キョウさん
僕がヤマダ君の繋がりで出会った人の中で、断トツでヤバい人はキョウさんだろう。
もちろん、全員ヤバい人なんだけれど、キョウさんはヤバさの次元が違う。
キョウさんと出会ったのは、ヤマダ君と出会った頃とほぼ同時期だった気がする。
だが、実際に会話を交わすようになったのは、大分後になってからだ。
下宿内や、他の知人の用事などで、キョウさんをみかける事は度々あったが、ヤマダ君はなかなか彼を紹介してくれなかった。
友達の友達は友達的な感覚――と言ってもヤマダ君自身は、友達なんていないと言ってはいるが――のヤマダ君には、かなり珍しいことだ。
「あー……あの人には関わらない方がいいよ」
ヤマダ君が他人の事をそんな風に言うことも、また珍しい事だったけれど、キョウさんを知ってからは、なるほどと思う。
キョウさんは見た目からして、危険な香りがした。 見た目――と言うか、雰囲気というか。上手く説明は出来ないけれど、とにかく怖い。
気持ち角張った輪郭、涼しい目元、薄い唇、りりしい眉。鼻筋がすっと通っていて、凹凸は少ないのに顔立ちははっきりとしていた。背も高く、服の上からでもわかる無駄などいっさいないだろう締まった体躯。いわゆるイケメンというやつだろう。
やや日本人離れしていると思ったら、案の定、親は半島出身だと言っていた。
だが、彼を知った後では、それも本当か嘘かはわからない。
僕は、なにも単なるイケメンや外国人へのコンプレックスから、キョウさんを怖いと言っているわけではない。いや、その時点で確かに怖いは怖いけど……
なんと言うか、キョウさんは目が笑っている。
よく、目が笑っていないと言う表現を耳にするが、それの逆だ。どんな時でも、キョウさんは笑っているのだ。
笑顔の時はもちろん、真剣な場面でも、緊迫した状況でも――口元こそ笑っていなくても、目だけは常に笑っている。 笑顔は動物界で言う威嚇だと聞いたことがある。まさに、そんな感じだ。
キョウさんは世の中の全てを馬鹿にするのと同時に、敵だと思っているのではないのだろうかとも思う。
そして、ヤマダ君にも似通った処があるように僕には思える。
でも、ヤマダ君には、まだ人間らしさがある。キョウさんがずっと昔に越えたであろう一線をヤマダ君は越えていないのだろう……と、思うのは考えすぎだろうか。
前置きが長くなってしまったけれど、キョウさんと初めてまともに話したのは、僕が大学三回生の冬だった。 その日はバイトを終えて、午後八時頃に下宿に辿り着いた。
ヤマダ君は仕事のようなもの。他の住人もなにかと理由があって、その日、下宿内には僕しか居ないことはわかっていた。
別に珍しい事ではないのだけれど、冬の寒さのせいか、僕は心細さを感じていた。 足先からどんどん体温を奪っていく冷たい廊下を渡り、部屋の前まで来た時、僕は異変に気づいた。
室内に誰か居る。 しかも、その相手はそれを隠そうとする気など毛頭ないらしい。 立て付けが悪くなったドアの隙間からは光が漏れていて、物音だけではなく、鼻歌まで聞こえてきた。
そして、肉や野菜を炒めたような香ばしい匂い。 匂いについては、下宿に入った時には気付いていたが、てっきり隣家から香ってくる物だと思いこんでいた。それがまた旨そうで。 むしろ、腹減ったー……いいなぁ……くらいの気持ちだったのだけれど、それが今は余計に気持ち悪い。
大学三回生。ヤマダ君とその仲間たちとの付き合いが四年目に突入すれば、自室に勝手に上がり込まれる事にも慣れていた。 ましてや、こんなボロアパートに盗みに入る人など居るわけもないし、知人の可能性が高いことはわかっている。
だが、僕は不安だった。
鼻歌からして、相手は男。それ以上の特定は困難で、男と言うだけではまだ、候補が多すぎて絞れない。
少なくとも、僕の嫌いな――多分、向こうも僕が嫌いだと思う――奴ではないとしても、ちょっと苦手だと感じる人々の顔が次々と浮かぶ。
マシだと思える人や、数少ない好きな人も思い浮かべたが、それはないだろう。
僕の部屋に勝手に上がり込む傍若無人な方々は大抵、苦手な部類の人なのだし、ましてや勝手に料理まで……
しかし、僕の不安はそれだけではない。これも、また、説明しがたい感情なのだけれど、簡単に表現するなら動物的直感。 不思議とヤマダ君でない事は、香りが鼻先を掠めた瞬間からわかっていた。
むしろ、室内から漂ってくる、この旨そうな香りこそが不安の根元なのだと思う。 どこか懐かしいような、でも、知らない香り。知らない人がつくった料理の香り。
それが、ここにいては危険だと、脳の片隅にある危機探知機の周りを漂っているようだった。
「いつまでそんなとこ突っ立ってる?早く入れば?」
ドアが開くのと台詞はほぼ同時だった。 僕の直感は当たったのだろう。
待っていたのはキョウさんだった。




