歌うように喋るように
潮が引くように文章を書く力がなくなっていった。文章を書こうをすると頭が働かない。空っぽの頭でしばらくなにかを考えようとするのだけど、とにかくなにも出てこない。出涸らしすら出し切ってしまったってのか。
過去のおれがどんな文章を書いていたのか、自分の書いた文章を読み返してみる。なにコレ? 超クソじゃん。吐き気がするほどつまらなくて、とてもじゃないけど最後まで読めやしない。
あれ~? おっかしいな、おれそこそこのものを書けていたはずなんだけどな……。所詮はすべて気分の仕業だったというわけか。うーん。どうしてあんなものがおもしろいと思えていたのかわからん。でも恥ずかしいとかそんな気持ちはないんだよね。もうなんか他人が書いたみたいな感じ。おれのせいじゃねえよ、みたいな。普段からこういうことばっかり言っているから、おれは信用されないのでしょうね。政治家に向いているかもしれない。勤勉じゃないから無理だね。それにしても最近、風が強いね。雨のち晴れのち風。彼は誰黄昏香るカレー。おれの頬に涙の跡があるのは北風のせいさ。
さて、そんな状況でもとりあえず文章を書いてみよう。仕切り直しってことで、気分も新たに。できるわけがない。そう器用にことは進まないし、意気揚々と言葉を選んでいる暇はない。結局のところ、ぶっ飛ばすだけだぜ。さっきはおれの文章のことを超クソだと評したけれど、あくまでもそりゃおれ基準での話だから。そんじょそこらの無味無臭の文字の羅列よりかは、よっぽどマシなんだ。文章力とは読みやすいことだ、などと抜かす極めつけの間抜けは、さっさと尻尾を巻いて逃げ出しな。あんたのような甘ったれに鉄火場はまだ早いぜ。文章力ってのは文字通りちから、パワーなんだ。体重×スピード=パワー。カウンターを恐れて、腰の入っていない、体重移動もできていない、ふにゃふにゃのパンチしか打てないやつに用はないよ。浅瀬でぱちゃついてろっての。
誰からも文句を言われないようにと、八方に目配せしながら丁寧に書いた文章がおもしろくなるはずがないだろう。失言はなかったかな? そんなことを考える時間はクソを垂れている時間よりも無駄だから、いらん心配はいますぐやめることだ。勢いで叩きつけてやるんだ。すらすらと淀みなく、流れるように書かなければならない。その結果、整合性がとれていなかったり、とりとめのない稚拙な文章になるかもしれないけど、構うものかよ。大体が丁寧に説明してやったって、物分かりの悪い愚図は一定数確実にいるんだから、そんなやつのために、言葉を撒き散らす、書く悦びってやつを犠牲にするなんて愚かにも程があるぜ。濾過した文章なんてクソにすらなれないんだ。化学実験でもしているつもりか? 文章はいまこの時にしか書けない、再現不可能、瞬間そのものであるべきだ。ピカッと光って消えちまう、火球のようなものであるべきだ。軌跡が夜空に焼き付いちまうくらいの眩しさ。目の前がしばらくちらついてしまうくらいの。
トーンダウン。つーか晩飯作って食べてうたた寝したら、テンション下がってた。せっかく文章を書くのなら、書いて書いて書きまくりたい。若気の至りなんて言える年頃ではなくなってきたけど、馬鹿げたことに熱を上げるのは、なにも若人の特権ではあるまい。まだまだおれは朱く発光する鉄だし、青いケツはぷりぷりしている。青春のしっぽなんてものを追いかけているつもりはない。そもそもが青春なんてものをおれは信じていない。いつだって人生は囓れば苦いし、苦味が無ければ人生なんて食えたものじゃない。苦笑するしかないことばかりが身に降りかかってくるもんだから、すっかり固く茹で上がっちまったってわけ。意味わからないだろう? 意味なんて考えなくたっていいんだよ。あらゆることの問題は、人が意味を考えすぎてしまうってことから始まっている。意味を考えたからこそ、意味のない鳴き声は言葉となり、言葉は詩となった。詩とは物語であり、音楽でもあるから、つまりは発声されることが前提の表現だと、おれはたったいま気づいてしまった。だから韻文であることが大事なんだ。リズムよく、耳に心地よく。つまりラップってのは先祖帰りみたいなものだよな。ビートとリリック。優れたそれには、思わずケツが浮き上がっちまう。それがヒップホップなんだ。適当言ってますよ。口から出任せの適当だけど、真面目に書いてますよ。それはともかくとして、日本のラップ、おれは好きなんだけど、どうも入りにくいっつーか、閉鎖的な感じがあるよね。ドグマ臭すぎるっていうのかな。ラッパーは、ヒップホップはこうあるべし、みたいな感じが強く見えてしまって。いやそれがカッコいい部分でもあったりするからややこしいんだけどね。すべては表裏一体ってことですよ。でもまあ昔よりはマシになったかな。昔はニューエラ斜めに被って、チャンピオンのスウェット着て、ダボダボのデニムにティンバーのブーツみたいなさ。そういう格好しないとヒップホップとは言えないみたいな雰囲気あったじゃない。ドレスコードありますみたいな。いやイメージね。外側から見たイメージ。現場ではどうだったか知らないよ。いまは有名なラッパーでも思い思いの格好してるじゃないですか。カンゴールのハット被ってる人もいれば、パンクスみたいな人もいれば、そこらの大学生の小汚いあんちゃんみたいな感じの人もいたり、キュートな女の子もいたりさ。まあ……でもよく考えてみたら、だいぶ前からそんな感じだったかもね。だからこの文章にはあまり意味がなかったってことだ。意味なんて意味がないよ。意味を考えるだけ無駄ってわけなのさ。
こんな風になにか言ってる感じで実はなにも言っていない、厳密に言うと、なにも言っていないということを隠さないのが、おれの文章ってことだ。だから、意味がない、為にならない、心が温かくならない、なんていうくだらないクレームは一昨日きやがれってことだよね。おれは教師でもないしセラピストでもないんだよ。いいかい? あんたらは弱っちいから、癒やしなんてものをご所望かもしれませんけどね、あたしはそんなモン必要としないんですわ。傷なんてほっときゃ勝手に癒えるわい。心が温まる、とかいうイディオム、おれは大っ嫌いだね。心がほっこりした、とかさ。おまえらは普段はどれだけ心が冷え切ってるんだよ。おれなんて普段から心が沸騰してるから、大型犬と猫が添い寝している動画くらいじゃ、ほくほくしませんわね。いやん、カワイイ! と思うくらいのものですよ。もちろん、そのすぐ後に確かに犬と猫は可愛いけど、これを撮影しているのは人間なんだよな、そう考えますよ。それでもって、なんだよこいつ、大型犬と猫を同時に室内で飼えるくらい家がデカいんすよって自慢してるのか? なんてルサンチマン発動して嫌な気分になったりしますよ。仮にそうじゃなくても、犬猫動画で人民を癒やしてやろうって魂胆がおれは気に喰わないね。あと犬猫動画の嫌なところは、ちょっとでも見てしまうと、しばらくの間あらゆる犬猫動画がおすすめで上がってくるってところだね。浸透してくるんじゃねえ。そのくせ街中の喧嘩動画とかは、いくら検索したっておすすめされないんだから。かわりに出てくるのがブレイキングダウンとか。あのね。おれはプロ未満の格闘技未満を見たいわけではないんですよ。素人の喧嘩が見たいのです。なんならフィジカルのやり合いはなくたっていいんですよ。口喧嘩とかでもいいのよ。わかります? おれが癒やされるとしたら、そういうものだよ。怒りがおれを癒やすんだ。冷血な連中にはわからんだろうけどよ。