話だ。知らない番号。昔の恋人。知らない恋人。昔の変人。だからおれはよほどのことじゃない限り、鳴こうがわめこうが携帯電話はシカトだね。未読のLINEが1,144件。このまえ一緒に飲んでいた知人が偶然この数字を見つけて、大喜びしながら写真を撮っていたよ。スマホのカメラで。いったいなにがそんなに面白いんだか。ただおれが受信着信のほとんどすべてをシカトし続けているってだけの話じゃないか。それで、目に見える形ではなにも問題は起こっていないんだから、騒ぐ理由がどこにある。ただのデジタル表示の数字だよ。なんてとぼけたことを言いながらも、電話やメッセージを無視することがここまで珍しいだなんて、やっぱりこの世は狂っているな。おれが改めてそう思った風景を思い出しながら、腹が鳴った。スマホは鳴らなかった。黒い板の姿のまま沈黙していた。


 すこし迷ってなにも食べないことにした。どうせ朝はくる。朝になったら、朝ごはんだ。米を炊いて、今夜の残りの麻婆茄子と納豆をのせて食べる。半端に残ったミニトマトも食べる。どうせ朝はくるんだよ。それまで文章でも書いて過ごすんだよ。腹の中は空虚なまま、道にまで迷ってしまった。だけど焦りはない。どうせ朝がくるんだから。道には迷ったままだろうけど、腹は膨れるに違いない。これで問題のひとつは解決。解決予定。ではもうひとつの問題は? こいつはまったくの問題だ。電話と違ってシカトできない。そりゃ電話だって、相手に根性があって、一日中発信されようものなら、そいつは大問題だ。おれとしては、気づいていないって体だから、電源を切ったら着信に気づいているのにシカトしていることが相手にバレてしまう。それはやっぱり気が進まないよ。いっそ電話に出てみるとか。そのときがそういう気分だったらそれもありだろうね。別に電話が怖いってわけじゃなくて、ただ面倒なだけなんだから。でもそんな気分ではなかったら、クローゼットの中にでも放り込んでおくだろうな。いや実際にそんなことがあったらと思うと、うっとうしいったらないね。こんなことしか考えることができないから、おれは道に迷ってしまうのだろう。果たしてそれはどうかな。相関関係、論理の飛躍。面倒だから、最低限の言葉のみで反論してみたよ。じゃあもうそれでいい。その反論に正当性があったとしても、どっちにしろ気分は晴れやしない。で、どうするんだよ? この質問が一番嫌いだよ。この世で一番嫌いな質問だよ。追い込んでくるんじゃねえよ。どうもしねえんだよ。なるようになるんだよ。ただただ経過を見守るだけさ。今後の動向を注視するだけさ。きっとなるようになるだろうよ。


 それでもこうやって文章にかじりつくおれだよ。おまえには根気がない。子どもの頃によく言われた言葉だ。いまのおれを見てみろ。これでも根気がないと、そう言えるかい? 不毛な文章を書き続けているおれを見て、おまえは根気があるなあ、そう褒めてくれるってのかい? ゲームだって20年以上ほとんど毎日プレイしているよ。それでもおれが飽きっぽくて、根気がないと? 根気など役立つ指標にはなりやしないよ。おれがやるか、やらないか。それだけなんだから。おれがやることは銭にならない。それだけのことだろう。つまらないことはやりたくない。おれの意思は子どもの頃から一貫しているんだ。たとえその意思がおれの首を絞めようとも。さすがにチェーンソーとか持ち出されたら、おれだってつまらないことをやるけれど、つまらないことをやりながら自死の道を探るだろうな。だってそんな生は生きるに足る魅力がない。少なくともおれにとっては。逆にこうとも言えるんだ。おれは生きるために文章を書いている。強引に生を魅力的にデコレーションしてやっているってわけだ。そうでもしないと、あまりにも馬鹿らしくて虚しいじゃないか。文章にかじりついてすがりついてなんとか生を繋いでいるんだ。根気があるじゃないか。根気しかないと言ってもいい。そうだ。おれの生まれ持った能力には、もう見切りをつけました。人間性、生産性、将来性、あらゆる部門で平均を大きく下回っています。落ちこぼれのくそったれ。落ち穂でも拾って生きてゆくさ。それでも文章を書き続けるんだ。こんな文章を。もはや根気だけを頼りにして。おれが求めているものは誰にもわからない。おれにだってわからないよ。それでもおれはなるべく近道を選んでいるつもりだ。急がば回れなんて、のんびりしたことは言ってられないからね。最短距離を強引に突っ切るだけだ。突破するだけだ。面倒なものはすべてすっ飛ばすのさ。道を間違えていたら? 嫌な気持ちになるだけだよ。で、すぐに軌道修正するだけだよ。

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