受難・ザ・グレイトバトル
楽しい夜だった。久しぶりに上機嫌な夜だった。酒はおれの精神をほぐして緩めて、ぐにゃぐにゃにした。よく笑い、よく喋り、ひっきりなしに煙草を吸った。友を駅まで見送り、タクシーに滑り込んだ。またタクシーの運ちゃんが話好きのするやつでね。彼の娘の大学受験話を、ウンウンわかるよ、大変だよなあ、でも大丈夫だよ、なんの問題もない、とか言いながら親身になって聞いてやった。本当はなにもわからなかった。受験っておれには無関係のものだったから。それでも彼と彼の娘に幸あれ、と祈る気持ちは本物だったさ。
家に帰り、文章を書いた。おれはまったく上機嫌だった。とてもハッピーで、不満なんてなにもなかった。だけど、書き出した文章は悪意に満ちていた。
つい先ほど、おれはその文章を読み終え、まったく阿部千代という男は大したやつだ、そう思った。おれだけが、あの文章の裏事情に精通している。おれはとても上機嫌だった。幸せな気分、あったかハートに任せて書いた文章。それがアレなんだから、おれは感心するしかない。彼は照れていたのだ。その日の自分の振る舞いに。すれ違うすべての人間、皆の幸せを願っている自分の心持ちに。そんな自分になんとなく我慢がならなくて、なんとなくその日あったことを覆したくて、彼は文章を書き始めた。
愛らしいやつだよ。愛おしいやつだよ。愛の裏に隠された傲慢や汚らわしさを熟知しているやつだよ。無償の愛、そんなようなものを探し求めて、迷子になってしまったやつだよ。自分の姿の表も裏も見失ったやつだよ。
常時開きっぱなしで、内緒話とかは無しで、だだ漏れる液状の激情の流れに乗って、行けるところまで行ってくれ、行き止まった吹き溜まりで、憤った生き物一匹、あんたらに恨みはないが行き掛かり上の事情ゆえに成敗いたす。
ところどころ、おれですら意味の不明な部分はありつつも、泥酔しながら頭痛に苦しみながら、あれだけの怪気炎を上げていたおれ。その健気さに感動した。なんだか泣けた。涙は出なかったけれど、心が哭いた。苦しかったろう、眠かったろう。それでもやり切ったよ、阿部千代は。自分に甘いか? まあそう言うなって。だっておれだけにしかわからないものがある。おれだけにしか褒めてやれないことがある。おれだけにしか褒めてやれない……これは日本語として、合っているのだろうか。つまり、おれにしか褒めてやれない、ということが言いたいのだけど……なんの説明にもなっていないか。最近、こういう不安が多い。倒錯した立ち位置で文章を書いているものだから、なにがなんだかわからなくなっているんだ。まあいい。伝わるのなら。伝わらなくたって。むしろ、ほぼ伝わっていないということを前提としなければいけない。大体のやつは文章なんて斜め読みだろう。ましてや阿部千代の書く文章をマジで読んでいるやつなどいるわけがない。140字だっけ、160字だっけ、それっぽっちしか書けないツイッターでさえ、読み違い、すれ違い、勘違いが起こるのだから。文章だろうと、対話だろうと、言葉は半分も伝わっていないだろうという立場に立脚しながら、おれはリーダビリティなどはかなぐり捨てる。どうせ伝わらないのなら、好き勝手に書いた方がマシってもんだ。伝える気がないわけではないけれど、伝わりづらいやり方でしか伝えられないものがある。
本当に頭の良いヤツは、難しいことを易しく伝える……だと? そんな戯れ言はファックだね。こういう手合いのいんちき相対化言説にすぐに騙される馬鹿がおれは嫌いだ。考えろって。一度考えてみてから、信じるかどうか決めろって。なんか解っている風な言説に踊らされるなって。だからおまえらはいいカモなんだよ。他人のいんちきな言葉を偉そうに吹聴する前に、自分の頭で考えてみろって。近頃の阿部ちゃんの流行り言葉。いんちき。こういうことを自覚すると、あまりその単語を使用しなくなる。自覚しないと口癖になる。本当かな? 知らないよ。いま考えたことだから。
とにかく活気のない文章がおれは嫌いだね。若年寄りなのか本当の年寄りなのか知らないが、悟ったようなフリして陰気で不吉で活力の欠片もない1000文字以下の文章を書こうとする、その動機はいったいどこにあるんだ。軋轢をことさらに恐れ、執念深さもなく、そのくせ自分の精液は余さず飲み干してくれって、不潔な欲深さだけはいっちょまえな自称作家たち。気持ち悪いよ。きみたちは、ぼくを不機嫌にするために、それだけのために生まれてきたのかね? いやそれならいいんだ。それがきみたちの役割だと言うのであれば、ぼくもきみたちの為、きみたちの存在意義を尊重して、大いに不機嫌になり、こんな文章を書き続けてみせようじゃないか。圧倒的な差を見せ続けようじゃないか。ぼくはきみたちを不機嫌にするために生まれてきたんでね。ぼくの文章はぼくに経済的な豊かさを授けてくれるようには出来ていないが、きみたちを揺さぶるために念入りな改造を施してきた。でもまだまだだよ。カスタマイズの手は緩めない。日々、研鑽と実験と突撃に励むだけさ。いつか綺麗な景色を一緒に見よう。肩を組んで共に涙を流しながら、オーバー・ザ・レインボーを皆で歌おう。そんな日がきっと来る。ぼくは信じている。信じていなければ、やってられやしないよ、こんなこと。
結局のところ、今日のような文章だって意味不明ってな一言で処理されるんだろうよ。そして二度と思い出されることはない……。上等なんだよ。意味なんて、これでもかってほど盛り込んでいるっつうの。ただおれは恥ずかしがり屋さんだから、意味をそのまま受け取られるのはイヤンって顔を手で覆っちゃうんだよね。だから意味を砕いて、その欠片を、各文章に散りばめてある。探せ。一繋ぎの意味を完成させてみせろ。ワンピースの始まりってこんな感じだったよな。これは飲み屋で何度も話していることだけど、尾田栄一郎の才能をジャンプ編集部の次に見出したのはおれだからね。月刊ジャンプの増刊で彼の読み切りを読んだ瞬間に、おれは凄いヤツが現れたって思ったからね。当時小学生のおれがおもしれぇーって、立ち上がって叫んだからね。あれは札幌のおじいちゃんの家でした。確か表紙は秋本治のミスタークリスだったはず。読み切りのタイトルは忘れてしまったけど、ブランチってデパートに隕石が落ちるのを阻止するために泥棒の主人公が頑張る……みたいな話だった気がする。いやでも完成度がダンチでしたからね、他のルーキーとは。おれの脳内のジャンプ編集長が、いますぐこいつと専属契約を結べ! って吠えたもんな。でもそれから結構長い間、彼の音沙汰はなくなって、そろそろおれの衝撃の記憶も薄れ始め、おれも思春期まっただ中でハッキリ言ってジャンプなんてくだらなくて読んでられねえから、って時に始まった連載がワンピースってことなんだよね。ついに天才が立ち上がったか、そう思ったよ。大ヒットは間違いないだろうなってね。ただおれの誤算は、まだワンピースの連載が続いているってことだよね。馬鹿だよ、尾田栄一郎は。あの才能をたった一作で終わらせようだなんて。勿体ない、実に勿体ない……。とかなんとかぶつくさ言いながら、ワンピースは最初の方しか読んだことがない阿部千代であった。ただでさえ、少年マンガなんてアホらしいもん読む気しないのに、100巻超えの少年マンガなんて読めるわけがねえだろう。そんなもん読むくらいなら、ドカベン・プロ野球編読むわ。いやあれも結構な苦行ですけどね。阿部千代ともあろう御方の文章の締めがこんな軟弱な内容でいいのでしょうか。いいんです!




