表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集・散文集

あんドーナツ

作者: Berthe

 ひとり暮らしの住まいでは味わえない迫力の大画面で楽しんでいた大相撲中継がいよいよ佳境に入ったところで、休日の習慣ではあるものの、朝からなにひとつ口にしていないせいだろう、口内に急に物欲しさをおぼえて、とはいってもいくら最近までお世話になっていた実家とはいえ一度門を抜けると冷蔵庫ひとつ漁るにしてもどこか気がひけるし、だけどなにか食べたいしと逡巡するうち、力士が時間前の塩を撒きおえ、軍配を返した行司のもと立合った。はっきよいの掛け声のうちにぶつかり合ったふたりは、片方がこの一番に十勝つまり二桁勝利のかかった前頭二枚目で、対するはこの一番に勝ち越しのかかる小結で、番付をそのまま信じればもちろん小結が優勢だけれども、今場所の調子をみれば前頭二枚目にもとうぜん期待してしまうというものだったが、始まってしまえば小結が立合いの勢いのまま一気に押し切ってしまった。といってべつにそれに一喜一憂するでもなく思いは俄然食べ物へ移ると、もたれているソファーまえのテーブルの籠にお菓子があったのを、さっきまでは意識の隅にもなかったのにどうしても確かめたくなって手を伸ばすそばから届かないのに気がつく。立ちあがりカーペットに腰をおろして、まずは視認しようと目を凝らすともなく凝らすと、小さな煎餅とチョコレートがそれぞれ数個あるそのかたわらにひときわ目を惹くドーナツめいたものがあって、解説者の時間いっぱいですとの声を言い訳にいちどテレビへ視線を戻して取組をながめるうちにも、口内は正直な反応をしめしてくる。行司が関脇に軍配を上げたその余韻に浸るまもなく、右手をのばして透明な袋に包まれたお菓子をとると、奇妙なことにドーナツをしめす指標がない。いや、ドーナツは真ん中が「ない」ことによってドーナツで「ある」ことを示しているのだけれど、手にしたドーナツもどきにはその真ん中の空洞がなかった。寸分のすきまもない。ドーナツの穴を覗く習慣など持ち合わせてないけれど、戯れと知りつつ瞬間それを試みたくなった気持ちをわずかに抑えてこれは何だろうとひっくり返すと、裏面にも文字はひと言も書かれていない。食べてみるしかないと思いながらも、ふわりと予想はついている。あんドーナツ。自分で買ってまでは食べないけれど、それより粒あんか白あんか、そっちが気になって、できれば白あんであってほしい。どちらにしても食べるけれど。袋をあけてひと口かじると、粒あん。おいしい。餡子ってこんなに美味しかったっけ。今もそうかもしれないけれど、子供のころは絶対自分から選ぶことのなかった粒あん。和菓子はどれだってそうだけど。でもたぶん物心つくまえから好きだったドーナツと、その頃は口にもしたくなかった餡子がおなじひとつのお菓子になっているのは変な感じがする。残りをひと口で頬張ると、籠へ手をのばしてもうひとつ口に放り込むうち目の前に小さな手のひらがあらわれた。ちょうだい、と三歳の甥にいわれて、自分の姉にあたるこの子の母親に断りもなしに渡していいわけもないし、お母さんに聞いてみて、と諭しながらも姉はこの子を自分にたのんでちょっとコンビニにでているのを思い出して、あのときはぼんやり頷いてしまったけれど、親も出払っているのだからせめてこんなときの対処法を聞いておくんだったと後悔しながらまた同じように、お母さんが来てからね、と言っても小さな男の子は、ちょうだい、を繰り返す。ちょっと困ったことになったと思いながら戯れに食べ終えたまま持っていた袋を小さな手にのせると、彼はそれを握って身をひるがえし駆け出すので、あぶないよ、と言おうと思った言葉が声にならないうちに台所へふいに消え去り、何か音がするのを不審に思うまもなくこちらへバタバタ駆けてきて、ちょうだい。その手へテーブルで口をひらいていた最初の包みをのせて、つかむうちに駆け出すそのあとを間をあけながら追って台所に入ると、彼はじぶんの身長とさして変わらない箱のまえにたたずんでいた。あたりを静寂が包んでいる。それを破るように足もとのアクセルを踏み込んだ。すると小型のボンネットが彼の目の前で勢いよくひらき、年少のドライバーはアクセルへさらに体重をかけながら一瞬なかを覗き込んだかと思うと、包みを投げ入れ、すっと右足を離した。離せば自然とブレーキがかかるはずもなく、ばたんとボンネットが閉まるのが楽しくて仕方ないのだろう、繰り返しているのを、邪魔するのもいけない気がしてそのまま声もかけずに居間へもどりソファーに腰をおろすと、足を高くあげる力士の巨体とお菓子の籠がいちどきに視界に入ってきて、このひとたちもこの図体で可愛くドーナツやチョコレートをかじってるんだろうか。もしかして片手で器用に包みを開けながら、もうひとつの手でお菓子を頬張ってるんだろうか、まさかねとつぶやきながらも、目の前の押し合いが粒あんと白あんの取っ組み合いに見えだすうち優勝をしめす軍配がなびき、歓声のなかにひときわ甲高い響きを聞きつけ台所へ急ごうとしたとたん、彼が台所をでてにこにこ走り寄ってきたかと思うとこちらは無視して、お菓子の籠からチョコレートを選びだす。年長者の静止もおかまいなしに包みを破ると、いくぶんビターに光るそれを頬張った。

読んでいただきありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 相撲とあんドーナツと子供さんのアンサンブルに、三時の休憩をしながら、あるあると思いつつ、そうだ、ぼくは、あんこがめっちゃ好きやったと、うーん、今は白餡、以前はこし餡、一時ウグイス餡のずんだ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ