19 お香の願い
お香が、石田治部少輔の屋敷に招かれた、その日になった。
朝、お香は、念入りに化粧した。
いや、念入りに、という言い方は当を得ていない。
お香は、公演の際に施すような派手な化粧はせず、清楚に品よくとそのことを心がけた化粧をした。
着物も娘らしい華やぎをもちつつも決して派手すぎない、やはり品よく見えるものをと考えたものを選んだ。
石田家からの迎えの駕籠に乗り、お香は、石田屋敷に到着した。通された部屋には、
石田治部と重家、そして三成の正室うたが待っていた。
お香にもその女性がご正室様であられよう、ということは察しがついた。
お優しそうで、そしてお綺麗な方。
お香は、そう思った、胸が痛んだ。
三成は、普通の町娘の正装といった風の着物を着たお香を見て、おや、お香は、これほどに豊かな胸をした娘だったのか、
と思った。
そう、お香は公演の際は必ず二寸の観音像を胸に忍ばせている。踊りによってずれたり、落ちたりしないよう、胸をきつくきつく晒しで締め付けているので、必然的に胸は押さえつけられる。
が、公演以外のときは、観音像は、守り袋に入れ、晒しは外す。
着物という、胸の膨らみは目立ちにくい衣装であっても、はっきりわかるほどに、お香は、豊かな胸をしていた。
現代であれば、だいたいの男はよろこぶであろうが、この時代、胸の豊かさがどうこう言われるような世情はなかったので(多分)、三成は、単に事実として、お香どのは、豊かな胸をした娘だったのだな、と思っただけであった。
招いていただいたこと、その招きに応じてくれたことに対する挨拶の言葉が交わされ、しばしの歓談のあと、お香は、重家に踊りを伝授した。重家は懸命に動かす。
が、重家は、その踊りを既に熟知していた。その踊りも素人離れしていた。
三成様となんという違い。本当に血の繋がった親子であられるのだろうか。
お香は、不思議に思った。
その場は笑いに包まれた。が、お香は心からは楽しめない。このあとの大事を思って。
しばらくの時が経過した。
頃合いは今だ。お香はそう思った。胸が高鳴る
「治部様、実は本日、私は阿国様から言付かってまいりましたことがございます。治部様にお伝えせよ、と」
「ほう、何かな。阿国どのから何ぞ手紙でも預かられたか」
「いえ、書き物にすることはばかられるので、必ず治部様おひとりに、直接お伝えせよ。とのことでございます。奥方様、若君様の御前で、誠に失礼かとは存じますが」
「そうか、いや分かった。うた。重家。しばし座を外す。お香どの、では茶室に案内しよう」
茶室に入った。狭い。このような場所で、治部様とふたりきり。ああやっと、このような場が持てた。
「では聞こうか。阿国どのからの伝言を」
「治部様、申し訳ございません。先ほどの言は、三成様とふたりきりになりたいがための、このお香のたばかりでございます」
「なに、嘘であったと。なにゆえそのような」
もう一気に言ってしまおう。
「治部様、お香は、治部様をお慕いもうしております、そのこと治部様に申し上げたく」
「な、なに、なんと、お香どのがこの三成を」
「はい、さようでございます」
お香は、三成に言った。
干し柿の一件で、治部様のお優しさにふれて以来、治部様のことを一途にお慕い申し上げていると。
「さようか、まさかお香どのが、この儂をそのように思うてくださったとは。夢にも思わなんだ。して、お香どのは、この儂にどうせよと」
分からないのか、この唐変木。
「お香は、一生、治部様のお側にお仕えしとう存じます」
女中としてずっと使ってくれ、と言っている訳ではないわよ。
「一生側にと、それは、おお、この治部の妻に、ということか」
そうだよ。
「はい、私のような身分卑しきものが、大それたことをを申し上げていることは、重々承知しております。」
「では、躍りはどうされるのじゃ、お香どのは、この日の本一の踊りの名手。それをこの三成のためにやめると申されるのか」
そうです。日の本一の踊りの名手が、日の本一踊りの下手な方に嫁ぎたいと言っているのです。
「はい、治部様のお側にお置きいただけるのなら、このお香、すべてを捨てる所存でございます」
「さようか」
三成は、黙った。
で、どうなの。早く結論を言って。いや、やっぱり恐い。
「宴席で、しばしばお香どのの隣で踊らせていただいたが、儂はお香どのの横に行くと緊張してしまって、何が何やら分からなくなってしまうのじゃ。何故そうなってしまうのか自分でもよう分からんかった」
私も分からない。せいいっばい優しく教えて差し上げたつもり。
「お香どのの躍りは凄い。儂は聖なるものを見るような思いで、お香どのの踊りを見ておった。それが、あの干し柿の時のお香どのは、なんとも可憐で可愛かった。儂はお香どのは、こんな表情をするおなごじゃったのかとびっくりしもうした。」
私を勝手に祭り上げないで。私はとても可愛い女の子なのですって。
「お香どのの側に行くと、なぜ訳がわからなくなるのか、分かった気がする。お香どのは、先ほど、干し柿の一件がきっかけで儂のことを好いてくれるようになったと言われたが、儂もどうやら同じだったらしい。それが、お香どのの横に行くと緊張してしまう理由のようじゃ」
え、何ですって。それじゃあ。
「お香どのに、あのように言うてもろうて儂が何も言わんのは卑怯じゃと思う。儂もお香どののことが好きじゃ」
両思いだ。やった。嬉しい。側室だ。側室だ。
石田治部少輔三成の側室、お香の方でございます。かっこいい。
「じゃがな。お香どの。儂は、お香どのをめとる訳にはいかんのじゃ」
え。
三成は、お香に話した。嫡男、重家との約束を。そして、その約束は、あの干し柿の一件があった日より前になされたことも話した。
「そういうわけなのじゃ。息子が嫁にと願っているおなごをその父がめとるなどと。儂は、玄宗のようなことはできぬ」
げんそう? 何それ。今の話の流れなら、おおかた息子の恋人か妻を奪っちゃった父親のことなのだろうけど。関係ないでしょう。
若様が私のことが好き、そんなことはずいぶん前から分かっていたわよ。でもまだ十三歳でしょう。
そんなの年上の人に憧れる、誰でも経験することじゃないの。
若様には、同い年か、少し年下の可愛くて、身分の高いどこかのお姫様を、お前の嫁じゃと言ってあてがっておけば、私のことなんて直ぐに忘れるわよ。
「お香どの、であるからして、儂ではなく、重家の嫁になってくださらんか」
こいつは阿呆だ。阿呆、阿呆、三成。
「嫌でございます。お慕いする治部様の、その若君様と添えなどと、あまりに酷いお言葉」
お香は泣き崩れた。




