私が嫌いなエッセイ
私は、エッセイを好んで読んでいる。
「エッセイ」とは、
自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。
特定の文学的形式を持たず、書き手の随想を思うがままに書き記した文章。
である。
つまるところ、「自由」に「自分の考え」を述べる文章と私は解している。
だが時折、意識的に「自分の考え」を歪めてしまう人がいる。
そういう人間が書いたエッセイは、嫌いである。
それは、「間違っているかも」とか「書き散らした」だの変に、畏まり他人を意識した、卑屈な文言を最後につけ、その主張を歪めてしまっているエッセイである。
主張や知ってほしい考えがあるから文章を書くわけであるし、最後に自分の考えを薄めるような文言を入れられると読んでいるこちらは、「自分の考えなのに、自信がないのか」と疑問符が浮かんでしまい、感情の動きも鈍くなる。
「エッセイ」とは「自分の考え」を披露する場所であるのだから、そこに間違いというものは、存在しない。それを判断するのは、自分ではない。
「私はこうだ!私はこの件をこう読み解いた!」と断言してほしいのである。
それによって、批判や同調がより濃く鮮明に生まれると私は思う。そして、内省をするかもしれないし、より強固に自分の考えを信じるかもしれない。
せっかく反応が得られる場所であるのだから、その機会を自ら薄めてしまうのは、ただもったいないと私は、感じるのです。