カスガさん
カスガさんと出会ったのは、僕が予備校生だった時の夏だった。
僕が親から浪人生であることを許されたのは一年間だけだった。
と言うか、母は僕のケツを叩くつもりでそう言っただけで、むしろ、例え失敗しても結局は許してくれるのだろうと思う。なので、僕自身が、それを許さないと決めていたと言った方が正しい。
結果、一年間の努力が実り、志望校に合格することが出来たのだから良かったけれど……
万が一、次も失敗した場合、即就職活動に入らなくてはならない。その時に、なんの資格もないと不利だからと、親父のいつもの思いつきで、僕は貴重な日曜日を返上してまで自動車学校に通わされていた。
自分でもそれなりの危機感を持っていたせいか、鈍臭い僕がなんと実技、筆記ともに一発合格。
思ったよりも早く免許が取れたと、浮かれつつも、体力的にはヘトヘトになりながら下宿に戻ってきたら、部屋に入る間際、隣室のヤマダ君に声をかけられた。
「おかえり。そして、おめでとう」
何故、知っているのだろう。と僕は思った。
この頃は、あまりヤマダ君と親しくなかった。やけに馴れ馴れしい隣人だと、内心煙たく感じていたくらいだ。
そりゃ、自分が浪人生であることや、自校に通っていることなど軽く話したことはあるけれど、試験日などの詳細は語ったことはない。
あまりの驚きに、僕はドアノブを握ったまま口を閉じるのも忘れて、ヤマダ君を見つめた。
「その様子だと、当たりだな」
ヤマダ君はニヤリと笑う。
「気付いてないのか?お前、ものすごく感情が顔に出やすいタイプだぞ」
僕は赤面した。つまりこう言うところが、顔に出やすいという事なのだろう。
ヤマダ君が免許を見せてくれと言うので、僕は取り立ての免許証を財布から抜き差し出した。
受け取ると、ヤマダ君は、まじまじと眺めてから特に僕の死人顔写真にはコメントするでもなく、満足そうに頷く。
「よし、いいな。じゃあ行こうか?」
「行くってどこに?」
返却された免許証を受け取りながら、僕は首を傾げた。しかし、ヤマダ君は答えない。
そもそも、「行こうか?」はもしかすると僕にではなく室内にいた人物に対して投げかけた言葉なのかも知れなかった。いつもなら、僕に有無を言わせない勢いで「行くぞ!」と言うし。
「しかし、そいつが今日免許取ってくるなんて、よくわかったな?」
聞き覚えのない声がヤマダ君の部屋から聞こえた。中性的でやけに色っぽい声だ。
続けて、ヤマダ君の部屋からひょっこりと顔を出したのは、声に似合った中性的な人だった。
シャープな輪郭とやや釣り上がり気味な切れ長の二重に明るめのショートボブがよく似合う。ヤマダ君も大概長身だが、その人も負けず劣らずの長身で、全身黒ずくめなのにも関わらず、ちっとも野暮ったく感じない程のスタイルを持ち合わせていた。
自他ともに認めるちんちくりんの僕としては、この二人を前にするだけで死んでしまいたい衝動にかられる……
「ん?このチビがそうなの?」
向き合うなり、出来たばかりの傷口を抉ってくるあたりヤマダ君と同類の香りがする。
「お前、口悪すぎ。突然、本当のこと言う奴があるか」
フォローしたつもりか、それとも更なる追い打ちを掛けたのか……多分、後者だ。
今なら確信を持って言えるけど、ヤマダ君は僕が打ちのめされている様も楽しいらしい。
「こいつが電話でも言った面白そうな隣人だ」
ショックで動けない僕の代わりに、紹介を済ませてくれた。
「んで、彼女がカスガ」
彼女と言われて、ちょっと驚く。中性的だとは思ったが、身長の高さから勝手に男かと思っていた。
自然と、胸元に目線が行った。
なるほど、かなり小振りではあるが膨らみがある。
「てめぇ、どこ見てんだよ」
カスガさんが、僕のペラペラな胸板を拳で突いてきた。軽く押したつもりだろうが、貧弱な僕はよろめく。
弾みで、ヤマダ君とカスガさんのツーショットが視界にいい感じに収まって、ケータイもない電話も引いてないヤマダ君が、わざわざ連絡を取り合う彼女とは、一体どう言う関係なのだろうという疑問が頭を過った。
きっと、その疑問も顔に出ていたのだろう。
「俺の大切な人だよ」
ヤマダ君はニヤニヤしながら僕を見下ろしてきた。
「はっ!?変な事言ってんじゃねぇ!」
すかさずカスガさんがヤマダ君の肩を叩く。
かなり豪快な音がしたけれど、ヤマダ君は涼しい顔をしていた。
それとは反対に、カスガさんはひどく赤面していた。
なんとなく、お似合いだなと思った。




