62 猫耳娘達の事情。
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あとで聞いた話である。
勇者アルハヴァが逃げ出す少し前、
「な、なんですか、これは……」
猫耳族の族長の娘ダキアは思わず声を漏らした。命の危機も忘れ、ダキアは一面の空を見回しながら驚愕していた。ダキアたちを襲いいたぶっていた人間達も手を止めて空を見上げていた。
見渡す限りの精霊門が開いていた。信じられない規模であり、見たことがない光景だった。
ダキアは驚きで、人間達は恐怖で顔をこわばらせていた。
ダキア一行は陳情のために王都に向かう途上だった。そこで突然人間の兵士に襲われた。護衛達が次々斃れていき、ダキア自身も死を覚悟したところで、突然大規模魔術が遠くから飛んできて、人間達はその対応に追われ始めた。あげくにこの信じられないほど広大な魔力圏。
護衛の長であるサルジャンが慌てた様子で近づいてきて小声で言った。
「逃げましょう! これは人間に対する攻撃です。人間は対応せざるをえません。チャンスです。我々が命長らえるには今しかありません!」
ダキアはその言葉にようやく我に返った。周囲を見回し、それから首を振った。
「いえ。逃げません。我々が動くことが、この攻撃者にどのような影響を与えるかわかりませんし、我々が移動したことで魔術の影響下に入り込んでしまう可能性もあるでしょう。むしろ移動すると危険かも知れませんよ」
ダキアの言葉にサルジャンはハッとした。
「た、たしかに! 全員その場を動くな!」
サルジャンの命令に残った五名の猫耳族の護衛は「了解です」と返事し、動きを止めた。怪我しているものも苦しそうに顔を歪めながら動かなかった。
それを確認し、ダキアはサルジャンの方を顔だけ曲げて向いた。
「それにこれはいい機会だと思います」
サルジャンは目を剥いた。
「いい機会、ですか?」
「これほどの魔術を使える方とあれば強力な魔族であることは間違いありません。うまくつけ込めば我々のよき庇護者になってくれるでしょう」
「つ、つけ込む、と?」
「もちろんです。弱小種族である我々に必要なのは庇護です。我々を無駄に愛おしく思い不必要に甘やかしてくれる相手こそ理想。愛玩種族と恐れられる我々の実力を見せつけてやろうではないですか!」
「……愛玩種族は蔑称だと思いますぞ、姫」
「……そんな……ひどい」
「あ、すみません! そ、そんなことはありませぬ! 愛玩種族であることは我らの誇り。愛玩種族であり続けましょう!」
ダキアは咳払いをした。
「もちろん可愛がられるだけが能ではありません。より強い愛情を得るために拗ねても見せます、こんな風に」
「!……さすがです、姫」
「わかっていただけましたか。そうなんです。迷う必要はありません」
「わかりました。……しかし、この魔術を見ているともし我々に力があれば、姫の身と引き替えに庇護を得るなどしなくてもよかったと考えてしまって少し複雑です……叡智族の天才は十歳で十万単位の魔力圏を掌握したそうですよ?」
「それはすごい。私は精々三十単位ですね。冷静になりましょう。無い物ねだりをしても仕方がありません。たぶんその叡智族の天才とやらは我々が持つ愛らしさを持っていないのですよ。まずはここを生き延びることですが、今のところこの魔術は我々には向かっていない。つまりこの魔術の発動者は我々魔族の味方です。我々を護ってくれているとも言えます。信じましょう、この相手を」
「そう……ですね。確かに……」
「それに強きものの庇護を受けるという生き方は決して恥ずべきことではありませんよ。強きものに生きがいを与える、というのもまた立派な存在理由です。強きものは強いだけでは存在意義がありません。弱きものを護ってこそです」
「しかし弱さのせいで我らは今危機に瀕しているのですぞ」
「だから我々は戦っているのです。庇護してくれる強者を探す、というのが我々の戦い方です……あ。始まりましたね」
目もくらむ規模の魔術が発動し、五十人近い人間の兵士たちが一瞬で滅んだ。燃え上がり、沸騰し、塵も残さず蒸発した。それは予想をしていた以上で、魔族であっても驚愕と恐怖を感じさせるのに充分な光景だった。神話的な光景とさえ言えた。原種と呼ばれる偉大な魔族の祖が、地上に蔓延る強大な魔物を殲滅する光景を幻視させた。
ダキアたちはその光景に怯えながらも見蕩れた。強い存在に対して魔族は無条件に頭を垂れる傾向がある。それほど『強さ』と『古さ』を尊いと感じる種族なのだ。
その意味でこの魔術発動者は圧倒的だった。まさに神話の時代の強者が現代に蘇ったような強さだった。
だからこそダキアは改めてこの相手の庇護を受けなければ、と強く思った。
魔術が効果を発揮し終え消えた。
残ったのは不思議な大剣を持つ男と、そして魔術発動者の方に飛び出していった男と、そして雷が器用に避けた猫耳族の七人と、焦げ臭い金属臭だけだった。
その直後、大剣を持った男は驚くほどのあっけなさで逃げ出した。
だが、空中に飛び出していった男は逃げ出すことなく、魔術発動者と闘い続けた。
精霊門が何度も開かれ、光が弾け、轟音と金属音が響き渡った。
すべての闘いは空中で高速で移動しながら行われた。
それをダキアたちは息を呑みながら見守った。
闘いは十分ほども続いた。
最終的に、飛び出していった男は魔術で打ち落とされた。地面に叩きつけられてバウンドし、気を失ったのか動かなくなった。
そして打ち落とした側も、飛び去る力は残っていなかったようでよろよろと不自然な動きで落ちてきた。
ダキアとサルジャンはうなずき合い、そちらの方に駆け出した。
直接受け止めたのはサルジャンだった。
サルジャンはよろけながらも倒れることなく耐えた。
初めて見る『魔族』だった。
落ちてきた魔族は真っ黒な鳥型で、羽は大型のものが一対、小型のものが一対、脚は一本という、不自然な姿だった。羽で空を飛ぶ魔族は竜族しか知られていなかったが、竜族の亜種だろうか。
戦闘で羽の一つは千切れ掛けており、さらに全身が切り傷だらけで、息も絶え絶えの様子に見えたが、サルジャンが抱きかかえると、思いがけず普通の口調で、
「すみませんが、落ちてきた勇者のところに連れて行ってもらえませんか? まだ危険です。封印の必要があります」
勇者という言葉に驚愕した。勇者というのは人間種の最強存在のはずだった。魔族にとって天敵と言える。
だが、それよりも、
「あ、あの! 助けていただいてありがとうございました!」
ダキアは近寄り潤んだ目で、そっと鳥型の魔族に触れてそう言った。フィジカルな接触は相手との身近感を演出するのに重要な手段だった。ダキアの手のひらにはやわらかな『肉球』が装備されており、その柔らかくも固い感触は好事家にはたまらないものと見なされていた。
鳥型の魔族は七つの目でダキアを見て、その視線が上に移動していき、突然かすかに揺れた。
「え? そ、それはも、もしかして猫耳、ですか?」
鳥型の魔族の突然の言葉に、ダキアは自分の耳に手をやり、
「はい。我々は猫耳族ですから」
「マジですか? すごい! 猫耳族って、オタクの理想じゃん! え? もしかして尻尾もあったり……?」
ダキアは不安になった。鳥型の魔族はサルジャンに抱きかかえられたまま、目をダキアのあちこちに向けた。その視線に粘ついた何かを感じ、気持ちが悪かった。確かに猫耳族に尻尾はあったが、それを見せる気にはなれなかった。
ダキアはサルジャンと視線を交わして、
「それよりも先ほど勇者と仰ってましたが」
「あ! そうでした。くそぅ。さすがにそちらが優先か。連れて行ってください」
サルジャンはホッとする気持ちを隠し、鳥型の魔族を抱えたまま移動した。
打ち落とされた勇者はクレーターの底で気絶したままだった。
サルジャンは鳥型の魔族に言われて、鳥型の魔族をダキアに渡し、勇者に近づいて握られたままだったレイピアをそっと指から外し離れた場所に置いた。そのレイピアを鳥型の魔族が血を流しながら何かの処置を施した。
精霊門が開いていて、土精霊が顕れていたので、魔術であることはわかったが、中身はよく分からず、とにかく極めて複雑な魔術であることは間違いなかった。
処置が終わり、続けて気を失ったままの勇者にもなにやら処置を施し、ようやく鳥型の魔族は長く息を吐いた。
「なんとか持ちました……あ、この身体が、という意味です。けっこうギリギリだったので」
ダキアは慌てた。確かに鳥型の魔族から生命の気配が消えかかっていた。
「え? だ、大丈夫ですか?」
「……申し訳ないですがダメですね」
「え? こ、困るんですけど! 我々は庇護を願い出ていて--」
「やりとりしている余裕はありません。申し訳ないのですが、ここで待っていてもらっていいですか? 使いの者を出しますので」
「ここって、ここですか? 使い? どういうことです? でも使いの呼びようが--------ー」
ダキアは動きを止めた。
しばらくして恐る恐るといった感じでサルジャンが訊ねた。
「……どうされました?」
「……亡くなったようです」
サルジャンが驚いた顔で、ダキアの腕の中にいる鳥型の魔族を見た。鳥型の魔族はピクリとも動かなかった。
「…………ど、どうすれば?」
ダキアとサルジャンは顔を見合わせた。
それから護衛の者達にも視線を向けた。
答えを持つものは誰もいなかった。
読んでいただいてありがとうございます。少しでも面白いと思っていただけたなら、ブックマークやポイントをぜひお願いします! 第一部完まであと四話です。




