夕陽荘
ここらで、僕たちが住んでいた、夕陽荘について少し触れてみたい。
夕陽荘は古風な名前に見合った、木造二階建ての古風な外見の建物である。一言で表すのなら『THE昭和』
外壁はささくれだらけの板張りだし、屋根も後から取ってつけたのが丸わかりのコロニアル屋根で、更に取ってつけたのがかなり前だと強調するかの如く、元々赤かったであろう塗装はこすけ、所々、禿げている。裏手には、これまた法改正かなんかの時に慌てて取ってつけたのが丸わかりの非常階段と非常口があり、こちらも本当に非常時に機能するか不安になるくらいに錆だらけだった。
専門外なので詳しくはわからないが、賃貸物件として貸し出しているのだから、一応耐震基準なんかはクリアーしているのだろうけれど、とてもそうは見えない。大地震なんか来た日には、真っ先に倒壊。もし、倒壊は免れたとしても、よく燃えるだろう事間違いなしと言った感じだ。
その古臭い見た目のせいか、ごく稀に廃墟と勘違いし、肝試しなどの目的でチミっ子やら酔いの回った若者が侵入を試みようとする。それを面白半分に撃退したために、逆にお客さんが増えてしまった話は、また機会があればさせて頂きたい。
『夕陽』と言う名称も、賃貸物件としては、やや魅力に欠ける名前だが、これはなんてことは無い。以前は夕陽荘の東側に『朝陽荘』という同型の建物があり、それと対になってたらしい。因みに『朝陽荘』は数十年前に入居者の火の不始末により全焼しており、今は土地ごと人手にわたって日本家屋風の立派な庭付き一軒家が建っている。
今時、トイレ、風呂、玄関共同、四畳半1Kーーと言ってもキッチンとは名ばかりの狭い流しと電熱線コンロが一台あるだけーーだなんて、いくら安くても見取り図の時点で除外されるだろう。
もし、それでも家賃に惹かれて内覧まで漕ぎ着けた者がいても、建物の前に立つなりギブアップしてしまうと言うことが多かったようだ。
僕も初めて夕陽荘の前に立った時には、入ることを躊躇ってしまった。
しかし、予想外の一浪をすることとなり予備校費用や自動車教習所の費用などを考えると、事故物件だろうとなんだろうと、その近辺で一番安価な物件という点しか、僕に選択肢はなかった。
因みに家賃は当時で、駐輪場と管理費込みの二万二千円。周囲の1Kの相場からすれば三分の一程度だ。事故物件の方がまだ高いと、担当者が口を滑らせていたのが強く印象に残っている。
とはいえ、住めば都で、僕は予備校一年、大学四年、フリーター一年と、なんやかんやで六年間もこの夕陽荘にお世話になった。
一応、共同玄関や下駄箱、冬の寒さ堪える板張り廊下、鶯張りかと突っ込みたくなるくらい軋む階段は古いままだけれど、何故かトイレと風呂は当時の最新式のものにリフォームされていたり、僕らの家賃収入では到底買えるはずもないコインランドリーばりの洗濯乾燥機があったりと、新しいと古いがチグハグな部分も多かった。
元々、地方学生のための下宿として建てられていたために、かなり広い食堂もついており、食事付きでなくなった後は殆ど使われることもないのに、台所も割と新しめの設備が整っていた。
入居者は自由に使用していいのだが、六年間の内に僕が進んで使用したことは一度も無い。
ただ、誰かが調理をする際には、夕陽荘に居合わせた人間はなんとなく食堂に集合して食卓を共にする事は割とあった気がする。
約束をしているわけでもないのに、作る側もそれを見越して食材を大量に仕入れているのだから、変な話なのだけれど、僕はその暗黙のルールみたいなものを酷く気に入っていた。
今でも時折思い出しては、郷愁に似た切なさを覚える。
そう。夕陽荘はもうない。
どうしてないのか、それは、僕の気持ちが固まった時に話そうと思う。今はまだ……
話を戻そう。夕陽荘の部屋数は全部で七部屋。一階に三部屋。二階に四部屋。少なくとも僕が住んでいた六年間は二部屋はずっと空室だった。
これだけ家賃が安いのだから、僕のようにのっぴきならない事情の持ち主がやって来そうなものだけれど、今思えば、大家から仲介業者に向けて、入居者の選定には何かしらの条件を出していたのかも知れない。週に二度程度、清掃に訪れるおじいさんが大家さんかと長らく思っていたけど、違ったと知った時には驚いた。
因みに、僕が一階の玄関から一番遠い角部屋で、隣室がヤマダ君。玄関から一番近い部屋もヤマダ君が物置兼書斎のような感じで利用していた。
残りの二人は二階の住人だった。
思い出に浸るあまり、かなり前置きが長くなってしまったが、今回はこの二人について話そうと思う。
一人目は玄関を入って目前にある大階段を登ったすぐ左の部屋に住む金田 文史さん。通称カナブンさん。男性だ。
近隣の大学で研究員をやっていた。年齢は僕が入居当時二十代半ばだったはず。190cmはある長身に、広い肩幅と筋肉質な体つき。髪の毛もいつも短く刈り上げていて、男らしい顎に鋭い目つきと、一見すると名のある格闘家のようなのだが、研究しているのは小さな虫だそうだ。しかし、所属する研究チームが開発しているのは医療機器関連と言うから、僕にはなんの事かさっぱりわからない。
かなり寡黙な人で、見た目がそれなので最初は取っ付きにくかったけれど、いつの頃からか、彼が研究に行き詰まった時の気分転換として将棋やらオセロ、時にはパズルなんかに誘われて、二つ返事で付き合う間柄となっていた。周囲に饒舌な人が多かったからか、彼との時間は僕にもいい気分転換となっていた。
二人目は大橋 竜子さん。通称キサキさん。
本名からなんの脈絡もないニックネームだけれど、これは彼女のハンドルネームだからしい。本人は隠していたようだが、どうやって調べあげたのか、ヤマダ君がそう呼んでいたので、僕も自然とそう呼ぶようになった。
普通のOLさんで、どちらかと言うと地味なタイプの女性だった。
当時の女性には珍しく、髪の毛を染めたりもせず、おかっぱと言えなくもないボブカットで、厚いレンズのメガネをしていた。化粧っ気もなく、いつも着ているスーツもどこか安っぽいくたびれた感じのものだった。
顔立ちに特に目立ったパーツもなく、太ってもいないし痩せてもいない。背も平均的でーー僕には言われたくないだろうがーー最も印象に残りにくいタイプだろう。
これは、酔っ払った勢いで、暴露していたのだが、彼女はとあるアイドルーー声優だったかも……の追っかけをやっていて、その他にも、よくはわからないが、イベントとやらでコスプレなんかをしたり本を出したりしているらしい。収入の多くを趣味に費やしたいがために家賃の格安な夕陽荘に住んでいるのだそうだ。
何度かイベントに向かう日の彼女を見かけた事があるが、どう見ても別人にしか思えないくらいバッチリと化粧をして、服装も派手で露出の多いものだった。
しかし、決して下品ではなく、見惚れるほど美しかったのを覚えている。
キャリーケースを転がしながら慌ただしく夕陽荘を出ていく彼女の横顔は、今でも鮮明に思い出される。
彼女とはたまに酒を酌み交わした。いやーー彼女がくだを巻いたり、よくわからない単語を並べて力説するのを僕は黙って聞いていたと言った方が正しいだろう。
女性として意識した事があったかないか忘れてしまったけれど、彼女は僕にとって姉のような存在だったのかも知れない。
確か、年齢は今で言うアラサーだった気がする。
研究室での泊まり込みだったり、イベントだかライブだかの遠征なんかで、二人共留守がちだったけれど、年に数度は入居者全員が揃うこともあった。
次に話すのは、そんな夜のお話。




