義妹に夢中になった公爵様から可愛げのない女はいらないと婚約破棄されたので、女侯爵として領地経営に励みますっ! 義妹がご迷惑をおかけしているようですが。
「セシリア様、もしよろしければ一緒に踊っていただけませんか?」
私の前でうやうやしく礼をしながらいたずらっぽい黒い瞳で見上げたのは、先月から我がコルネリウス侯爵家で法衣貴族として働きはじめたデッセル伯爵家の三男ヴィンセント様だ。
「喜んで」
私が笑顔で答えたとき、
「お前のような性悪女と踊りたい男がいるとはな」
という憎しみのこもった声が後ろから聞こえた。驚いて振り返ると私の婚約者であるマクシミリアン・カルヴァート公爵様が唇の端をゆがめて立っている。豊かなダークブラウンの髪にちらほらと白いものが交じる落ち着いた雰囲気の紳士だ。
いつもの柔和な公爵様とはうって変わった物言いに、私は我が耳を疑った。
「マクシミリアン閣下、なんのご冗談でございましょう」
「私はきみを誤解していたよ。聡明で誠実な女だと思っていたが、まさか今までずっと陰で妹のティアナ嬢をいじめて追いつめていたとはな」
「私がティアナを――!?」
腹違いの妹であるティアナは私より二歳年下。いくつになっても子供のように純真――といえば聞こえはいいが、わがままで感情の起伏が激しく、世の常識に疎いところがある。そんな妹が少しでもコルネリウス侯爵家の令嬢にふさわしい言動を身につけられるようにと諭してきたつもりだが――
「そうですよ、お姉様!」
当の本人がマクシミリアン閣下のうしろからあらわれた。
「今日だって私が特別に仕立てさせたこのドレスをさんざん悪く言って!」
ティアナが着ているのは、びっくりするようなショッキングピンクの生地に、無数のリボンが縫い付けられたドレス。周囲の令嬢たちも装飾は華やかだが、生地の色合いは明るくても品がある。ティアナは明らかに浮いていた。
「これまでもお姉様が私に嫉妬していらっしゃるのは分かっておりました」
えぇぇ、私があなたのどこに嫉妬するっていうの……
「だけど私は妾腹の子―― だからずっと恥を忍んで我慢してきたんです……」
そう、ティアナは七年前に亡くなった父が、別邸に住まわせていた元高級娼婦のラーラに産ませた子だ。
「将来、私の義兄になるマクシミリアン閣下にはよく相談に乗ってもらっていたんです」
そうだったの…… 知らなかったわ。確かにティアナは誰彼構わず個人的な悩み相談に付き合わせる癖があるのだが――。これも相手に迷惑だからやめるようにといつも言っていた。
「私はきみを信じていたから――」
マクシミリアン閣下が冷たい目で私を見下ろす。
「ティアナ嬢がきみを誤解しているんだとばかり思っていた。だが違った。きみの妹に対する悪行について、私はすべてを知ってしまった」
「どういうことですの!?」
一体何を知ったというのだろう? だが追いすがる私に、マクシミリアン閣下は冷徹な口調で言い放った。
「セシリア、私はきみとの婚約を破棄する。きみのような可愛げない女は私の妻にふさわしくない。私の前でだけ淑女を演じても無駄だ」
「誤解ですわ!!」
言いつのる私に彼は聞く耳を持たなかった。
「私はティアナと婚約する」
「ですがティアナはすでにエドモンド様と婚約済みです――」
デッセル伯爵の次男であるエドモンド様はヴィンセント様の兄。エドモンド様は我が侯爵家で法衣貴族として長年働いてきた。とくに父が亡くなってからは母と二人三脚で侯爵領の運営を切り盛りしてくれた。
「エドモンド殿は最近、病に伏せっているそうじゃないか」
これはマクシミリアン閣下の言う通り。将来的にティアナを女侯爵とするつもりだった母は、危なっかしい彼女を補佐するためにエドモンド様と婚約させた。しかし彼を未来の夫と思ったティアナが恋に燃え上がり、泣いたりわめいたりして感情をぶつけるうち、それを真剣に受け止めていたエドモンド様は心労で倒れてしまったのだ。
「ご病気を理由に私と会ってくれませんのよ。あんな冷たい方だったなんて、ありえない裏切りですわ!」
ティアナの物言いはかなりヒステリックだ。自分の話を聞いてくれなくなったエドモンド様に対して、ティアナの想いは急激に冷めていったのだろう。
「そういうわけだ」
マクシミリアン閣下が居丈高にのたまった。
「エドモンド様はもはやコルネリウス侯爵家を支える能力はない。よってティアナとの婚約は解消された。そして彼女は私の妻となるのだ。すでにコルネリウス侯爵夫人も了承済みだ」
母も!? 私は耳を疑った。
「私は本来、ティアナのような守ってあげたくなるかわいい女の子が好きだった。セシリア、きみは以前から利口すぎるし、硬い雰囲気で好みではなかった。だがそれもきみの真面目さゆえなのだと思っていた。だがお前の本性を知ったことで私の気持ちはすべて変わったのだ!」
私はもう何も言わなかった。マクシミリアン閣下のとなりでティアナが、ド派手なドレスをひらひらさせながら、
「ようやく分かって下さって嬉しいです!! お姉様はかわいそうだけど、自業自得ですわね」
と私にさげすみのまなざしを向けた。
周囲からひそひそと噂話が聞こえる。
「そんなことじゃないかと思っていたわ。ティアナ様はよく泣きはらしていらっしゃって」
それはティアナが単に情緒不安定なのよ……
「貴族学園での成績もセシリア様はトップ、ティアナ様は最下位でしたでしょう。姉妹であんな差がついてはティアナ様がかわいそうでしたわ」
私はティアナにたくさん勉強を教えたんだけどね…… でも今思えばあれも、ティアナにとっては私にいじめられているようなものだったのかしら。
「セシリア様はきついから―― ティアナ様はおっとりされているけれど」
ティアナは外ではおとなしいから、そう見えるだけなのよね。自分のわがままを通すためならテコでも動かないもの。
うなだれる私の袖をそっと引いたのはヴィンセント様だった。
「今日はもうおいとま致しましょう、セシリア様」
振り返ると、いつもはおどけた雰囲気の彼が見たこともないほど沈んだ顔をしている。
彼は私をエスコートして、屋敷の前に並んだ馬車まで連れて行ってくれた。
「セシリア様、あなたが妹をいじめるような方でないことは、よくわかっております」
暗い馬車の中で、彼は真剣な口調で言った。ヴィンセント様は現在、我が屋敷に泊まり込んで働いている。彼の兄エドモンド様がある日突然、糸が切れたようにベッドから起き上がれなくなってしまったため、業務の引継ぎも一切できなかったから仕事は山積みなのだ。
「ありがとう」
力なく笑った私に、彼は少し驚いたように、
「マクシミリアン閣下を愛していらっしゃったのですか?」
と尋ねた。
「そうね――」
私は口ごもった。公爵様のお年は四十歳近く、異性として意識するには年上すぎた。
「殿方として愛していたとは言えないでしょうけれど、カルヴァート公爵領の運営手腕を尊敬していましたし、いつでも冷静沈着なお人柄もお慕いしておりましたわ。敬愛というのかしら」
私も妻として彼の役に立ちたいと、領地運営に役立つ政治・経済・法律・地理について真剣に学んできた。公爵夫人という将来のため勉学に捧げてきた十代がこんな形で裏切られるなんて、今は続くと思っていた道が突然消えてしまったことに呆然としている。
「でもセシリア様、マクシミリアン閣下はあなたの魅力を分かっていなかったと思うんです」
「えっ、魅力!?」
思いがけない言葉に聞き返す私。
「はい。あなたのことを利口で真面目で硬い雰囲気なんて言ってましたが、セシリア様は聡明でまっすぐでお強い方です。そしてティアナ様のような着飾った美しさではなく、内面からにじみ出る凛とした美しさがある」
私をなぐさめてくれているのかしら? ヴィンセント様とは社交の場で何度かお会いしているが、しっかりと話すようになったのは彼が我が家で働きはじめた先月から。いつも気付くとそばにいて、何くれと気づかってくださるやさしい方だなと思っていた。それでもこんなふうにせまい馬車の中で二人きりになるなんて初めてだから、私は戸惑ってしまう。
沈黙が落ちると、蹄の音と石畳の道を転がる車輪の音だけが妙に大きく響いて、夜の静けさを破る。
「おやさしいお言葉、感謝しますわ」
私は薄闇のなかでにっこりとほほ笑んだ。
「だまっていてごめんなさいね、セシリア」
母は疲れた声で言った。暖炉の火がちろちろと燃えている。
「マクシミリアン閣下がご自分の口から告げたいとおっしゃったの」
エドモンド様が屋敷に出てこられなくなってから、母は急にやつれてしまった。エドモンド様の穴をうめるためにヴィンセント様が来てくれたが、一ヶ月やそこらで覚えられるほど簡単な仕事でもない。
「いいのよ、お母様。このお屋敷が大変な時に嫁がなくてすんで私もほっとしているわ」
十年前からカルヴァート公爵家に嫁ぐことが決まっていた私も、エドモンド様が倒れてからはもっぱら母の仕事を手伝ってきた。我がコルネリウス侯爵領は土地自体広くはないものの、商業が盛んで人口が多いから領民の管理だけでもかなりの業務量なのだ。
「セシリアがそう言ってくれて本当に助かるわ」
「それにしても一体だれが、マクシミリアン閣下におかしな噂を吹き込んだのかしら」
「ほらティアナは被害妄想が強いから、とにかく色んな人に自分はこんな仕打ちをされたって相談するじゃない。誰かがそれを真実と思い込んで閣下にお話ししたのでしょう」
確かに母の言う通りだった。貴族学園に通っていた頃も、ひっきりなしに誰かにいじめられたと訴えてきた。私も母も最初は真に受けていたが、やがてほとんどが彼女の思い込みだと知ったのだ。
* * *
婚約が破棄された私は以前にもまして我がコルネリウス侯爵家の仕事に精を出していた。使用人たちがこそこそと、
「おかわいそうにセシリア様。きっと忙しくされていると気がまぎれるのでしょうね」
などと言っていることは知っている。
ヴィンセント様も、
「セシリア様、ティアナ様の婚礼の儀に関する仕事は、俺が全部やりますから」
などと気をつかってくれるのだが、私は自分でも驚くほどさっぱりとしていた。
「いいのよ、そんな落ち込んでなんかいないから」
「でも舞踏会の帰り道には――」
と言いかけて、ヴィンセント様は口をつぐんだ。私につらい記憶を思い出させまいとしたのだろう。
「私が落ち込んでいたのは―― カルヴァート公爵領の運営にたずさわれると思ってたくさん勉強してきたのに、これまでの努力は何だったのかしらと思ったからよ。でも考えてみたら、我がコルネリウス侯爵領だって規模は小さいけれど同じような仕事があるじゃない」
「素敵です! それでこそセシリア様だ。あなたはいつも前向きで輝いていらっしゃる」
そんなことを言うヴィンセント様の黒い瞳のほうが、よっぽど輝いている。黒曜石のようだ。
私は税務書類に目を通してサインをしながら、
「殿方はこういう打たれ強い女じゃなくて、ティアナみたいに依存型のほうが守ってやりたくなってお好きなんでしょうけどね」
ちょっと険のある言い方をしてしまった。まあ私だって、マクシミリアン閣下の「きみのような可愛げない女」という言葉に何も感じなかったわけではないのだ。
「俺は―― しっかりと自分を持っている自立した女性だからこそ、支え合いたいと思いますけどね」
作業の手を止めて、ヴィンセント様が天井から下がるほこりをかぶったシャンデリアを見上げながらつぶやく。
「まあマクシミリアン閣下は歳だから、ティアナ様をかわいいとお思いになるんでしょう」
「そうね。ティアナには全てを受け止めてくれる年上の男性が合っているわ」
「それを言ったら兄のエドモンドだってティアナ様より十歳近く上なのに、情けなくも倒れちまってすみません」
「あなたがあやまることじゃないわ、ヴィンセント様。ティアナが負担をかけたこと、こちらこそ本当に申し訳なく思っているんだから――」
不安定なティアナをエドモンド様がすべて引き受けてくれて、私と母はホッとしていた。そんな矢先、エドモンド様が心を病んでしまったのだから、私と母はしまったと思ったのだ。
そして婚礼の儀、当日。ティアナはさっそくやらかしてくれた。
まずカルヴァート公爵家側が用意して下さった花束を見るなり、
「こんな暗い色のブーケは持てないわ。お葬式みたいで気持ちが沈んでしまうの」
と神経質そうに、ふるふると首を振った。
マクシミリアン閣下は、
「ティアナは繊細な感性の持ち主なんだね」
と鷹揚にうなずき、
「すぐに花屋をここへ!」
使用人を呼びつけて命じた。
次にお祝いの音楽を奏でる楽団に、
「私、金管楽器の音色を聞くと頭痛がしますの」
と耳をふさいだ。
マクシミリアン閣下は、
「私の妻は音に敏感なんだ! 金管楽器は去れ!」
と下がらせた。
音楽はものすごく地味になった。
それからテーブルにならんだ豪勢な料理に、
「私、魚は臭くて食べられませんの。あら、こっちのお肉は固くて歯が痛くなってしまいますわ。このスープの香辛料、なんだか野蛮なお味……」
などと次々に文句をつけた。
マクシミリアン閣下はティアナが首を振った料理をすべて下げさせた。テーブルの上に残ったのはパンとサラダだけだった。
「これは確かに、お葬式みたいに気持ちが沈んでしまいますね」
私のうしろでこそっとささやいたのはヴィンセント様。
吹き出したいのをこらえる私のうしろで、彼は無邪気な笑い声をあげた。
さらには祭壇の前におごそかに佇んでいた神父に向かって、
「あの神父様、なんだか笑い方が卑猥で嫌ですわ。とても聖職にある方とは思えませんの」
と勝手に見た目で判断した。神父のいなくなった祭壇の前で、マクシミリアン公爵と、コルネリウス侯爵家のティアナ嬢は婚礼の誓いを立てた。
「はぁぁ。さんざんやらかしてくれたわね」
婚礼の儀を終えて、私はぐったりしていた。一つ一つは小さなことなのだが、積み重なるといらいらしてしまう。
「マクシミリアン閣下はまだ後悔していないのかな?」
おもしろそうにニヤニヤしているのはヴィンセント様。「そろそろ、どういう人物を妻に迎えたか分かっても良さそうな頃ですがね」
「私はこれ以上、あの子が迷惑をかけないことを祈っているわ」
元高級娼婦だった妾腹の子というのもあるけれど、それ以上に令嬢としての振る舞いに問題があるから、ティアナは外へ出さず女侯爵にしようと両親は考えたのだろう。――いや、父はティアナを目に入れても痛くないほどかわいがっていたから、それで侯爵の位を継がせたかったのかしら?
* * *
それからしばらくは何ごともなく過ぎていった。
ヴィンセント様も仕事に慣れ、私たちは二人で協力しあって毎日を過ごしていた。
そんなある日――
「公爵夫人が王宮を出入り禁止になったんですって!」
という噂が飛び込んできたのだ。
ティアナの問題児っぷりはうちの屋敷の中では知れ渡っていたから、使用人たちが「やっぱりやったか!」とざわついている。ティアナのわがままに迷惑をかけられた者も多いから、不謹慎にも面白がる空気さえ漂っていた。
「ティアナったら一体何をしたのかしら?」
「国王陛下夫妻に面会した際に、何か粗相をしたようですな」
とヴィンセント様。
あとから聞いたところによると、趣味の良いシックなドレスを好む王妃殿下に対し、
「その鼠色のお召し物は運河の底にたまっている泥みたいに見えてしまいますわ。王妃様、私ドレスの趣味には自信があるんです! アドバイスをして差し上げますわ!」
と、のたまったらしい。恐ろしや。
銀糸を織り込んだドレスをお召しになっていた妃殿下は、その場では苦笑されただけだったが、後で「あの若い公爵夫人とは顔を合わせたくありません」とおっしゃったらしい。ティアナの失言には国王陛下も耳を疑ったそうで、今後カルヴァート公爵が登城するときは夫人を伴わないこと、というお達しが届いたという。
「後悔しているでしょうねぇ」
ヴィンセント様は使用人同様、にやにやとしている。
「マクシミリアン閣下は兄の苦しみが分かるでしょうね」
その言葉を聞いて、ヴィンセント様は兄思いゆえにティアナを嫌っていたのだと気付いた。不安定なティアナを全身で支えようとしたあまり、エドモンド様は病気になってしまったのだから――
* * *
半年後――
「セシリア、あなたもすっかり侯爵家の仕事を覚えたようね」
「はい、お母様。ヴィンセント様も補佐してくださいますし、お母様はもっとお休みいただいて結構ですよ」
「心強いわ。それならそろそろ、あなたに侯爵位を正式に継がせたいと思うのだけれど――」
「いつそうおっしゃるかと思って待っておりました!」
私は仕事ぶりを母に認められて心の底から満足していた。十代をかけて学んできたことは無駄ではなかったのだ。
「おめでとうございます、セシリア様! あなたには女侯爵という響きがぴったりですな」
ヴィンセント様がいつものいたずらっぽい笑顔を見せる。
「ありがとう」
と私もつられて笑ってから、
「お兄様の具合もずいぶんよろしいそうですわね?」
「はい。近頃は父の仕事を手伝っていますよ」
「うちの屋敷には戻っていらっしゃらないのかしら?」
そこで私は言葉を切って、少し迷った。これを訊くべきかしら?
「――というのはつまり……」
と言葉をにごす私に母が柔和な笑みをたたえたまま言った。
「セシリア、あなたのパートナーはヴィンセント様ではないかしら?」
「え? ええ」
私はちょっと戸惑った。「いつも彼には助けていただいています。仕事の上で最高のパートナーですわ」
「では人生のパートナーとしても考えてみてはいかがでしょう?」
「…………!」
私は思わず息を止めてしまった。そう、エドモンド様が戻ってきたら私の婚約者になるのかと訊きたかったのだが――
「セシリア様、俺じゃ不足ですか?」
ちょっぴり不安そうにヴィンセント様が私を見つめる。
「そ、そんなわけありませんわ!」
本当は心の底でずっと、エドモンド様ではなくヴィンセント様が侯爵家に来て下さったら――と思っていたのだ。
「よかった」
ヴィンセント様は安堵の微笑を浮かべると、うやうやしく礼をしながらいたずらっぽい黒い瞳で見上げた。
「セシリア様、もしよろしければ一緒に人生を生きていただけませんか?」
* * *
『ヴィンセント・デッセルの独り言』
俺が初めてコルネリウス侯爵家の令嬢セシリア様をお見かけしたのは、社交パーティーの場でだった。明るい亜麻色の髪や美しいトパーズ色の瞳ももちろん魅力的だったが、それ以上に誰とでも臆せず話すお姿に憧れた。たとえ相手が自分より身分の高い相手でも、彼女は礼儀をわきまえた上で、しっかりと目を見て話していた。
伯爵家三男の俺にも同じ態度だった。彼女は勉強熱心で知識量も豊富だったが、それらはすべて将来カルヴァート公爵家に嫁ぐためだと知って、俺の淡い憧れはついえた。
成人して子爵の位につくと、兄のエドモンドはコルネリウス侯爵家に仕えるようになった。仕事熱心で手を抜くことを知らない兄は侯爵家に重宝され、ティアナ嬢との婚約が決まった。セシリア様を忘れられない俺は兄がうらやましくて、
「せめて妹のほうでも……」
なんて思っていたがこれは大間違いだった。このティアナ嬢、姉のセシリア様とはまったく異なる個性の持ち主だったのだ。
仕事だけでなく人間関係にも真正面から向き合う兄は、ティアナ嬢のわがままを全て聞き続け、結局ある日限界をむかえてしまった。
父であるデッセル伯爵の屋敷で働いていた俺に、
「エドモンドのかわりにコルネリウス侯爵家に働きに行ってくれないか」
という話が舞い込んだのはこのころだった。
「コルネリウス家では七年前に侯爵が亡くなって、侯爵夫人とエドモンド、それからセシリア嬢で領地経営を行っていた。だがエドモンドが病に伏せ、セシリア嬢も婚礼の儀が迫っている。高齢に差しかかった侯爵夫人を助けに行ってやってくれ」
それは天から降ってきた幸運だった。
憧れだったセシリア様を毎日近くで見られるのだ。それだけではない、一緒に仕事をしていればいくらでも話す機会がある。
「俺の人生にもついに運が回ってきた!」
兄が心労で倒れているというのに不謹慎にも、俺は一人でガッツポーズをしていた。
だがセシリア様はマクシミリアン公爵閣下の婚約者。こんな近くにいても、やっぱり俺には手の届かない人なのだ。
そんなある日、侯爵夫人から相談があった。
エドモンド様にティアナがさんざん迷惑をかけたことを謝罪されたあとで、侯爵夫人は声をひそめた。
「姉のセシリアをカルヴァート公爵家に嫁がせ、妹のティアナに我がコルネリウス侯爵家を継がせるというのが亡き侯爵の決めたこと。でもティアナはいくつになっても子供のままで、わたくしの不安はつのるばかりです。今だってティアナには一切、侯爵家の仕事を手伝わせていません。いくらエドモンド様が支えてくださると言っても、ティアナに女侯爵が務まるでしょうか?」
「兄も結局支えられず倒れたわけですしね」
つい、ありのままを言う俺に侯爵夫人はため息をついて、
「ティアナより十歳近く年上で、我慢強くて人間のできたエドモンド様なら深い愛であの子を支えられるかと思ったのだけど――」
「ティアナ様をカルヴァート公爵家に、セシリア様を女侯爵にって入れ替えるわけにはいかないのですか?」
俺の提案に、侯爵夫人は待ってましたとばかりにうなずいた。あ、この人最初からそのつもりだったんだ、と俺は気付いた。
「聡明なセシリアに我がコルネリウス侯爵家を継がせるべきだと、わたくしも思っていたのです」
侯爵夫人の目がぎらぎらと光っていて、セシリア様はこの人の強さを受け継いだのかな、なんて俺は考えていた。
「ですが――」
と俺は口をはさむ。
「カルヴァート公爵家にコルネリウス侯爵家から婚約の取り消しを申し上げることはできるのですか?」
侯爵夫人は静かに首を振った。
「セシリアが不治の病に倒れたとかでもない限り無理ですわね。でも嘘をついて婚約破棄したとたん全快して元気に女侯爵ってわけにも行きませんから」
「そうですね……」
俺は腕組みして考えながら、
「マクシミリアン閣下自ら、婚約破棄して下さったら良いのですが――」
「そうなのよ。幸運にもティアナは甘え上手で年上の男の人に好かれるから、マクシミリアン閣下にも気に入られていますしね」
俺と侯爵夫人は話し合って、マクシミリアン閣下に密書を送ることにした。執筆は俺と兄エドモンド様。コルネリウス侯爵家で働いていた俺たちしか知らない、セシリア嬢の裏の顔というわけだ。
だが好きな人のしてもいない悪事をでっちあげるのは、俺も胸が痛んだ。気乗りしない俺に、侯爵夫人は耳打ちした。
「もしヴィンセント様さえよろしければ、マクシミリアン閣下に婚約破棄されたあとセシリアと婚約してやって下さらないかしら?」
俺は大きくうなずいた。こうして取引は成立した。
いま思えば、俺の秘めた恋は侯爵夫人に見透かされていたのだ。
こうして、俺がひそかに想い続けたコルネリウス侯爵家の令嬢セシリア様は、今やコルネリウス家の女侯爵で――そして俺の大切な妻になったのだ!
その後、マクシミリアン閣下がどうなったかというと――
結婚から一年半が経った頃には、自分の思い通りにならないと怒り出すティアナ夫人からカルヴァート宮を追い出され、離宮にお住まいになっていた。
口さがない社交界のご婦人方の間では、
「離宮といえば聞こえはいいけれど、町はずれの小さなお屋敷なんですわよ」
「この間パーティーでマクシミリアン閣下をお見かけしましたけれど、すっかり白髪も増えてしまってまるで別人でしたわ」
などともっぱら噂の種になっている。
女性にはすっかり辟易したようで、公爵ともあろう方が第二夫人を持つこともなく使用人たちと質素な屋敷で暮らしているそうだ。
一方、セシリア侯爵の人となりは次第に正しく伝わって、美しく聡明な彼女は今も社交界の花である。しかしその隣にはいつも俺がいるのだがね。
そうそう、ティアナ夫人は夫に愛されない我が身を嘆いて「悩み相談」という体で、マクシミリアン閣下の悪口ばかり言っていたせいで、今では社交界の誰からも相手にされなくなっている。
それでも誰かに依存しなければ生きられない彼女は、どこの馬の骨とも知れない出入りの商人に夢中になっていた。身分差を乗り越えた純愛かと思いきやこの男、ティアナ夫人の高価な宝石類をごっそりと盗んで姿を消してしまったそうだ。
裏切られたティアナ夫人はショックで、今もベッドから起き上がれないという。あなたが与えた心労で病に伏せった俺の兄エドモンドの気持ちが少しは分かったかな?
ちなみに兄は普通のまともな令嬢と結ばれ、今は元気にやっております。よかったよかった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
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※第一章完結のファンタジー長編もよろしくお願いします!
『精霊王の末裔 〜先祖返りによって水竜の力がよみがえった俺は聖女になりたくない公爵令嬢と手を取りあって旅に出る〜』
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