エンターテインメント市場
『こちら、エンターテインメント市場5区で御座います。ゲートを潜るには通貨を投入口に差し込むか、デジタルコインをチャージして下さい』
中世風の商店を尻目に数時間は歩いた。古臭い街並みを抜けてすぐに土色の地面が消えて一面のコンクリートジャングルに変わる境界線があった。そこを通る。
ただしコンクリートとはいえ、ただのコンクリートじゃない。
ガラスと混ぜてある。表面にガラスを練り込んだコンクリートはそこに薄い透明な基板を差し込んであり文字が流れていた。
『残高が確認できました。入場ありがとうございました』
チラッとそこをみて舌打ちするノーネーム。このデジタル標識はこれから奴等が人場者を監視下に招き入れるサインでもある。
『レスターカントリーエンターテインメント市場5区。ここより先はアセスメントクエストの全自動制御区域になります。規定違反や非合法活動は自動検知し罰金または禁錮以上の刑に処されます。くれぐれもお気をつけくださいませ』
女性の音声ガイダンスもヒヤリとした事を言っている。
「全自動……ねえ。勝手に裁いてくれるってか?」
『皆様の快適なエンターテインメントの為に御助力ありがとうございます』
エンターテインメント市場は国の大部分を占める娯楽エリアだ。この国固有のものではなく、世界中に広がっている。
市場区画ではカジノ等の公営ギャンブルから、スポーツ、ゲーム、映画、フルダイブ、参加型エンターテインメントの他ライフラインなど多岐に渡る。
「こいつだっけか」
入場と同時に手のひらに端末があった。
個々人に自動で割り振られるこいつは、世界中どこにいても端末がなくても、言葉をキーにして起動するソーシャル端末だ。
言葉でも弄れるし、起動さえすれば指の動きだけでも操作可能だ。設定をすれば個々人で起動シーケンスも自由にできる。
「よっと。アバターNo.5の姿にしてくれ」
アバターはこの空間でだけ通じる偽の自分みたいなものだ。変装みたいなものだが、この市場区画においてはこの変装した姿しか見えなくなる。
声と同時にノーネームの耳元でかしこまりました、と囁き声。ノーネームの姿が青年の姿に変わった。完全に別人である。
この手のコマンドにラグはない。無線通信系は近年で飛躍的に向上し、今やアンドロイドは充電無しで常時フル稼働している事にも由来する。
街の外観はごちゃついている。最終戦争が起こる前の昔で言うなら今のメジャーな街並みは未来と現代と中世が混ざったが正しい。
先進的というよりか歪な建物が軒を連ね、さも空中に浮かぶジャングルジムのような不思議ななりをしている。
レスター国は都市部よりの国だ。都市圏は大体こうである。奴等の趣味らしい。
とりあえずはと、手前のビルに入る。金はついさっき振り込まれていた。ノーネームは貯蓄するような性格ではない為、その日暮らしみたいな生活をしている。
大通りは人が行き交う交差点だったが一度ビルに入ると、図書館のような静けさに包まれる。
コーヒーショップだ。棚に書物が積まれている。
ノーネームは店員にアイスコーヒーを注文した。待っている間に手前の店員が人間なのかアンドロイドなのか、注視したが違いはわからない。
戦闘系アンドロイドでもない限り人間とアンドロイドに見かけ上のさしたる違いはない。服の下を見ればさすがに気付くが──店員がカップを落としていた。
「──すいません失礼しました。ただいまお作り直し致します。しばらくお待ちを」
「ああ。すまねーな。大丈夫か?」
「はい。申し訳ございません」
恐らく本物の人間の店員だと普通は思うが、これでもわからない。自然動作性が組み込まれたアンドロイドならこの手のミスの演出もお手のものだ。
程なくコーヒーとサンドイッチの置かれたトレイを持って二階の席に着いた。
獣人と人間と人間に扮したアンドロイドと、奴等が織りなす店内の空気を適当に眺める。
コーヒーの出す苦味と匂いに思考をぼんやりさせる。
「さて、今日はどこに泊まるかねえ」
あの少女の事を薄っすら思いだした。あれがもし貴族なら逃がした魚は大きい。そう思っていた。