21 佐和山の月
早朝、伏見を出立して、その日は草津。次の日は武佐の宿に泊まった。今日は、いよいよ佐和山のお城。
草津でも武佐でも、夜、その宿で、ふたりだけで同じ部屋に泊まった。
ふたりだけで、徒歩にて伏見から佐和山まで行く。
三成からそう聞かされたお香は、治部様にお抱きいただけるのだろうか。当然、そう思った。
が、草津でも武佐の宿でも、治部様は、何もなされようとしない。
私に魅力を感じられないのだろうか、とも思ったが、そんなはずはない。
治部様は、お香のことが好きだとはっきりとおっしゃったのだから。
お香は生娘ではないが、それほど多くの経験があるわけではない。が、その乏しい経験であっても、男は女の体に、その欲望を撒き散らし、その欲望のままに様々なことを求めた。
男とは皆このようなもの、お香はそう思っていた。
だが治部様は違う。
変わった方、とお香は思う。
本当に、変わった方。
哀しいくらいに。
佐和山に着いた。
佐和山城は美しいお城だった。
お香がそう言うと、三成は、そうであろう。そうであろうと、とても喜んだ。このお城を三成がどれほど愛しているかが、お香にはよく分かった。
城は間近に迫った。
佐和山城下ではともに笠をかぶり、顔が見えないようにした。
が、これからどうやって誰にも知られることなく、天守に登るのであろう。
「お香どの、こちらじゃ」
三成がお香を指し招いた。
その当たり一体に生えている草をかき分けたら、大きな板の蓋が出てきた。
「もし、敵が城に攻め寄せ、あぶないとなったら、天守に作られた秘密の逃げ口がここに繋がっておるのじゃよ。このこと知っておるのは、儂以外には数人の家臣だけなのじゃ」
そんな秘密を治部様は、お香に教えてくださるのか、それほどに信用してくださっているのか。
狭くて暗い道を、三成とふたり。お香には怖くて楽しかった。
ようやく、逃げ口の天守側のほうにたどり着いた。三成が、そこの蓋となっている、板扉を開けた。お香は、天守の上層部をなす部屋に入った。
お香は息をのんだ。
眼下に広がる琵琶の湖。その湖の彼方に広がるのは、比良の山並み。
なんという美しさであろう。
夜、その日は満月。月の光が暗い湖面を照らす。
湖のさざ波。それを照らす月の光がゆれる。
隣で治部様が同じ景色を眺めている。
「治部様」
「うむ」
「お香は、重家様の妻になりまする」
「そうか」
「お香は、重家様に尽くします。重家様を愛し、重家様に愛されます。懸命に務めまする」
「そうか、そうか」
「そして治部様に、ようできた嫁じゃと、褒めてもらいまする。お香、お香と可愛がっていただきまする」
「うん、うん」
「治部様、月が」
お香はさらに何か言おうとした。だが、もう何も言えなかった。
三成も何も言わない。
ふたりは、静かに眼下に広がる景色を、空に浮かぶ月を見続けた。
その年の暮れ近く。
お香が、明年、歌舞美奉行、石田治部少輔三成の嫡男、重家に嫁ぐことが発表された。
石田家は、正室としてこれを迎えるということも合わせて発表された。
その日、お香の伏見十六舞踊場における最後の舞が舞われることになった。
太閤秀吉、関白秀次をはじめとする、この日の本の有力者たちが、その日の席を占めた。
むろん、翌年から義父となる三成も、夫となる重家も席に着いた。
その日舞われたのは、
「佐和山の月」
詞も、その舞の振り付けも、お香自らが成したということが、事前に告げられていた。
お香が、歌い始めた。舞う。
その詞には、伏見から佐和山までの実景が織り込まれていた。
聞く人は、これから佐和山に嫁に行くことになるお香が、その風景を想像しながら詞を作ったのだと思った。
だが、三成には分かった。
お香はあの時の旅路を、そのままに詞にしているのだ。
お香はあの旅を、かくも心をこめて、そのひととき、ひとときをいとおしんでおったのか。
石田治部少輔三成の眼から涙が溢れた。
あなたとふたり
眺める湖の
さやけき光り
たゆたう水面
あなたとふたり
空を仰げば
雲間に浮かぶ
佐和山の月
その舞いは天女の舞と称されたお香の舞の中でも、生涯最高の舞であったと、そのとき見たものは皆、そう語り草にした。
お香が「佐和山の月」を舞ったのは、このとき、ただ一度のみであった。
そして、この「佐和山の月」は、お香のその人生における最後の舞でもあった。
お香は、この日を限りにもう二度と舞わなかったのである。
石田重家の恋 完




