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12 歌舞美奉行 石田三成

 北条氏が滅んだ小田原征伐を最後に、日の本から戦火は絶えた。

 長かった戦国の世は終わり、太平の世となって四年。


 日の本にいくさの火種はなく、太平の世がいつまでも続くであろうと、人びとは確信していた。


 太閤秀吉は、耶蘇の教えの禁令も解いた。

例えこの国で耶蘇の教えが広まっていったとしても、この太平の世が乱れることはない。


 秀吉はそう信じることができるようになった。


 有能な民政官である石田治部少輔三成。

そして太平の世においてさらに若い民政官が次々に育ってきている、と三成は思った。


 今、この日の本が進めているのは「明るく楽しい世界征服」の大事業。


 三成は通常の民政については他の者に委ね、これからの人生は、この大事業に携わりたいと思った。


 具体的には、その事業の中での大きな柱である技競べ。

嫡男、重家とともにおのれが考案した棒鞠の普及。


 新たに考案された技競べの中では、真田信繁が考えた広場蹴鞠が、その決まりの単純さもあって人々の間での人気が高い。


 直江兼続が考案した鎧鞠も広まっていっている。


 棒鞠は出遅れていた。


 さらには、篭鞠、穴入鞠、柄付板打合鞠などの新たな技競べが次々と考案されていた。


 が、三成には確信があった。


 複雑と言われる棒鞠の決まり。がひとたび覚えれば、さほど難しい訳ではない。


 そして決まりが理解されればこれほど面白い技競べはない、きっと日の本中に広まっていく、次に世界に広まっていく


三成は、そう信じている。


 しかし、三成が新たに太閤秀吉、建前上は政務の第一人者である関白、豊臣秀次から任命されたのは、「明るく楽しい世界征服」のもうひとつの柱。

芸能に関する奉行職だった。   


 初公演以来、伏見十六の人気は爆発した。

伏見十六舞踊場は、連日押すな押すなの大盛況。


 人びとは、この舞踊場は何故こんなに小さいのだ。

太閤殿下のご威光であれば、この何倍もの見物衆を容れることのできる建物を造れたであろうに、と嘆いた。


 知恩院での野外特別公演の際は、万を超える見物衆が押し寄せた。


 人びとは、伏見十六の謡を、踊りを、覚えようとした。

衣装も真似られた。

若い娘の間で、そうでない女性の間でも、膝丈着物が流行した。


 伏見十六の少女たちは、皆、それぞれに贔屓の衆を持った。

が、お香の人気は図抜けていた。


 お香が、胸に二寸の観音像を忍ばせて踊っていることは、やがて人びとの知るところとなった。


 お香のあの、この世のものとは思えない美しい踊りは、観音菩薩の功徳であったかと、人びとは何やら納得したような気持ちになり、お香は、やがて「観音お香」と呼ばれるようになった。                               伏見十六が演じる新しい芸能は、独立した名前を持った。


先ずは長部長兵衛の作る律動を持った曲と謡の組み合わせは、「歌」と呼ばれるようになった。


 美しい女性たちが歌に合わせて踊る、舞う。


 その芸能は、「歌舞美」と呼ばれるようになった。


 治部少輔は今や石田三成の代名詞。それは、元々言うまでもなく職名であるが、今や人びとの間では、石田三成と同じ意味を持つようになっていた。

「治部少輔」はそのままに、石田三成が任じられたのは、この歌舞美奉行だった。


 それは出雲阿国のたっての希望だった。

初公演までの言わば、執政府側の連絡窓口を勤めた三成は、阿国に見込まれたのだ。

太閤が構想する「明るく楽しい世界征服」の大きな柱となる芸能、歌舞美。


 一体これからどれだけ多くのことをしなければならないか。領地、領地で、踊りの素質を持った美少女を選抜して舞踊十六人隊を作る。

 その少女たちに、この新しい芸能、歌舞美を教える仕組みを作る。

 何れは、いくつかの十六人隊を、世界のさまざまな国へ遠征させ公演をする。それらの地にも十六人隊を作り、人気を定着させる。


 壮大な事業だった。その事業を中心となって率いる。それだけの事務能力を持つ男。たしかに石田治部少輔が最適任だった。


三成は、この任命を受けた。


 棒鞠の普及から外れなければならないことは残念だったが、そちらについては託せると思える人物が現れていた。


島左近である。

いくさのない世。

憮然たる思いもあった左近だが、初めての試合で、打った鞠を六十間飛ばして以来、左近は、棒鞠に夢中になった。


時間があれば若者を集めて試合をしていた。


後年、東の本多忠勝、西の島左近と、並び称される強打者になることまでは、まだ知らなかった訳であるが。


よし、棒鞠の普及は左近に託そう。三成は、そう思った。


そして、今ひとり。

何れは、棒鞠を日の本だけでなく世界まで普及させる、その事業を儂とともに中心になって率いていくことになる、そう未来を思い描いていた男。


その嫡男重家は今、観音お香に夢中だった。

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